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外部化と内部化を超えて:西村佳哲「自分の仕事をつくる」

タイトルから一見、自己実現をテーマにした自己啓発本か、起業のすすめかと思うかもしれないが、決してそうではない。しかし、これから社会に出て行く人も、バリバリ働いてきて少し疲れている人も、中高年で人生100年時代に面して人も、仕事ってなんだろう、と思い悩むすべての人に手にとってほしいと思う。

自分の仕事について、じっくりと考えて実践することは、年代や仕事内容を問わず、よりよく生きて行くうえで大事なことだ。

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私たちは、この世の中に生まれてきたからには、死ぬまでは生きなければならない。私たちが生きるということは、家族あるいはコミュニティや社会、そして世界に、働きかけ働きかけられ、その中でそんな周囲の環境から生きていくための糧をうけとる、そのサイクルのくり返しである。(*1)

そのような、私たち自身の社会や世界との関わり合いの中で、仕事は、多くの人たちにとって、時間においてもエネルギーにおいても、大きな割合を占めている。自分が人生の中でどれだけの時間を仕事に割いているか、あるいは割くことになるのか、を少し考えてみれば明らかであろう。

人類が登場してから長い歴史の中で、その時代時代で、人類が周囲の環境に働きかけるしかたの種類や範囲、インパクトは次第に広く大きく多様なものとなり、それにつれて、仕事のしくみや、規模、範囲、複雑さ、時間軸は変わってきた。そしてこれからも、どんどん、変わっていくだろう。

その過程で、意味を見出しにくい仕事が増えてきた。

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一つの商材を仕上げて売りに出すまでに数多くの人と異なる複数の部門が複雑にからみ、特に国際混合チームでのプロジェクトで常識やアウンの呼吸をベースに話ができない、そして完成までに時間がかかる、そんなプロジェクトの仕事も普通である。そんななかで一担当者として働いていると、組織や世の中にどのように自分の仕事が貢献しているのか見えにくくなる。急に降って降りてきてしかも頻繁に変わる組織構成、Mode of Operation、Communication Rule や、共通化された IT Tool 群、などにしばられる。部門への予算の分配は、他の国に向けたまったく知らないプロジェクトとの優先順位づけの中で、理由もわからず決められる。いきおい、部署としても自分自身としても、自律して動くことができず、自らの工夫を反映しにくいような仕事が増えてくるので、なおさらだ。

経済が成長していて、自分の周囲の世の中全般がどんどん豊かになっていき、それを肌で実感できるときには、その中で、どんな半端な仕事であっても自分が役にたっているという気持ちになれ、自分が頑張れば少しでも世の中がよくなると思えた。日本では、高度経済成長の時代に、あるいはバブルの時代に、30-50代で働いていた人たちの多くが、あのときの俺の頑張りが今の日本の繁栄を築いたのだ、と自負が少なからずあるのは間違いない。仕事の意味は明らかで疑う必要はなかったのではないか。(*2)

そんな人たちに言わせれば、「俺たちの時代は、自分の持ち場持ち場で、全員が全身全霊働いていた。生きるか死ぬかだ。今のやつらはなんだ、仕事の意味?そんなのは今の仕事を一生懸命やっているうちに自然に見つかるもんだ、理不尽?世の中が理不尽なのはあたりまえだろ、それは前提」などということになろうかと思う。

しかし、どこかがおかしい、何かがうまくない、給料も上がらなければ経済も停滞気味、人口だって減っていくし、老後も不安だ。周囲を見ると不景気な話ばかり目につくし、一人あたりの生産性、GDPの伸び、給料、女性の活躍度、読解力の低下、世界はどんどん伸びているのに日本は落ちこぼれていくばかりなのか、という今の時代である。自分がちょっと頑張ったところでどうにもならない、という気にもなってくる。

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今は、第四の産業革命、と言われる変革期でもある。A.I.やロボットにおきかえられる仕事、とか、日本の競争力を削ぐ余計な仕事、などなど、自分のやっている仕事が、社会への貢献どころか、存在していることそのものが無駄のように言われてしまうこともある。そして、何をしているか見えない部長や課長は老害でしかなく、意思決定を遅らせて部門の壁を作る弊害のもとである、自ら引退すべき、などと若手社員や、若き起業家、あるいは、経営コンサルタントや無責任な評論家たちから、存在そのものを否定されたりもする。

