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批判的に考える/クリティカル・シンキング:小林秀雄「考えるヒント」

私はこの note のテーマを、中村雄二郎「哲学の現在」から拾って「よく考えることはよく生きることである」としている。では、「よく考える」というのはどういうことであろうか。「よく考える」ことについて、少しあれこれ考えてみたので、今回はそのことを書いてみたい。

去年からずっと、カントの「純粋理性批判」を読んでいるが、ここでいう批判というのは、批判的に考えるという用法での批判である(*3)。批判的に考える、というのは私流に言うと「よく考える」ということだ、と以前に書いた。

もう少し丁寧に書けば、「あたりまえだと思っていることも含めてすべての点について問い直し、様々な視点から検討するようにして、徹底的にものを考える」とでもいうことになるだろう。「なんだ、クリティカル・シンキングじゃないか」と思う人もいるだろう。「クリティカル・シンキング」を直訳すれば「批判的思考」だ(*1, *6)。

とはいえ「批判」という言葉にはネガティブな意味でしかとらえない人も多い。「欠点をあげつらう」程度の意味に使っている人もいるように思った(*2)。「徹底的にものを考える」ということを「批判」という言葉を使うのは多くの人に正しく伝わらないかもしれないな、とあれこれ考えているうちに、小林秀雄の「考えるヒント」をパラパラと見ていた。すると「批評」という5ページ程度の小エッセイがあるのを思い出した。

なんと、カントを引き合いにして、「批判」と「批評」について論じているではないか。ちょうど私が考えていたことがこう表現されていて膝を打った。

試みに「大言海」で、批評という言葉を引いてみると、「非ヲ摘ミテ評スルコト」とある。批評、批判の批という言葉の本来の義は、「手ヲ反シテ撃ツ」という事だそうである。してみると、クリチックという外来語に、批評、批判の字を当てたのは、ちとまずかったという事にもなろうか。

そして、カントの批判哲学について

人間理性の在るがままの形をつかむには、独断的態度はもちろん懐疑的態度もすてなければならない、すててみれば、そこにおのずから批判的態度と呼ぶべきものが現れる

とし、

ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。

と続ける。


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小林秀雄は、どのようにして自身の批評眼を、批判的な思考態度を高めたのだろうか。それについては次のように書かれている。

実際の仕事をする上で、じょうずに書こうとする努力は払って来たわけで、努力を重ねるにつれて、私は、自分の批評精神なり批評方法なりを、意識的にも無意識的にも育成し、明瞭化して来たはずである。

もう一つ、「考えるヒント」の中に、「良心」という7ページほどのエッセイも収録されている。ここで、考えるとはどういうことかが書かれているので、引用してみよう。

考えるとは、合理的に考える事だ。・・現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。そんな光景が到る処に見える。物を考えるとは、物を摑んだら離さぬという事だ。・・だから、考えれば考えるほどわからくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には極めて正常な事である。だが、これは、能率的に考えている人には異常な事だろう。

これは昭和34年の11月に書かれたものだというから 61年前である。今もまったく古びていないと思わないだろうか。

最近は、教育にしろ、政治にしろ、企業活動にしろ、合理性を経済的な能率でしか見ない、そういう風潮が顕著になってきた。だから、よく考えてことにあたる、という当たり前のようなことであっても、「能率的に考えることが合理的に考えることではない」と強く意識して考え、合理的判断をするように努めることがますます必要なのだと思う。

そのような背景から、考え方のスキルとしてのクリティカル・シンキングが重要だと盛んに言われるようになってきたと考えられるが、問題意識としては20世紀の前半からすでにあったのだ。

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さて、ここで、クリティカル・シンキングについて、少し調べてみた。私も過去に、ひととおり学習したはずであるが、あらためてクリティカル・シンキングとは何かと問いを立ててみると、案外クリアに説明できない。いまさら気が付いた。

手元に、Fisherの "Critical Thinking An Introduction" という本があるので、久しぶりに開いてみた。

1章が Critical Thinking の定義について記述されている。

始祖と言われる John Dewy, それを引き継ぐ Edward Glaser, 最も広く知られているという Robert Ennis, さらに Richard Paul と Michaek Scriven の定義を訪ねている。

Glaserは以下のように定義しているという。

(1) an attitude of being disposed to consider in a thoughtful way the problems and subjects that come within the range of one's experience.
(2) knowledge of the methods of logical inquiry and reasoning
(3) some skill in applying those methods
Critical thinking calls for a persistent effort to examine any belief or supposed form of knowledge in the light of the evidence that supports it and the further conclusions to which it tends.

