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東理夫・馬場啓一「スペンサーの料理」

会社のデスクの引き出しの奥に非常用のアイリッシュ・ウイスキーを置いてあった、なんて言うと最近の人は、「へ?」というだけだろうか。

2000年よりも前だったから、20年以上も前だったと思う。最初の試作品を仕上げる締め切りの前、技術的な課題の解決が間に合わず、切った貼ったの最後の対策もうまく行かず、万策尽きた午前3時。実験室から引きあげて、蛍光灯だけ煌々とついて他に誰もいない広いオフィスを見渡してため息一つ。一緒に頑張っていた当時の同僚に「もう、あきらめよう。しょうがない、一杯どうだ」と引き出しの奥から Jameson と紙コップを出したら、「いえ、私はいいです。・・・・自分はコーラ買ってきます。」と目を丸くされたのを思い出す。

「スペンサーの料理」の、ウィスキーの項の冒頭に、馬場啓一はこう書いている。

スペンサーは、どの作品の中でもウィスキーを飲んでいる。オフィスのデスクのひき出しにウイスキーを入れておくと言われる古いタイプの私立探偵のフォーマットを、きちんと守っているのである。

大学のころから、ボストンの探偵スペンサーが活躍するロバート・B・パーカーの探偵小説に夢中になって、だいぶん読んだ。最初に読んだのがシリーズ2作目「失投」、「ユダの山羊」、「レイチェル・ウォルスを探せ」、「残酷な土地」、そして名作の誉れ高い「初秋」、菊池光の少し硬い感じの訳もよかったし、原書も買って貪るように読んだ。

先週、改めて Robert B Parker "Pastime" (日本語訳版「晩秋」)を買い求め、再読した。

1991年の出版でシリーズ18作目だ。「初秋」から10年あまり、成長したポール・ジャコミンの依頼を受けて、失踪した彼の母親を探しだす。対峙するギャングの親分ジョー・ブロズとその息子のゲリーがもう一つの軸を作る。親の威を借りるだけで1人立ちできずにいるくせに、それがわかっていないゲリー。そんな息子が一人前になって自分を継いで厳しいギャングの世界を生きてほしいと願うジョー。そしてジョーに長年仕えてきた片腕のヴィニーの心情の動きがまた、ほろ苦い。スペンサーが自ら語る彼の生い立ちも織り込まれ、そして、戻ってきたスーザンとのラブストーリー。家族とはなんだろうか、愛とはなんだろうか。一人前のひとかどの男と認められるにはどうあるべきか。

シリーズの中でも好きな一冊だ。

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スペンサーの魅力や、細部のあれこれを書こうかと思い長文になるなぁ、と思いつつ、しかし、先を越されてしまった。次のサイトを参照されるとよいと思う。こちらのほうが私の拙文よりまとまっているのでおススメだ。↓

ほぼ日の学校長だより「ロバート・B・パーカーの「愛」」
https://www.1101.com/gakkou_ml/2020-08-20.html

さて、スペンサーシリーズの魅力の一つは、人物描写や心理描写で、食事や飲み物ー特に酒、レストランやバー、ホテルなどの場所、服装・靴などを使って描き分けるところだ。

たとえば、"Pastime" 「晩秋」では、冒頭でスーザンとリッツに食事に行く。

Susan ordered a champagne cocktail. I had scotch and soda.
"No beer?" Susan said.
"Celebration," I said. "I'm here with you and Paul's home. Makes me feel celebratory."
"When did scotch become the drink of celebration?" Susan leaned on her chin on her folded hands and rested her gaze on me.

私の拙い日本語訳は次のような感じだろうか。

スーザンはシャンパンのカクテルを注文した。私はスコッチのソーダ割を頼んだ。
「ビールじゃないの?」
「祝福だ。君とここに、ポールの居場所にいることで、祝いたい気分なんだ。」
「いつからスコッチが祝福のお酒になったの?」スーザンは組んだ両手の上に顔をのせて私を見つめた。

スーザンは知っていてシャンパンのカクテルを選んでいる。シャンパンはスペンサーにとって大事な人と飲む特別な酒なのだ。実際、スペンサーがシャンパンを飲むのは、スーザンと相棒のホークとポールの3人だけだ。しかし、スペンサーは説明する。17歳のときに飼い犬の猟犬と父親と鳥を撃ちに行ったときに熊に襲われたこと。父親となんとか対処したこと。そのあとは猟どころではなかったこと。その晩にバーに連れてもらい、そこで初めて飲んだのがスコッチだったこと。

