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はじめまして、つくしです。

みなさま、はじめまして。
つくしと申します。本名は牧野美咲です。

わたしの会社は入社当時、新卒歓迎会であだ名を付ける慣習がありました。そこで「趣味はDJで、酔うと笑い上戸になる」と言ったらDJ上戸という誰も呼ばなさそうなあだ名になってしまいました。「絶対呼ばれないあだ名でかわいそうだ」と見かねた配属部署の先輩方に新しくつけてもらったあだ名がつくしでした。このあだ名が妙に気に入って、プライベートでも使ってます。なお、花男は読んだことがないので「まーきのっ」と言われても普通に返します。ごめんなさい。

昨年末にResearch Fund 3.0というイベントを開催しました。このイベントを通して人生を振り返り、科学技術と社会をつなげる橋渡し人材になりたいという夢に気づきました。どう実現していくかは定まっていません。わたしは思い込みが激しく、猪突猛進の気質が強いです。やるべきことが具体的だと吉と出るのですが、抽象度の高い状態だと凶と出ます。狭い視野と価値観で判断し、中折れします。夢物語で終わります。

このnoteは、自己紹介を発信することで、似た考えを持つ方々と巡り会いたくて記しました。

ときは遡って高校時代から書いていきたいと思います。
独白長文で恐縮ですが、お付き合い頂ければ幸いです。

部活動に青春を捧げた高校時代

わたしは渋谷教育学園幕張高等学校に入学し、化学の盛口先生から「水素が4色になる研究があるんだけど、やってみない?」と誘われ、これは面白そうだと、化学部に入部して研究を始めることにしました。甲子園出場を目指す高校球児の如く、部活動に青春を捧げ、日本学生科学賞にて文部科学大臣賞、インテル国際学生科学フェアにてプラズマ科学連合賞(1等賞)を受賞することができました。なお、これと引き換えに、華のあるJK生活は一切ありませんでした。

研究内容は、「アスピレーターによる簡易放電管の製作」というもので、高価な測定機器を必要とする放電管の分光分析を、DVD分光器や無料のソフトウェアを活用して100分の1のコストで実験できるようにしました。

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減圧下における美しい放電光に魅了され、好奇心の赴くままに研究していたのですが、大会で発表を見に来てくださった教員の方々から「この実験キットで私も子どもたちに実験を教えたい」と言われ、人の役に立つものを発明する喜びを知りました。

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着々と研究者への道を進む

化学部での研究は物理っぽかったのですが、フラスコの中で起こる化学反応の方が好きだったので、筑波大学理工学群化学類に進学しました。学部1年の頃に、とある大阪大学先生のご講演を聴く機会がありました。先生は化学への純粋な愛を語り、化合物を擬人化して説明する人でした。その先生が筑波大学に教授として赴任され、わたしはその研究室に入ることを決めました。小島隆彦教授の研究室です。先生は本当に化学を愛していらっしゃる方で、授業でも研究室でもどこでも化学への愛が溢れていました。

そんな小島先生のもとで、寝食を忘れて研究を進め、博士後期課程入学時には日本学術振興会特別研究員DC1に採択していただくことができました。なお、ここでも華のあるJD生活は一切ありませんでした。
牧野は研究者になる。
わたし自身を含め、誰もがそう思っていました。

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お金を頂く立場になったことで折れた志

研究者になりたいという志が折れたのは、DC1になったときです。「お金を頂いて研究をする」という立場が、大きな転換期となりました。国民の血税が、直接的に人の役に立たないわたしの研究に使われているという事実に耐えきれなくなったのです。

また、DC1に採択された研究は、「プロトン共役電子移動を利用した新規均一系窒素固定ルテニウム触媒の開発」というもので、挑戦的でとても難易度の高い課題でした。長期的に根気強く立ち向かう必要があったのですが、猪突猛進するだけで運良く成果を上げていたわたしの心はポキっと折れてしまったのです。いただいた血税を無駄にできないという凝り固まった視野の狭い正義心と、運を実力と勘違いして築いた砂上の自負心により、強烈な挫折を味わいました。

さらに最悪だったのが、とても虚栄心が強かったことです。「DC1を取ったのに、無能だと思われたくない」という気持ちが強くて、うまく自己開示できず、周りに助けを求められませんでした。研究への情熱が下火になり、苦しみもがきました。正直本当に落ちるところまで落ちてしまったので、ここ最近まで心の奥底にこの記憶は閉じ込めていました。研究室の皆さまに顔向けできなくて、休日早朝にこっそり荷物を片付けて研究室を去ったあの日から、わたしはずっと目を背けていました。

