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ジョン・ケインと共に歩む

※ネタバレ注意です。


観劇の大まかな感想

無造作に置かれたもの。
パーティーのあとのような物悲しさを感じる光景が、ホールに入った私の目に飛び込んできました。
何が始まるんだろう、どんな物語が始まるんだろう、とワクワクした気持ちで待っていた私。
あの時の私は、まさかこんなにも『メディスン』という作品に魅せられて、中毒性に飲み込まれるなんて思ってもいなかっただろうな。

まず、所在なさげな表情を浮かべて入室したジョンケインに、私はぎゅっと心を掴まれました。
彼の、つい早口になってしまうところや相手の顔色を伺って愛想笑いを浮かべるところ、相手との距離感が掴めなくて戸惑ってしまうところも、自分自身に重なるところがあり、目が離せないのです。
勿論、私の人生は彼とは違ったものですし、ジョンの苦しくて地を這うような人生に比べれば私の人生なんて、と思うけれど、それでもジョンの人生を振り返り始めると、自然と涙が溢れます。
誰かに同情してるような涙でもないし、映画や作品を見たときの感動の涙でもない。
きっとジョンという登場人物に、私の心が共鳴しているんだ、とそう感じる涙なのです。

実はnoteに打ち込みながらも泣いてます。
それくらい、メディスンという作品を思い返せば涙が溢れてくる。この現象はなんなんだろう。
そういえば「もしも命が描けたら」の時も、しばらく引き摺ってたな、これほどでは無いけど。あれは配信だったからかな。

本来なら自分を一番擁護し、大切に思ってくれるはずの親からの愛が得られなかったジョンの寂しさや苦しさ、それでもかまって欲しくて…母親の腕に抱いて欲しくて、行動してもその願いは叶えられず、更には母親が原因で酷いいじめに合い、もとから引きこもりがちな彼が更に閉じこもってしまいます。
このシーンの後から私はずっと泣くことになるんですけど、いやほんと、自分でもなんで涙がこんなに出るのか分からなくて。
こんな経験初めてだったので、ハンドタオルで涙を拭きながらも戸惑っていました。なんで涙出た?目が乾燥した?!なんて思いながら、どうにか涙を止めようと必死でした。

突然話しかけられて始まったフィリップとの歪んだ友情から、ようやくジョンの人生に光が差しかけた時、またいじめっ子がやって来て、信頼していたフィリップがあちら側についてジョンを焚き付けてきたシーンの苦しさは息が詰まるようでした。
そこからはまた地獄のような日々の始まり。

私も昔、小学生の頃にフィリップとジョンのような嘘話で盛り上がって築いた友情が存在したことがあったのを思い出しました。
あの時は本当にあれでしか相手と繋がることが出来なくて、でも、父親にこっぴどく叱られ、話の中心にしていた相手へ謝りに行った過去の私。
そのあと、友情を築いた方とは疎遠に近い状態になったのでどうなったかは分かりませんが、今思えば嘘でつくりあげたものもまた、嘘なんだなと感じます。

施設の中で始まった淡い恋も、暴力的な第三者のせいでぐしゃぐしゃにされ。
忘れっぽくなったジョンが忘れていた(忘れさせられていた?)おぞましい記憶が呼び覚まされた時、彼の頭の中はぐしゃぐしゃになって、自分の人生すらちぐはぐになって、自分の年齢も何もかもが分からなくなって。
自分が施設の外に出ることは間違っている。
施設にいるのが正しいのだと、自分の口からはっきりと言ってしまう。

ドラマーが、ロブスターが、ジョンの目の前から消えていき、孤独がジョンをまた襲いかかって。
それでも誰かに隣にいて欲しいジョンは、メアリーという支えを隣において、また眠りについていくような、そんな終わり。

乱雑に置かれたあの一室は「まるでジョンの頭の中みたいだ」と、観劇を終えた今ではそう感じています。


※私なりのメディスン考察

メアリーズやジョンがいたあの一室は、ジョンの心(もしくは脳)の一部なんだと感じました。
だから、舞台上に立って喋るジョンの意志とは裏腹に、聞こえるジョンは淡々と、まるで業務連絡のように質問に答えているんじゃないか、と。
メアリーが「施設を出ていきたいジョン」であるならば、メアリー2が「施設にいることが最善だと理解しているジョン」なのかな?とも思いました。
本当は自由になりたい、でも大切な人を失って生きていくような悲惨な思いはもうしたくない。だからここにいるのが最善なのは理解している、でも納得はできていない。
相反するふたつの感情が、相反する性格のふたりとしてジョンの心の中で反発しあっていたのかな?

思えばメアリー2は業務的でした。どんな事があっても物語を進め、自分を受け入れてくれない記憶(衣装部屋=記憶だと勝手に解釈しています)にも立ち向かいながら、ジョンが一番傷つかない生き方をする為に道を切り開いていたように思います。理性が本能を押し込めるのと同じように。そして、質問する声に沿って受け答えするジョンと同じように。
メアリー2が通話していた相手は、脳の本能と理性を司る部分なのかな?

