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なんて呼ばれようと気にしないと思っていた、けど

他人になんて呼ばれようと、別にどうも思わない。

今までそう思って生きてきたのですが、どうやら違ったようでして。

いまお手伝いしている会社で「ともちゃん」と呼ばれていて、呼ばれるたびに「違うんだよ、そうじゃないんだよ……だれだよそれ」とむず痒い気持ちに、語弊を恐れず言うなら気持ち悪く感じています。

そもそも最初に「ともちゃんって呼ぶね?」って言われたときにもっとちゃんとはっきり「嫌です」って言えばよかったなとか思うんですけど、後の祭りです。どうしたら呼び名を変えてもらえるかも考えたいところですが、ここではどうして自分はそんなに呼び名にこだわってしまうのか考えたいと思います。

わたしの名前はちょっと変わっていて、ともいと言います。その名前が珍しいこともあって、だいたい呼び捨てまたはともいさんとかともいちゃんとか呼ばれることが多い人生でした。名前を呼び捨てしにくいキャラでもあったので、名字のほうからつっちーと呼ばれることも多かったです。

世の中には「ともこ」「ともみ」「ともよ」などの「とも」が付く名前が一般的。だから、お土産屋さんの名前キーホルダーみたいなものを見ても自分の名前があることは一度もなかったし、だからといって「ともちゃん」を選ぶのもなんか違うんだよなと思って生きていました。

それで今回のことがあって、わたしは自分が思う以上に自分の名前にアイデンティティを持っていたんだなあと気づいたんですよね。

「ふん! ともいって言うのかい? 贅沢な名前だねえ。今からお前の名はともだ!」って湯婆婆に言われても全然納得できない。いや、『い』も言ってくれよ。それがだめなら全然違う名前にしてくれよ。

余談ですが、木村拓哉さんが「キムタク」と略されることに違和感を感じている話は有名ですが、同じような気持ちになっているのかもしれません。これから木村拓哉さんのことは木村先輩と、ミスチルはMr.Childrenと呼ぶことにします。

そんなことをぐるぐると考えていたら、「ともちゃん」って呼び名は突然に自分が一般化される感じがしているんだと思いました。いや、小さいときから呼ばれていてそれが自分だと思えていたらいいんだけど、30年も使ったこと無い略式の名前で呼ばれると他人の名前で呼ばれている気持ちになっちゃうんですよね。

数年前までは「自分の名前しっくりこない! ハンドルネームのほうがしっくり来る!」と言っていたのですが、今回のことを経て意外と自分の名前に自意識があったんだなと気づきました。

ということで、愛称などの呼び名は呼ぶ側が勝手に決めず、呼ばれる本人に委ねるのがいいと、わたし思います。



ところで、どうしたら呼び名って変えてもらえるんですかね……。ちなみにその会社は女性だけの職場なので「馴れ馴れしい! セクハラ!」とかでは無いのでその点はご安心を。


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