IT業界との運命的な出会い

闇の中で天の助けとなったのが、筑波大学で博士後期課程向けに開かれていたGCL(グローバルリーダーキャリア開発ネットワーク)のプログラムです。そこでわたしはデザイン思考とプログラミングに衝撃を受けました。IT業界では、すごい速さで人の役に立つものが爆発的に生まれている。それに比べてわたしは何をやっているのだろう。虚しさと悔しさで眠れない夜、たまたま出会ったfacebookの広告でわたしの人生は変わりました。

数年後、いまの自分を
未熟だったと笑えるように。
自分を変えるきっかけになる、新しい人や知識との出会い。
自分のどこかに隠されていた、強い衝動や情熱との出会い。
数年後「あれがなければ今の私はなかった」と、
そう思い返せるような、記憶に焼き付く夏になる。

株式会社リクルートホールディングスのサマーインターンシップの広告でした。本当に、記憶に焼き付く夏になりました。5日間サービスプランナー職を体験し、「社会問題を解決するサービスを生み出す」というテーマのもと、介護の問題解決に挑戦。バックグラウンドの異なるチームメンバーと全力で議論を交わしながら最後まで走り切りました。その結果、最優秀賞と事業化検討賞を受賞し、そのご褒美でサンフランシスコ研修に行き、Googleや躍進するスタートアップを訪問させていただきました。

研修を終え、インターネットの力で人の役に立つことがしたいと思うようになりました。持ち前の探究心と没頭力を活かしてエンジニアに成ることを決意し、「価値あることを正しくやろう」のクレドを掲げる株式会社ビズリーチに新卒入社。エンジニアとしてのキャリアをスタートしました。

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ビズリーチで見えてきた私に足りていなかったこと

ビズリーチでは、博士後期課程時代とは真逆の生活の連続でした。例えば、黙々と個人で実験や測定を行う研究とは異なり、チーム全員が納得できるところまで徹底的に話し、様々な観点を取り入れて物事を着実に進めていきます。また、新卒には必ずメンターが付き、職種や役職の垣根を超えた1on1が盛んな社風ゆえに、たくさんの同僚に相談できる環境がありました。これも、孤独に研究を進めていくDC1時代にはなかったものです。

プライドが高く、扱いづらい人間を相変わらず炸裂していたので、最初に配属された部署では、正直むちゃくちゃ仕事ができませんでした。そんな自分を変えたくて、色々な人に1on1をお願いしました。様々な人からのメンタリング、コーチングのおかげで、己の内側と向き合えるようになった結果、DC1のときの挫折を、第三者目線で冷静に見ることができるようになりました。あの頃の自分に足りていなかったのは、

・多様な価値観や観点を受け入れる傾聴力
・相手を理解するための適切な質問力
・本当の強みに気づくための自分理解力

でした。

あの頃の自分に打ち勝ち、再び大きな夢を描く

わたしはこの世の神秘を解き明かす基礎研究が大好きです。それはとても美しく、知的好奇心をくすぐります。好きですが、その探究心だけではわたしは大きな山を越えられません。正確にいうと、越えられませんでした。「誰かの役に立ちたい、誰かの人生の豊かさに貢献したい」という気持ちが私を強く突き動かします。

実のところ、その気持ちが根底にあったからこそ、わたしは研究成果を出せていたように思います。というのも、真新しいアイデアで研究をしていたのではなく、先輩や先生方のご意見、ときには異分野の先生のご意見を取り入れて研究をしていました。「みなさんのアイデアを活かしたい、組み合わせて世に出したい」という欲望は、「役に立ちたい」の変化形だと気づきました。卓逸した専門性を持っていたのではなく、既存のアイデアをつなげ、新しい価値を創出することがうまかったのです。

4年前、DC1で大きな挫折を経験し、IT業界で心を成長させることができた今、満を持して大きな夢に取り組めると確信しています。

さいごに

わたしは、科学技術と社会をつなげる橋渡し人材になりたいのですが、
実現方法が明確になっていません。この自己紹介を通して、同じ志を持つ方と巡り会えたら幸いです。なにか琴線に触れたことがございましたら、反応していただけたら嬉しいです。ここまで読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました。

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