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長いお別れ:古本屋で本を売る

日本はシルバーウイーク、19日(月)と23日(金)が休日なので、2週連続の三連休、20日から22日の間は京都の自宅からリモートワークにすることにして、17日から京都にいる。

大事に未練がましくとっていたけれど、それに愛着もあって厳選して残した本だけど、しかしこの何年もほとんど開くこともなかったよな、そういう本を24冊、意を決して古本屋に持って行った。シルバーウイークだからということでもないし、特に計画していたわけではないが、こういうのは思い立ったが吉日だ。

P.K.ディック
上の7冊はハヤカワの。もう30年から40年くらいになるし、よく読んだが、年齢相応のヤケやシミがある程度で、比較的きれいなほうだと思う。
下の4冊は知る人ぞ知るサンリオSF文庫。ちょっとレアかなと思っていたが意外にそうでもないようだ。
チャンドラー。
創元推理文庫のは、古い文体と時代を反映した言い回しの翻訳に味わいがあっていい。


自転車を転がして売りに行ったのは出町の枡形商店街にある古本屋で、前に一度売りに行ったことがあって、そのことは以前に書いた。

この記事でも触れたが、本を古本屋に持っていくのは気分悪いことばっかりだったし、最初から「まぁ値段がつくならいいか」くらいの割り切りがある。でも、ひょっとしたら、と思ったけれど、実際、査定はペラペラとページをくるくらいで簡単に終わり、1冊10円で計240円ということだった。


チャンドラーは大学のころから好きでよく読んだし、今でもよく読む。写真の清水俊二訳のものはたぶんそのころに買って繰り返し読んだものだし、洋書も買って辞書を引きながらうんうんうなって読んだのも懐かしい。いつでも読返せるようにと鞄にいつも入れていた "Farewell My Lovely" を調子にのって人にあげてしまって、また買い直し、なんてことも2-3度あった。

清水俊二訳の名調子は好きだしカバーの絵など装丁も愛着があるが、特に思い入れの深い数冊はKindleで洋書を購入済みだ。こちらで十分だ。

P.K.ディックも、また読みたくなったら Amazon で買えばいい。そして、VALIS三部作をはじめ思い入れのあるものは、同様にKindleで洋書を購入済みだ。他に読みたくなったら買えばいい。古本なら200円そこそこで、これもAmazonで買うことができる。だから1冊10円、そんなものといえばそんなものなのだろう。

逆に言えば、なんで今までとっておいたのか、という部分はある。だからこそ思い切りというのも大事で、未練や余計な思いを持たずにぱっと手放したいと思ったら、思い立ったが吉日、というのがゴールデンルールだ。


ものを手放すというのは、ものとの関係を断つということだ。ある「もの」の意味は「もの」そのものにもとから属しているわけではなく、私がその「もの」との間に過去から築いた関係によって生まれてくる。意味に満たされた空間に生きていきたいと思ったら「もの」を手放さずにその「もの」との関係を耕していくようにすればよい(*1)。新たな未来を展望するのであれば、これから所有するものとの関係を築いていくことだ。しかし、「もの」が n 倍になったときに、「もの」との関係はn倍ではなく n の2乗のオーダーの関係が生まれてくる。「もの」と「もの」との関係も生まれるからだ。だから意味がある空間に生きようと思ったら、ものが少なすぎてもいけないが、多すぎてもいけない。

大事なのはエネルギーとエントロピーと情報の流れなのだ。

私が売った本は二束三文で買われていった。きっと1冊100円から200円までで店頭に並ぶに違いない。買いやすい値段だ。それを手にとる人がきっといるだろう。その人はその人なりにその本との関係性を築いていくかもしれない。あるいは、人から人へさらに渡っていくかもしれないし、結局は焼却場行きかもしれない。長いお別れ、"The Long Goodbye"、新たな良い出会いと別れがあることを望む。


出会いと別れを大切に。



■注記

(*1) 「もの」は物質・物体である必要はない。知識・経験・概念など情報一般でもよいので括弧つきの「もの」とした。

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