日本語に訳すると以下のような感じだろうか。

(1) 渦中におかれている問題や主題に対して思慮深く考えて解決に導く姿勢
(2) 論理的に調べ根拠を求める方法の知識
(3) これらの方法を適用するスキル
クリティカル・シンキングは、すべての信念や想定される知識について、それらを支持する証拠に照らして検討する、そんな粘り強い努力を必要とし、その先にある有効な結論を導く

Ennis の定義は以下のように簡潔である。

Critical thinking is reasonable, reflective thinking that is focused on deciding what to believe or do.
クリティカル・シンキングは、合理的で思慮深い考え方で、何を信じるべきか何をするべきか決定することに焦点をおく。

Glaserにおける「有効な結論を導く」ということが、より具体的に「何を信じるべきか何をするべきか決定する」と示されている。

私たちが「考える」といったときに、問題ではないようなことについてつらつらと、たどりつく場所もないまま考えている、こともあろう。考えても答えがないようなことについて、悩みながら堂々巡りしていることもあるだろう。クリティカル・シンキングは問題解決のために考え、したがって、とるべき行動あるいは信ずべき選択肢、といった問題解決に有効な結論を導く、そういうことなのだ。

したがって、「よく考える」ためには、まず問題を特定すること、結論=何をすべきか、を導くように考えることが大事ということだ。

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さて、Glaser はクリティカル・シンキングにおいては、以下のスキルが必要であるとする。

(a) まず問題の特定をする
(b) 有効な解決策を見つける
(c) 関連性があり整理された情報を集める
(d) 暗黙の前提条件や価値を特定する
(e) 正確で明瞭な言葉を使う、正確に明瞭に理解する
(f) データを解釈する
(g) 証拠となるものを評価する、文章を精査する
(h) いくつかの命題(提案、課題、意見や判断など)の間の論理的な関連性について理解する
(i) 有効と言える結論と一般論を導く
(j) 結論と一般論を実地に試してみる
(k) このようにして広がった経験に基づいて信ずるべきところを再構築する
(l) 毎日の生活の中で活かす

なんだ、当たり前のことばかりじゃないか、とそう思われるだろうか。そんな面倒なことはやってられない、と思うだろうか。・・・たぶん、ここまで読んだ人は、かなりの確率で、そうは思わない人かもしれない。

私が一番大事だと思うのは、問題の特定と課題の設定である。問題の特定と課題の設定は、クリティカル・シンキングの要素でもあるが、この項目に、クリティカル・シンキング、あるいは、批判的に考える態度で臨むことが肝要である。

考える手間を省かない。

現代は、世の中の変化が加速度的に速くなっているうえに、関係者が多くなり問題も複雑化し、また、場合によっては、一つの判断の影響度がとても大きなものとなった。したがって、問題をわかりやすく切り分け、あるいは全体の姿をとらえ、短時間に、わかりやすく多くの人に腹落ちする結論を導くこと、が求められる。また、効果の大きい結論を導くことが必要だ。

そんなプレッシャーの下で考える手間を惜しまないのはかなりつらいことではある。細かいところの正確さにどこまでこだわるか、というところはあるが、だが、しかし、都合よくわかりやすい結論に飛びつき、都合のよい情報とデータだけ集めて、手間をかけたつもりになってはいけない。

長くなったので、このくらいにしておく。以上のように「よく考える」について考えてみて、クリティカルに、徹底的に考える姿勢について振り返り、自分の考えている道筋や姿勢について、クリティカルに考えて常に改善することが必要なのだと、改めて思った。