その仕事にこだわってしがみついてもうまくはいかず、自分のスキルにこだわって、転職をしたものの、いいのは最初だけ、給料は下がるし、同じ市場を相手にした同じような仕事だと、結局は同じあいかわらず「私の仕事っていったいなんなの?」という悩みが出てくる。

また、そのような環境の変化に合わせてスキルチェンジして別の分野の部門に移ることを受け入れて、さっそうと働き始めたのはいいものの、創意工夫や自律して動けるようになる以前に、やはりスキル不足で、いい仕事ができず失敗しては怒られ、能率があがらないので基本的な仕事をこなすだけで精一杯、スキルを磨く時間もとれずに、スキルの向上もままならない。以前の部門で生き生きといい仕事をしていた人であればあるほど、「私が、ここで仕事をしている意味はどこにあるのか」と悩むこともあろうか、と思う。

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ちょっとくどかったかもしれない。

さて、どんな仕事にだって自分なりの創意工夫をもって取り組めば面白くもなり、どんな点であれ認められれば、自分なりの意味を見出すことができるし、広く考えれば、会社への貢献や社会への貢献を見出すこともできる、という考え方もある。それは、上の例のように普遍的なものとして外部化されてしまったものを自らの内部に、もう一度、自分のものとして取り込む、ということである。

自ら、そのようにして、自分の仕事の意義や意味を見出し、それを社会全体の中に位置づけて理解したうえで、自分ごととして主体的に取り組むことができる人も確かにいる。しかし、私の経験を振り返ってみると、そういう人は、職場で 10% 程度しかいない。(*3)

「自分の仕事を作る」に登場する、十数人の「一流のいい仕事をしている人」に共通している点としては、そのような10%のなかで、さらに組織の限界や環境の壁を超えて、自らの場所を創って活動しているちょっと稀有な人々だ。外部化されたものを内部化するのではなく、自分の内部にあるものを追求することで、結果として、普遍的に通用するものとして外部化できているのである。

「人に感心してばかりいないで、自分がちゃんと行動しなさい。」

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そう言ってしまうと、みもふたもないのだが、どんな「仕事」であっても、何かには必ず役に立っているものだ。この世の中にあるものは、あるべくしてあるものだと私は思う。一人一人が自分の持ち場できちんと自分ごととして自分の「仕事」をしていくことで、指標がGDPなのか幸せ指数なのか、そういうことはともかくとして、世の中が少しでもよくなっていく、そういうことは間違いないと思われるからである。外部化されたものを内部にとりこみ、その限界を乗り越えて外部化していく、ちょっと抽象的かもしれないが、それがモチベーションのキーだと思う。

帯に「働き方のバイブル」とあるこの本、元旦にフォローさせていただいている方の投稿を見て、気になったので Amazon で検索してすぐに購入した。

2日の午後に届いたので、2日の晩と3日の午前中で読了、便利な世の中だ。もちろん、この便利さは国内外の多くの人の仕事の結果として成り立っている。


注記:

(*1) この「家族あるいはコミュニティや社会、そして世界に、働きかけ働きかけられ、その中でそんな周囲の環境から生きていくための糧をうけとる」働きかけのことをすべて「仕事」とする考え方もある。「勉強は子供の仕事」という言い方はそのような考え方による。「いい仕事しているね。」というのも同様だ。

新明解国語辞典(三省堂)によれば

からだや頭を使って、働く(しなければならない事をする)こと。
[狭義では、その人の職業を指す]

ここでの仕事は本の趣旨にそって、狭義とした。

(*2) 「~ないか」という書き方をしたが、私の10年以上先輩の方々の意見を広く聞いてみないと断定できないな、と思ったからだ。仕事や会社の意義に悩み考えた人も多いと思うので、ちょっと書き方はまずいような気もしている。