"'Ran into a bear in the woods today,' my father said without much inflection. He still had the Western sound in his voice. 'Kid stood his ground.'"
"The bartender was a lean, dark guy, with a big nose. He looked at me and nodded and moved on down the bar, and my father and I drank the scotch."
"And he never said anything to you," Susan said.
I shook my head.
"That brown liquor," Susan said, " which not women, not boys and children, but only hunters drank."
"Faulkner," I said.

「「今日、森で熊に出くわした。」父は大げさな抑揚もつけずに言った。父の声には西部独特のなまりがある。「が、こいつは一歩も引かなかった。」バーテンダーはやせぎすの色黒で大きな鼻の持ち主だった。彼は私を見て、そして頷いて戻って行った。そして私は父とスコッチを飲んだのだ。」
「そしてお父さんはあなたに一言もしゃべらずに飲んだのね。」
私は肯いた。(*1)
「その琥珀色の酒は、女子供ではなく、ハンターだけが飲む。」スーザンが言った。
「フォークナー」私は言った。

もっとも、スペンサーといえば、スコッチというよりアイリッシュ・ウイスキーだ。アイリッシュ・ウイスキーのことを語るだけでも長くなるので、今回はやめにしておく。

スペンサーはどの作品でもビールをよく飲む。初期のころは、オランダのアムステルをよく飲んでいた。日本ではあまり知られていないかもしれない。私はドイツ出張のときに何回か、アムステルダムのスキポール空港を経由したことがある。一回目にミュンヘンへの乗り継ぎの待ち時間に、わざわざ探し回ったら、空港内のカフェの一軒のメニューにあるのを見つけたので、以来、何度か飲んだことがある。一緒に行った同僚が瓶からラベルをはがす名人だったので、はがしてもらった。

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"Pastime"「晩秋」では、サミュエル・アダムスを飲んでいる。今やもう有名で日本でも容易に入手できるが、当時はまだ珍しかった。サミュエル・アダムスは、今のクラフトビールブームよりずっと前のマイクロブルワリーブームの先駆けとなったボストンのブルワリで、実に美味しいビールを醸造する。

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他に Catamount Golden Lager も飲んでいるが、Vermontのブルワーだろうか、私は飲んだことがないし、見た限り、今は Golden Lager は製造してないようだ。

また、スペンサーは自分で料理をするし、食べるものへのこだわりも強い。その点、恋人の(パートナーの、というべきかもしれない)スーザンは、人並みに料理が苦手だという設定で、この "Pastime" 「晩秋」の中でも悪戦苦闘?している姿を見せていて(*2)、ほのぼのと面白い。

食事のこと、酒のこと、書き始めたらきりがない。

なにしろ、1985年までのシリーズの初期の作品だけでも「スペンサーの料理」という300ページあまり、32種類の料理のだいたい5ページづつのエッセー付きレシピと、酒はビール・ウイスキー・カクテル・ブランデー・ワイン・シャンパン、そしてボストンを中心として20のレストラン情報、そんな本が出来てしまうのだ。

今やインターネットで検索すればいくらでもレシピは出てくるし、レシピ本もたくさんある。が、料理が好きでミステリが好きな方は、騙されたと思ってちょっと手にとってみてほしい。どことなく「古き良きアメリカ」への郷愁を思わせる料理とエッセイ、逆に新鮮に思えるのではないだろうか。

私も、もともと美味しいものを食べるのも料理することも好き、飲むのも好きなので、その点も楽しみだった。私は単身赴任の勤務なので、京都の自宅から離れて新横浜の事務所に住んでいる。マンションの一室を社宅として会社が借りてくれているので、事務所、と呼んでいる。スペンサーのように、ほぼ毎食、自分で楽しんで食事を作って食べている。(*4)

東理夫のエッセイはいい。同じころに出版された「ミステリ亭の献立帖」もよかった。こちらもお勧めだ。

最初の一節はポップコーンのレシピでスペンサーシリーズの第11作「告別」で始まり、最後の52節はフレンチトースト、スペンサーの第12作「キャッツキルの鷲」で終わる。スペンサーが恋人のスーザンと一時的に別れて、大河ドラマの大きな節目になったころで、実は、私はこのころから上述の「晩秋」の手前まで、あまり読んでない。