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注記(というか備忘録か。長くなったが勘弁してほしい。)

(*1)「クリティカル」という言葉は日本語として定着してきているのはないかと思う。ということで、「批判的に考える」あるいは「クリティカル・シンキング」を導入にして、そこから「ミッション・クリティカルなプロジェクト」の話とか「クリティカル・パスについてあれこれ」の話などにつなげて書いてみるか、意気込んで書き始めたのだが、改めて辞書を引いて、言葉の意味をそれぞれ丁寧に調べてみると、みればみるほど、どうもことはそう単純でないことに気が付いて、その話は放棄することにした。どうにも、話のスジが悪い。とりあえず、調べてわかったことは、私の備忘録のために、下のほうに書いておいた。興味のある人は読んでみてほしい。

(*2) 「あの人は上の批判ばかりして、建設的な意見を出さない。」

という言い方をよく聞きはしないか。責任を持たない安全な立場を保ちつつ、なるほど客観的かもしれないけれども当事者意識の欠いた、しかも対象の悪い面のみをことさらあげつらうような意見を言う、そんな意味が「批判する」という言葉に深く入り込んでいると思う。

新明解国語辞典(三省堂)を引いてみた。

物事のいい点については正当に評価・顕彰する一方、欠陥だと捉えられる面についても徹底的に指摘すること。
[俗に単なる「揚げ足取り」の意にも用いられる]

多くの用例では、前半の「物事のいい点については・・」がすでに抜けてしまっていると思われる。

そういうと、「非難」は、批判+感情、ときには (批判 - 理性) × 感情・・・ちょっと言いすぎか。職場でよく聞かれる上司の指導「君、決して評論家になってはいけないよ」というときの評論は、(批判 - 当事者意識) × 上から目線、という感じだろうか。確かめてみた。

非難を引いてみると次のように書いてある。

他人の欠点や過失を取り上げ、それは悪いと言って責めること。

評論

[専門の分野や社会の動向などについて一般読者を啓発するために]自分の意見を加えながら解説すること(したもの)

実は、新明解国語辞典には、「クリティーク」「クリティック」も「クリティカル」も出てこない。日本語として普通に使われていると思ったが、それは一部だけかもしれないと思った。

ちなみに、本文で引用している小林秀雄の文章では、批評と批判をほぼ同義として扱っているように読める。

批評を辞書で引いてみると次のようである。

物事の良い点・悪い点などを取り上げて、そのものの価値を論じること。また、そのもの。

これによれば、批判哲学、批判的に考える、といった場合の批判は批評と同義と扱ってよいと思うが、批評は、芸術や美術、あるいは文学といったものを対象にしているように感じられる。

(*3) 純粋理性批判は英語では "Critique of Pure Reason" で批判は "Critique" にあたる。Critiqueは名詞で、発音をカタカナで書けば「クリティーク」となり、フランス語が由来の言葉だろうな、と分かる。似たような言葉で、Critic という名詞があり、こちらも発音をカタカナで書くと「クリティック」となる。日本語の意味は、批判や評論あるいは批判をする人、となる。ただし、クリティークの「批判 (critique)」とクリティックの「批判 (criticism)」は違う。

クリティークの「批判」は、「よく吟味して分析する」という意味だが、クリティックの「批判」は「敵対的な意見、あるいは反対意見を言う」という意味だ。

もう一つ、似たような言葉で crisis 「クライシス」がある。「危機」とか「難局」という意味だ。

(*4) Critical という形容詞は 、発音をカタカナで書けば「クリティカル」であり「クリティカル・シンキング」や「ミッション・クリティカル」とか「クリティカル・パス」に見るように、ビジネスやプロジェクトマネジメント関係で、すでに日本語として定着した感があり、よく使う人も多いと思う。ところが、新明解国語辞典で「クリティカル」を引いてみると、出てこない。意外に意味が定まらないまま使われているように思う。

Critical の意味を改めて調べてみた。(Oxford Dictionary of English)

1. expressing adverse or disapproving comments or judgments
2. expressing or involving an analysis of the merits and faults of a work of literature, music, or art.
3. (of a situation or problem) having the potential to become disastrous; at a point of crisis.
4. (mathematics and physics) relating to or denoting a point of transition from one state to another.
5. (of a nuclear reactor or fuel) maintaining a self-sustaining chain reaction.