(*3) 私の経験は 1991年から2014年の Panasonicのいくつかの部門、2015年から今日も継続している NOKIA のみなので、それほど広くない。とはいえ、「自分の仕事を作る」にも同様に「100人のうち10~20人くらいはそういう人がいる」と書いてある。( ちくま文庫版 p.263 )
私の感覚では、世界を見渡したときに、先進国で限っても、10%をはるかに切るようにも思う、がこれはまったく裏づけはない。

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追記:

この本を読んで考えたけれども、勉強不足で発散するばかりでまとめきれなかたけれど、もっと深堀したい、そんないくつかのことを、自分へのメモとして書きっぱだが、以下、記しておく。いずれ、将来、言及することがあるだろう。ひょっとして、どなたか、意見があると嬉しい。

1. 働く意味がある、というときの「意味がある」は何をもって意味があるとするのだろうか。あるいは、なにげなく本文中でも使っている「いい仕事」はどう定義するのだろうか。

2. 時間をかけて手間をかけて作られたものは価格は高くなり、入手しにくいものとなる。自分が必要だと思うものだけを必要なだけ買って大切に使っていくのを基本としても日常の衣食住や社会インフラのすべてにそれを徹底するのは難しいように思う。このくらいでいいだろう精神で作られていて安くて粗雑なものでも当座の役に立つ、というものもうまく使う、そういうこともできるからうまく成立することもあるだろう。本来の姿ではないけれど、粗雑なものに囲まれているから丁寧なものに感動できるという面もあるかもしれない。いたずらに大量生産の工業製品を低く見るものでもないと思う。生産者の顔が見えないものでも、機能美や面白さや潤いを感じるものも多い。・・・まったく整理がついていない。

3. ワークライフバランスという言葉はどこから生まれてきたのだろう。私はワークライフインテグレーションという言葉を働き方の指針としているつもりだけれども、仕事と人生の分離はどのような過程を経て進んできたのだろうか。そして、分離している仕事と人生をうまくインテグレーションできる人とできずにバランスを求める人との差はどこにあるのだろうか。

4. 仕事と仕事する人の分離。仕事を、個人の限界を超えて進化させつつ、効率よくオペレーションしようと思えば、仕事を分解して、一つ一つ定義し、個人技ではなく、どこの誰でも同じ仕事ができるようにプロセスを定めることが必要である。つまり個人の内部から外部化することである。高品質なものをどこの誰が実施しても再現性よく作るためには大事であり、グローバル企業の成功の鍵である。定規で有効数字を切り、フォントを用意し、サイズを決め、色見本をつくり、アウトプットの基準を決める。プラットフォームを決め、標準化し、最良最高でなくてもデファクトスタンダートとし、他の国にある他社さえ巻き込んでしまう。

5. 技術者と職人の差。私は技術者は常に自分の技術を陳腐化していくのが仕事だ、と言っている。世界のどこの誰でも同じように適用できるのが技術であり、そうすることによって、自分だけしかできない仕事より大きなインパクトを社会に与えることができる。では、自分の食い扶持がなくなってしまうのでは?いや、常に自分の中で技術を進化させ続けるので大丈夫という気概が技術者には必要だ。
これも内部に持つものの外部化である。自分の財産ともいえる知識や能力を自分から分離して捉えて外部化し誰でも使えるようにする。あるいはさせられる。大事なところが、外部からも内部からも、抜けてしまい永遠に失われていく気もする。
本当にそうなのか。自分にしかできないことをどこまで大事にするべきなのだろうか。これも考察がまだまだ浅いように思う。