一方でメアリーはとにかく感情に揺さぶられ、ジョンの記憶が掘り返される度になんとも言えない表情でジョンを見つめ、ジョンに愛していると声を大にして伝え、手を握りずっと寄り添い続けます。というよりも一心同体なのかもしれません。
自分を愛してくれる人間がそばにいないジョンの、愛されたいという本能を満たしてくれるメアリー。大切な存在になるにはそう時間はかからないと思います。
メアリーは本能で、メアリー2は理性。一度理性に勝った本能は、けれども理性の強さとジョンの不安定さに思うような動きが出来なかった。そう思うと、メアリーはいつだって衣装部屋に拒まれることは無かったし、電気の調整もメアリー2が出来るようになりました。

最後、年老いたジョンが同じ質問にまた業務的な返事を返しているシーン。
あの時、脳内にいた若いジョン。あれは年老いていく中で、ジョンがずっと閉じ込めていたジョンなのかもしれません。
一年に一回、この質問を受ける時にだけ解放され、若い頃の自分を振り返る年老いたジョンは、けれどもそのあとまた記憶に封をして、メアリーとともに自分の脳内で眠りについてもらう。
本能とともに、あの年齢までの自分(もしかしたら悲惨な思い出の直後?)の記憶に蓋をして。
理性は役割を終えて、ジョンがいるあの部屋から立ち去っていく。けれども本能は時間の許す限り(死ぬまで?)そばに居てくれる。
じわりじわりと落ちていく照明が、どうにも言えない気持ちにさせて、情けないくらい嗚咽を漏らして泣いてしまいそうなほど、苦しかった。

ジョンは幸せなのだろうか。
ジョンにとって外の世界は不幸ばかりが詰まった世界でしかなくて。けれども、父親、そして母親への憧憬や愛憎入り交じる思いがジョンを外へと駆り立てる。
見返してやりたい、なんてきっと強がりで。
本当はただ抱きしめて欲しかっただけなんだと思う。愛していると伝えて欲しかっただけ。

お湯に浸かる足がヒリヒリと痛くて泣く自分に気づいて欲しくて、頭を抱えて煙草を吸う母親の心を傾けて欲しくて。母乳で育てて欲しかった。生まれてきた瞬間のジョンが「死んだ魚のようだった」ではなくて、「可愛かったんだ」と嘘でもいいから伝えて欲しかった。
ジョンが壊れてしまったあの時に繰り返していたセリフたちは、ジョンからすれば訴えだったのかもしれません。
自分だって愛されたかった。
愛が欲しかった。
あの時どうして助けてくれなかったの?
どうして愛してくれなかったの?
母親に対する思い。家族に対する思いだったんじゃないかな。

一瞬、父親から守ってくれた母親の背中を、ジョンはどんな気持ちで見ていたんだろうか。
そう考え始めると、また無限ループに入りそうなのでこの辺にしたいと思います。

きっと「メディスン」という作品は、十人十色の受け止め方があって、観劇した一人一人の中に具体的なジョンたちの物語が形作られていくんだと思います。
誰かの「メディスン」も間違っていなくて、けれど正解は無い。だからこそ面白い。
何度も見て、自分の中の「メディスン」に肉付けをしていくような感覚になっていくのだと思います。

ただ、私はしばらく観れないなと思いました。
「メディスン」を観劇するには、相当なエネルギーを使ってしまうみたいで、心も身体もたった一回の観劇で疲弊している状態です(頭痛が特に酷い)。
こんなに難解で、面白い作品を何度もみられないのは残念だけど、いつかもし円盤化するなら少し眠らせてから観たいな、と思います。
あー、すごく面白かった。最高の作品。
出会えて本当に良かった。

《6/17追記》
数日経って、ふと昔見たテレビの記憶が呼び起こされました。
あれは多重人格(解離性同一性障害)の方を特集する番組で、彼らの脳内がどのようにできているのかを彼らの言葉で伝えるものだったと思います。
彼らの脳内では複数人が生活していて、視覚からの情報はテレビを見るようにして複数人で見ている、と話していました。そして、その部屋にはスポットライトの当たる場所があり、そこに立つことで外との会話できるようになる、とも話していたのです。
それを思い出して、もしかしてジョンは多重人格だったのかな?と昨日からずっと考えています。

誰かから話しかけられる時に光る赤いライト、ヘッドホン、スポットライト、これら全部が人格入れ替え、あるいは外との関係を表すものだったとしたらもしかして?