日本語にすると次のような感じだろうか。(形容詞なので少々語尾がヘンになったが。。。)

1. 敵対的あるいは反対意見や判断を表明しているような
2. 文学や音楽や芸術作品について、良い点と悪い点の分析を表明するような、あるいは、そのような分析を含むような
3. (状況や問題において)潜在的に壊滅的な状況になりうるところの;危機的局面の発生するところの
4. (数学や物理で)ある状態と他の状態との間を遷移するところの
5. (核反応装置や核燃料で)臨界 の

「ミッション・クリティカルなプロジェクト」、「クリティカル・パス」といった使い方は、3であり、実は crisis に関連づいていると思われる。

そして、英語でも日本語でも、使われているうちに言葉の意味は擦り切れる。"a critical problem"あるいは「クリティカルな問題」といった場合「最も重大な」という意味でつかわれていることが多く、さらに「最も」さえも落ちて、「重大な」程度の意味でつかっている人もいるようだ。

(*5) クリティックは、上に書いたように、本来、「批評する人」「批判する人」の意味で名詞だが、人を除いた性質としての「批判」と「批評」を形容詞にして、1, 2 の意味の Critical となっているようだ。*3の繰り返しになるが、ここでの「批判 (criticism)」は、本来、クリティークの「批判」とは違う。

試しに、Longmanの英英辞典、ALCの「英辞郎」 、dictionary,com も引いてみたが、 Critique 「批判」の形容詞としての意味は Critical の意味としては出てこない。では "involving skillful judgment as to truth, merit, etc.; judicial:" 「真実や価値、美点など、を判断するに長けた」とあり、critique の「批判」とも考えられるが、上の 2 とも考えられる。

(*6) つまり、上記のことから、「批判的に考える」という場合の「批判」が多くの日本人にとって通常の用法・意味からはずれているように思われるように、"Critical Thinking" の Criticalも通常の用法・意味からはずれているように思われるわけだ。ただし、お互いに同じようにずれた用法と意味で対応するので、"Critical thinking" を直訳して"批判的思考"とするのは間違いではない、と考えておく。

プロジェクトマネジメントや、哲学に親しんでいると、通常の用法に思えるが、むしろ専門用語・用法と思ったほうがよさそうだ。(もっと調べてみる必要がある。)

クリティカル・シンキングを最初に提唱したとされる John Deweyは、 reflective thinking と呼んだらしい。「批判的に思考する」とか「クリティカル・シンキング」というより「熟考する」というくらいのほうがよいのだろうと思う。ありがたみがうすれるが。

(*7) 念のため、 Oxford Dictionary of Englishで関連する 英語の単語の意味を調べておいた。

critique (クリティーク) の意味を引いてみると

a detailed analysis and assessment of something, especially a literary, philosophical, or political theory 

critic (クリティック) の意味を引いてみると

1. a person who expresses an unfavorable opinion of something
2. a person who judges the merits of literary or artistic works, especially one who does so professionally
from Latin criticus, from Greek kritikos from krites "a judge" from krinein "judge, decide"

crisis (クライシス)

a time of intense difficult or danger
a time when a difficult or important decision must be made
the turning point of a disease when an important change takes place, indicating either recovery or death

(*8) ちなみに純粋理性批判、ドイツ語の原題は、"Kritik der reinen Vernunft" である。
どうも、Oxford Dictionary of English を調べていると、このへんの単語は、おおもとは、ギリシャの "krinen" (decision, 決定) から転じたラテン語 "krisis"にたどることができるようである。中世の英語、フランス語、ドイツ語に、入り、それぞれ微妙に意味がかわりつつ、フランス語から英語に別の単語として輸入されたりするなどして 現代にいたっていると思った。・・・チェックしていない・・・自分への宿題としておこう。

どなたか語学・語源の専門の方がいらっしゃればコメントが欲しいところである。


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