6. 5に関連して。ずっと以前に一緒に仕事をした半導体の加工メーカーの人に聞いた話。
「コンコンとたたいて耳をすませて聞き入り、その音で微妙に条件を変えることで最高のものを作れるんですよ、そんな技術を持っているメーカーは他にありません、と豪語するメーカーもあるけれども、それは素人ですね。」
「品質のポイントがどこにあるのかをきちんと見極めて、自分たちで装置をつくっちゃう。加工で押さえるべきポイントってのがあって、たとえば研磨機なら軸と軸受けですね、ここだけは最高のものを使う。でも、それ以外はそこらにある安い材料でいいんですよ。品質はたとえばレーザーを表面にあてて加工中に反射率を見ればいい。そんな装置は市販では売ってないけど、自分たちで作るから大丈夫。そうしてできた装置できちんと条件を決めて、品質のよくなったところで自動で止まるようにしておけばよい。」
「面白いもので、加工時間につれて品質は上がっていくけれどどこかで頂点になって、それ以上時間をかけると劣化していくんです。だからその頂点を検出できるようにするんですね。」
「そのように装置と条件と管理ポイントが決まれば、あとは、土地代の安い田舎で素人のおばちゃんたちに働いてもらえれば、最高の品質のものを好きなだけ、安くできるんです。」
「たとえば入札案件のXX、確かに難しいんです。しかし、ノウハウの固まりだという他のメーカーの製品より、ずっとよい性能のものを、安い価格で提案できて、しかも、儲けはばっちりです。」
「とはいえ、製品が儲かる時期は他社にさきがけた最初だけです。価格競争になったら撤退。装置はばらして、同じ部品を使って、別の高機能高品質の新製品の製造装置に転用します。自前の装置なので、追加の費用はいりません。」
「こういうのを技術といい、プロの仕事と言うんですよ。」

7. 高校駅伝や箱根の大学駅伝で席巻したらしい、NIKEのシューズの話は示唆的だ。一方で、イチローのためにバットを作る職人さんの話と合わせて考察すると、仕事のありかたについて考察が深まるかもしれない。

8. 未来と現在。1に関連して。仕事の意味を未来から逆算するという考え方がある。「1年後に、こういう製品をリリースすれば、1年後にマジョリティになるだろうこれこれこういう人々に、これだけの価値を提供できるので、これだけの販売と利益が見込まれます、なので、市中金利よりもよいリターンを約束しますから、これだけのお金を貸して頂戴」これによって手持ちの資産よりも大きなリソースを動かしてさらに大きなインパクトを世の中に与えることができる。というわけで、今、しなければならないことを、未来の約束から逆算することになる。一方で、未来はどうなるかをいくら考えても答えはない、とみに変化の速い昨今だ、未来に生きずに今の自分に正直に生きるのが大事、未来に魂を売るような仕事はせずに、エネルギーを今に集中しよう、結果は自然とついてくる。これらは、ちょっと素人じみた定型化をしすぎたかもしれないけれど、いずれにしても、多かれ少なかれ、意味は過去からの自分の来歴と、未来から考えるものではないだろうか。過去を自分の中で位置づけるか、未来をどう考えるか、によって、それぞれの人にとっての仕事の意味のあるなしは変わるであろう。

9. : accountability と responsibility、言われたことや決められたことしかしない、というのと、自らの責任範囲をきちんと区切ったうえで責任ある仕事を仕上げる、というのはまったく違う。一見 self-motivated でないように思えても、実際には頼りになる(accountable)、そんな人 はいるものである。仕事のアウトプットへのこだわりは大事だと思うし、「自分の仕事をつくる」と深い関係があるようにも思うけれども、どうだろうか。

10. 人間は身体の機能や概念を外部化することによって、自らの影響力の範囲と大きさを拡大してきた。外部化して共有することによって、個人の限界を飛躍的に大きく超えた時空間に、働きかけ、働きかけられることができるようになったのだ。それは、本来、内部にあったものが外部化されたものなので、本当の外部との境界はあいまいだ。たとえば包丁を使う一流の料理人や、大工道具をたくみに使う職人にとって、道具は身体の一部となり、道具を使っていることさえ意識されることはないだろう。あるいは、わからないことがあれば、スマートフォンをタップして検索すればたいていの知識を得ることができるので、自分は何でも知っていると、全能感を持つ人も多いだろう。しかして、道具が道具として意識されるのは、道具がうまく機能しなくなったときである。仕事の外部化と対応する構造的ななにかあるように思うけれども、これも、数時間で考えをまとめて書くには私の手にあまる。

11. 上記 10 で「本当の外部」と書いたが、ここでは自分のコントロールの及ぶ範囲の外側、といった程度の意味だ。そもそも、人間にとって、内部と外部の定義は難しい。明確に定義はできないはずだ。では、自分とは、自己とはなんだろうか。


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