ヨコハマ・ラプソディ 13 母親
十三.母親
世間がお盆休みに入ると同時に、俺は佐賀に帰省した。
佐賀駅に着き、公衆電話で実家に到着を知らせてから北口のロータリーで両親の迎えを待つ。
気のせいだとは思うが、やはり佐賀は東京に比べて少し暑いような気がする。というか、太陽の日差しが強烈なのだ。子供の頃はこの暑さをろくに暑いとも思わず、友達とはしゃぎ回っていたのだが。
見覚えのある白いカローラで佐賀駅まで迎えに来てくれた両親は、二人ともすこぶる元気そうで俺は安心した。
「元気しとったね?」と母親が尋ね、「うん。元気しとった」と俺が返す、帰省時のいつもの会話を交わすと、俺は自分の荷物と共に父親が運転する車の後部座席に乗り込み自宅へ向かった。
途中で見た、風にそよぐ広大な水田の緑と、そのはるか先にそびえる天山(てんざん)の姿。クリークと呼ばれるいくつもの小さな水路と稲穂の上を飛ぶ赤とんぼの群れに、佐賀に帰ってきたことを実感する。
自宅に着いた俺は、玄関に入った途端、懐かしい実家の匂いを嗅いだ。なにかが饐えたような、でも決して嫌いではない匂い。
早速、母親が出してくれた真赤に熟したスイカにかぶりつく。今年初めて口にしたが、やはりスイカを食べないと夏が来た気がしない。
昼間は家の近所で鳴く蝉の声がうるさい。アブラゼミやツクツクボウシ、クマゼミの鳴き声。
東京は蝉が少ない。いることはいるが、鳴き声がうるさいということはない。
東京の夏はそれがいつも、物足りなかった。
ある日、父親が出かけていて家にいない時を見計らい、俺は母親に「声」のことを尋ねてみた。これまで「声」のことを、自分から母親に聞いてみたことは一度もない。
父親が留守の時に話をしたのは、俺が子供の頃、母親が俺に「声」の話をしていた時、外から父親が戻ってきたら急に話を止めたことがあったからだ。どうも父親は母親のその話が好きではないと、子供心に感じたことがあった。
「そいはただ、聞こゆっけん聞こゆっ。ただ、そいだけたい(それはただ、聞こえるから聞こえる。ただ、それだけだよ)」
「えっ、そんなもん?」
「そいも、そがんすごかことの聞こゆっとじゃなかけん(それも、そんなにすごいことが聞こえるというのではないから)」
「……」
「ほら、人んことよう観察しよっぎ、この人はこがんことの好いとっやろうねとか、いつでんこがんことば考えとっやろうねって、わかっことのあっやろ? そいのすぐわかっ。ただそいだけんこと(ほら、人のことよく観察してたら、この人はこういうことが好きなんだろうねとか、いつもこういうことを考えているのだろうねと、わかることがあるだろう? それがすぐにわかる。ただそれだけのこと)」
「ふ~ん」
「そいも、まあ、たまあに聞こゆっだけけん(それも、まあ、たまに聞こえるだけだから)」
「不思議かて、思わんやった? (不思議だと、思わなかった?)」
「不思議っちゃあ、不思議かばってん、子供ん時から当たり前んことやったけん。 どがんしたと? 珍しゅうそがんこと聞いてくっとは。なんかあったと? (不思議といえば、不思議だけど、子供の時から当たり前のことだったから。 どうかしたの? 珍しくそんなことを聞いてくるのは。なんかあったの?)」
「う~ん。まあそのうち、話すことがあるかもしれん」
「ふ~ん。まあよか。ほら、ぶどうば持ってくっけん、食べんしゃい(ふ~ん。まあいいよ。ほら、ぶどうを持ってくるから、食べなさい)」
「うん。食ぶっ(うん。食べる)」
白猫のミーが、俺にすり寄ってきた。
俺はミーの喉を、こちょこちょ撫でながら考えていた。
母親の話を聞くと、母にとって「声」のことは、それほど深刻なものではなかったようだ。しかも子供の時からの当たり前のこと。
志織はどんな感じなんだろう。俺は志織に聞こえる「声」がどんなものなのかを、彼女に聞いてみたことはない。今のところ聞く気もない。「声」がしようとしまいと志織は志織だ。
もちろん「声」のことを俺に話すことで、彼女の気持ちが少しでも楽になるのであれば、俺はいくらでも聞き役になってあげたいと思うし、そのことはすでに志織にも伝えてある。
でも志織は、「ありがとう。でも、もう慣れてることだから。それに江の島の時みたいなことは滅多にないから、気にしないで」と言った。
俺の母親と志織の「声」が同じものなのかどうかは、正直わからない。数少ないながらも俺がこれまで話を聞いた限り、どことなく違うような気もする。ただ俺が想像するに、どちらも「人の心を読む」のとは違うと思う。
もし人の心を読むのだとしたら、志織と付き合い始めて今日まで、あれだけ俺のそばにいる志織がその時の俺の心なんか読んだら、一発で俺のことを軽蔑するはず。恥ずかしいけど、男が考えることなんてそんなもんだ。
なんとなくだけど、「声」が誰かについて話すことは、その人が今置かれている「状況」とか「性格」とか。それと、聞こえた時ではなく「普段」考えがちなこととか。そんな気がする。
もちろん、それぞれから聞いたごく少数の話から俺が勝手に推測したものであって、はっきりと確認した訳じゃない。そもそもそんなこと、確認できる類のものでもないだろう。
けれど、志織もうちの母親も、「声」を聞いて、気がどうにかなったりはしなかったのだろうか。改めて考えてみて、今更ながらちょっと不安になった。
でもよく思い出してみれば、俺の母親は昔から根っからの明るい性格だし、「声」のせいで性格が暗くなったり、人間不信に陥ったりしたような感じは微塵も見受けられない。母親の「声」のことも、志織の話を聞くまで、すっかり忘れていたくらいだ。
志織にも今のところ、「声」による「負」の影響はまったく感じられない。せいぜい以前、よく学校をサボっていたことくらいなものだ。今じゃほとんど学校も休まなくなったみたいだし、夏休み中の補習にも欠かさず出ているらしい。
さっきの母親の話を聞く限り、あまり俺が気にする必要はないのかもしれない。やはり、そっとしておくのが一番だと思った。
俺と一緒に、美味しそうにぶどうを頬張る母親の笑顔を見ながら、俺は心のモヤモヤがスッキリと晴れていることに気付いた。
やっぱり、帰って来てよかった。
来年は、是非とも志織を連れて帰りたい。その時、志織から「声」のことを聞いたら、母さんはどんな顔をするだろう。きっと、目を丸くして驚くに違いない。
その顔が容易に想像できて、なんだか可笑しかった。
佐賀には五日間だけいて、すぐに東京へ戻った。去年まで夏休みはもっと長い期間帰省していたが、やはり、俺は志織に早く逢いたかった。
佐賀駅で彼女への土産を散々迷った挙句、丸ぼうろと佐賀錦を買った俺は、電車で福岡空港へ向かい、夕方の羽田行きの飛行機に搭乗した。
途中、飛行機の窓から見えた満月に、志織の丸い顔を思い出した俺は、妙に切なくなった。
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