スペンサーを通じて、こういう自分でありたい、こういう生き方でありたい、と自分を投影しつつストーリーを楽しんだし、今、振り返ってみると自分で意識している以上に影響を受けていると思う。みなさんもそういう本との出会いはあるだろうか。

もっとも、私なんか、ふにゃふにゃでスジを通すこともできずに、周りの顔色を窺いながら、怒られればすぐにペシャンコ、それでも運よく周りの人達に恵まれ助けられなんとかここまで生きてきた、そんな生き方はスペンサーや彼の相棒のホークの生き方とはまったく異なる人生ではある。

しかし、それはそれで、たとえそんな自分であっても、自分のことは自分で引き受ける、という覚悟は、やはりスペンサーやフィリップ・マーロウに教わったと思っている。

この世にはわかっていても出来ないことがある。

自分の傷つきやすい心を固茹で玉子のように堅い殻で包み、非情でタフな衣もまとって卑しい街を行くところから「ハードボイルド」という名がついたとある。

「晩秋」のスペンサーは、45歳くらいではないだろうか(*3)。もう、私はその歳をとうに通り過ぎてしまった。いつになったら大人の一人前の男になれるのだろうか。

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「ミステリ亭の献立帖」の18節「ボンドが先生」に次のようなことが書いてある。

・・・いつまでたっても見果てぬ夢に近くはあっても、少年の日そのままに大事にしまっておけるのはイアン・フレミングのおかげだろう。ボンドから教わったことで、今の生活に役立つことがどれだけあるか、あやしいものだけれど、ただ一つ、人生は楽しんで生きるに値する、という彼の哲学だけはけして忘れないだろうと思う。

乱暴な「べき論」や「スジ論」ばかりで、自分のことはさておいて正義を振りかざす、自分の聞きたいことだけを聞いて共感と絶賛と賞賛を消費しつつ、聞きたくないことは深く考えもせずに全否定し声高に糾弾し、自分は正しいのだからいいのだ、バカはほっとけ・・・最近、気のせいだろうか、そんな世知辛く重苦しい雰囲気を感じさせられることが多い。

人生は楽しんで生きるに値する。私がパーカー/スペンサーに教わったことでもある。自己を律し、自分は自分で人は人、だけど、慈しみをもって人に接する、どちらかというと楽に構えてものごとにあたる、そしてユーモアを忘れずに、そんな風にこれからも行きたいものだと思っている。


■注記

(*1) I shook my head. 否定文の問いかけ "he never said anything to you," に対して no と答えているわけだ。「私は首を振った」と訳するとストレートだが、日本語だと「いや、おしゃべりしながら飲んでたよ」と逆の意味に受け取れてしまうので「肯いた」とした。

(*2) 

"Couscous," she said. "With chicken and vegetables"
「クスクス、チキンと野菜」スーザンは言った。

ポールとスペンサーと話しながらではあるが、手際が少々悪そうな感じがユーモラスに描かれている。私も今度作ってみようと思う。なに、これなら、簡単でたいてい美味しくできるだろう。

(*3) シリーズを通して、スペンサーの年齢は明かされていない。朝鮮戦争に兵役にいったことが書かれているので、1950-1953年で20歳くらいだったとするなら、1991年の「晩秋」では61歳?いやいや、感覚としては1974年「失投」のころが30歳くらい、1981年の「初秋」で35歳くらい1991年の「晩秋」では45歳くらいかな、という感じだ。兵役とは合わないが、このころのスペンサーシリーズはちゃんと年々歳をとっているように思える。これ以降、しばらくすると、時代に応じて道具立ては変わっていくし、少しづつ年齢を重ねている雰囲気もあるが、途中からほとんど歳をとることを止めてしまっている。最後のほうになると大河ドラマのような趣があったが、2010 年の "Sixkill" で新展開か、というところで、著者が天国に召されてしまった。

(*4) あまり興味ないかもしれないが、私のFacebookページは毎日の食事ばかりだ。

ひょっとして、インスタントラーメンの袋の調理例通りに作って食べるシリーズは、若干、ウケルかもしれない。

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