多重人格を持つ方たちは、他の人格が前に出ている時、主人格は眠っていると話します。
ジョンは他の人格に外の世界を任せて眠っていたのかもしれません。
だから他の人格が触れ合った人々とジョンが出会った時、彼にとっては「初めまして」なのだから「初めまして」と挨拶を交わすけれど、相手にとっては「初めまして」ではないから「失礼な人」と認識されて怒られた記憶が彼の中にはあったんじゃないかな?と。

多重人格を持つ方たちの多くは、逃げ出したくなる過去の出来事をきっかけに人格を形成したり、親から愛されない過去、苦しい思いから解放されたい一心から人格を形成したりするそうです。

「僕の頭は僕のじゃなかった」
これは本当だったのかもしれません。
あの時のジョンは、ジョンであってジョンじゃなかったのかも。

あくまで私の勝手な考察ですし、こういう考えもあるんだな、くらいの気持ちで読んでいただければ…。




※ここからは推し感想文

役者・田中圭の凄さを改めて感じる作品になりました。
ジョン・ケインが入室した瞬間から、彼は心身に不調があるんじゃないか?と思わせる芝居。ずっと肩をすぼませて、所在のない手は胸元で不安げに存在しているだけ。
視線もよく動くし、基本早口で話始めると止まらない。話がどんどん逸れてしまって、けれどテンションはそれと比例して上っていく。まるで子供のようだとも感じるその姿が、ジョンの空虚さを表現しているようだな、と思いました。

質問する声(仮に精神科医)に耳を傾けるためにヘッドホンをした時は、絶望したように悲しげな空気を醸し出す。その時の体を小さく小さく縮こませる所が苦しかったなあ。

ジョン・ケインが自分の語りを始めて、苦しかった思い出を振り返る時の悲痛な叫びは、聞いていて耳を塞ぎたくなるほどで、ジョンを抱きしめてあげたいという気持ちにさせられました。
ジョンを抱きしめて、ジョンと一緒に泣いてあげられたらどんなに楽だろうか、と。
ラストシーンのメアリーとのシーンでは、手を握ろうとしている所でも体は縮こまったままで。
そこがまた可愛らしくて、いじらしくて、また涙が溢れました。

作品とは全く関係ないところだと、声がかすれていて心配になりました。
あれだけ叫んで、声を上げて、喋り続けていたら、そりゃ喉もどんどん掠れちゃうよなあ。しかもマチネもきっとあの熱量で演じきったであろう圭さんなので、ソワレだとそりゃ喉も壊れちゃうよなあ、と思いながら見ていました。
ハスキーボイスな推し、好きです。

それから肌の白さがあの作品だとより際立ってましたね!病的に感じる白さ、きっとパジャマと照明の影響もあるんだろうけど。
あのダボッと感のあるパジャマだから、窶れた感じが出ていたんだなぁ、と思った。髪型も無造作すぎるほどボサっとしていて、けれどそれがジョン・ケインなんだよなあ、と。
パジャマのズボンを脱いだ時はびっくりしたけど、足の細さと少し筋肉質な感じは思わず「…ほう」と唸ってしまいました。

メアリーをリフトしてくるりと回るシーン、あのシーンすっごく好きです。
あの前のシーン、メアリーが情熱的にジョンへと問いかけ、ベイビーと呼び掛けながら二人だけの時間をつくりあげていくところから大好きです。多分ずっと忘れられない気がする。
台に上ったメアリーと見つめ合うジョン。普段は逆の立場の二人がこういった構図で見つめ合うのも新鮮だったんですが、なによりも可愛らしかった。
甘酸っぱさを感じるというか。なんだか思わずにやけてしまう可愛らしさを感じました。

長台詞、大変だったろうなあ。
鈴木おさむ作品では定番となっていた長台詞だけど、メディスンでの長台詞って自分語りはもちろん、叫びであり台詞であり語り手であり、時系列がめちゃくちゃになっている瞬間もあるから、相当頭を回転させないと追いつかないと思うし、自分がどこまで喋ったか不安になってしまいそうな雰囲気があって、鈴木おさむ作品とは違う脳の使い方しそうな長台詞だった。
でもこれを削ってしまうと意味が繋がらない、というシーンも多くて、脚本の難しさが改めて伝わってくる。くっそう!これシナリオ本なかったら解像度が全然高まらないぞ?!もうなんなら、エンダ・ウォルシュ先生のメディスン期の頭の中が覗きたい。

一回目のカーテンコールで拍手が起こり。
二回目のカーテンコールでまばらにスタンディングの方が増え始め。
3回目のカーテンコールでは殆どの方がスタンディングオベーションで。
最後は座長がやって来て三方向にお辞儀して(お辞儀が深い田中圭※モデルプレスかな?)、ドアの前で深くお辞儀した圭さんが部屋を出て扉を閉めたあと。
小さな窓枠の中で手を振ってくれる田中圭。
いや可愛すぎるな???今思い返すと可愛すぎるよな???あれでアラフォー?嘘でしょ??
私の席の後ろの方が「うわっかわい」って言ってるの聞こえたよ?思わず漏れちゃった感あって、後ろのお姉さん、可愛かった←

とにかく今は胸がいっぱいです。
素敵で、最高で、中毒性の高い作品と出会わせてくれた田中圭さんに感謝です。
きっと圭さんが出ていなかったら観に来ていなかったし、それはすごく勿体ないことだけどそんなことにすら気付かなかったと思う。

これからも田中圭という推しを通して、たくさんの素敵な作品に出会えるんだなと思うとワクワクしますね!


《ここだけの話》
もしかしたら当たり前なのかもしれませんが、閉幕後、後ろの方に白井さんがいらしていてスタッフの方となにやらご相談されていました。メアリーのシーンの話をしていたかも?
初めて目の前で白井さんを見た嬉しさをぐっとこらえていたので、今noteで発散させてください!








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