今までの人生62(ちょっと少しの前進5)
今回の伯父の入院を機に
父にしてあげられなかったことを
母や身近な母の姉弟にしてあげたい。
と思うようになり帰宅しても
伯父の退院日には実家に行き
伯母と母と3人で伯父の退院の迎えに行った。
伯父のアルコール離脱症状は
もちろん落ち着いていたが
禁酒、投薬は忘れずするように指導された。
しかし伯父はこの時71歳の一人暮らしだ。
食欲はあるらしい。
伯母は処置説明の時に席を外していたので
どのような状況が伯父の体の中で起きているのか
知らないでいる。
伯父は食道から出血し吐血していた。
緊急処置で20数箇所クリップで止血している状態の
レントゲンを見せられた。
次はないと思った方が良いと言われていた。
伯父を連れて家に向かい戸建ての玄関を開ける。
玄関は綺麗だった。
伯父はどちらかと言うと男の割に
キチンとしていた。
足も引きずって歩くような状態の伯父を
見守りながらリビングのドアが開く。
・・・
・・・
・・・
リビングには昔から変わらない
大きなローテーブル
部屋も私が知っている状態のままだった。
と安心したのも一瞬だ。
ゴミの匂い
腐ったものの匂いで
酷かった・・・
ローテーブルの上には
お酒や焼酎、弁当の空や食べかけのおつまみ。
とりあえず伯父をソファに座らせテレビをつけ
伯父の様子を見ながら3人で片付けを始めた。
お酒は全部台所で流し
食べかすは全部捨て
先ずはローテーブル片付けた。
私は特に匂いの強い冷蔵庫に向かった。
冷蔵庫はヤバかった(汗)
扉を開ける前から強烈な悪臭。
覚悟をして冷蔵庫の扉を開く。
酒呑みのせいなのか、刺身が沢山入っていた。
もちろん腐っている。
吐きそうなのを我慢しながらゴミ袋に
どんどん捨てて行く。
伯父はそれを見て
「まだ食べれるだろ〜?」
とソファから私に話しかけてくる。
私は振り返り
無理無理と手を振りながらゴミ袋に捨てる。
伯父は残念そうに下を向いていた。
伯母と母は空になった冷蔵庫を
掃除し消毒し綺麗にしてくれた。
その間、私は少し離れたスーパーの中にある
100円ショップに向かい
薬の管理をするために必要なものを買いに行った。
小分けにできるケースや
ジッパー付きの小袋
壁掛けのカレンダーのような仕分けできる物・・・
毎日、毎食誰かが管理できないので
伯父が目で見てわかりやすく
飲み忘れのないように薬の仕分けをし
紙に飲み方の説明を書き
お薬カレンダーの横にドーンと貼り付けた。
伯父は薬くらい飲めるよ〜○○(私)。
と言いながら笑っていたが
私は絶対に無理だと確信があった。
伯父の為にこんなに活動できた自分に
驚きながら皆で食事をし
伯父が自分で薬を飲むか見守り
よし自分で薬を飲めてる!
その日は伯父の家に泊まることになった。
薬を持って行っていなかった私は
夜中まで寝付けなく布団の中でじっとしていると
またひとつ問題が起こる・・・
今日はここまで
津波注意報解除されて安心しました。
まだ油断は出来ないでしょうが
被災地の方のご無事を祈っております。
30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。