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ティモシー・アーチャーの転生:Philip. K. Dick, "The Transmigration of Timothy Archer" VALIS Trilogy book 3

私たちが作り出し私たちがその中で生きている世界は、言葉によって創造された。紡がれた書、そして様々なモノと多様な概念によって構成される。書を紡ぐ者は、この世界に侵入し支配するために、自らを私たちの遺伝子に情報システムとして組み込んだのだ。

そして書に囚われる私たちは、書を紡ぐ者が持つ生への執着に囚われ、愛する人たちの死と、そしてなにより自らの死という避けられない運命と対峙することになる。

そんな思い付きのとりとめもない言葉を頭の中で繰り返しながら 、今年2022年の2冊目の洋書、VALIS 3部作の3作目、 "The Transmigration of Timothy Archer" 「ティモシー・アーチャーの転生」を読了した。

P. K. ディックを読み漁ったのは 38年ほど前、高校のころだったと思う。「UBIK」, 「テレポートされざる者」、「シミュラクラ」、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」、長編の数々、短編集も夢中になって読んだ。なにしろ、ディックは作品数が多すぎる。有名な作品の中でも「高い城の男」や「火星のタイムスリップ」など数編未読のものがある。

敬して遠ざけていた 「VALIS」 とそれに続く 「聖なる侵入」、そしてディック最後の長編となった本書「ティモシー・アーチャーの転生」、おととしから1年に1冊づつ、ついに読み終えた。感慨でいっぱいだ。

思えば、この note への投稿を始めたのは、VALIS を読んでいる途中で、ディックの魅力について記述したものだった。

やはり原点なのかもしれない。こうして本書を読み終えて、ますます P.K.ディックの小説が好きになった。

言っておくが、とくに救いが与えられるわけでもない。学びがあるわけでもない。カタルシスもないし、ほっと心が暖まるわけでもない。未来の科学技術の輝かしさもなければ、未来のディストピアの滅びゆく風景もない。それどころか結末もないし、エピローグがあるわけでもない。幸い破綻はしていないが、矛盾と不可解さに満ちたままのヘンテコな物語だ。

つまり、私たちの人生のようにヘンテコなのだ。

以下、本書の要約を、少しばかり思ったことを添えながら書いてみた。長くなってしまったし本書を実際に読まなければ理解が困難だろう。本書を読んでも理解不能かもしれない。また、私のこの文章を読んで本書を誤解されることがあるだろうことも、よくないと思う。しかし、感想を書こうにも、内容を紹介しようにも、この本はこのようにせざるを得ないと私に思わせるのだ。

主人公はエンジェル・アーチャー、カリフォルニアのバークレーでレコード店を経営している。
物語は1980年12月8日のジョンレノンが殺害された日から始まる。その日、彼女はエドガー・ベアフットのスーフィーに関するセミナーに参加するのだ。

「こんな日にいったい誰がイスラム神秘教スーフィーのことなど気にするのだろうか?」ビートルズを聴くとジェフ、ティム、カーステンとの日々を思い出し悲しくてたまらなく泣きたくなる、とベアフットの講話が始まっても上の空だ。

彼女の夫のジェフ(ジェファーソン・アーチャー(*1))、義父でカリフォルニア教区の司教でもあるティム(ティモシー・アーチャー)、親友でティムの秘書兼愛人になったカーステン、彼らはみな死んでしまった。カーステンの息子・ビルもティムがイスラエルの砂漠で死んだ後に連絡がとれなくなり久しい。

親しい人が一人一人死んでいく。いつの間にか独りぼっちになってしまった。そして、そんなあなたも死んでいく。なんのために生まれてきたのだろうか。いずれにしても無になるのではないか。自然の法則であり運命なのだ。

そんな自然の法則、運命を打ち破る自由は私たちにあるのだろうか。

ティムはキリスト教を信じる者として、運命を打ち破る術を奇蹟に求める。ダンテの「神曲」、死海文書、ダマスカス文書などを読み研究し探し求め、 "anochi" こそが真に神聖なものであると考える。一方、ジェフは、その解をドイツ文学・シラーの「ヴァレンシュタイン三部作」とドイツの近代史、そしてそこからさらにキリスト教とのつながりの中に求めていた。その探求の過程で、ティムはエンジェルの紹介でカーステンと出会って秘書兼愛人とし、苦悩するジェフは自殺する。

ジェフの死後、ティムもカーステンもジェフの霊がこの世に帰ってきたと言いオカルトを信じこむが、その後カーステンはティムとの関係に悩んだ末、自ら死を選ぶ。

ジェフに続きカーステンをも失い、司教を辞したティムは、さらなる探求の後、イスラエルの死海へ "anochi" を求めて旅立つ。ティムによれば、 "anochi" は古代のイスラエルの洞窟で栽培されたキノコでそれを食べることで滅びゆく運命から逃れられるというのだ。ティムはエンジェルに同行を求めるが、エンジェルは拒む。そして、ティムは1人で死海に向かう道中、イスラエルの砂漠で、自身の運転する車が道から転落し死んでしまうのだ。

全編16章のうちの13章までがそこまでで、主人公のエンジェルのモノローグと、ジェフ、ティム、カーステンとの会話と回想を中心に構成され、たまの情景描写と、ごくたまに音楽が彩るくらいだ。エンジェルはキリスト教もユダヤ教も信じないが、専門が文学であり語学に精通し、詩や文学の暗唱と引用、隠喩の解釈と適用は自由自在であり、哲学と科学の素養も持つ。だから、ジェフとの会話あるいはティムとの会話は問答のようでいて、自問自答に適切に応じることによって、むしろ相手に信じる道をさらに深めるように促し、出口のない道へ追い込んでいくようなところがある。

生に執着し、書の中に救いを求めるものは、執着をむしろ深め、悩み苦しみ死んでいく。親しいものたちの人間くさい苦悩と死を次々と経験し、エンジェルは自分が機械のようになってしまった、と13章の最後で言う。思い出を大事にしまいながらも、学生のころからの住んでいるバークレーに住み続け、たんたんと自身の専門とは関係のないレコード販売のビジネスを回しているのだ。経営はうまく商売は拡大しているようだ。

14章で 1982年のベアフットのセミナーのシーンに戻る。ベアフットとの問答、そのセミナーでカーステンの息子・ビルと再会する。ビルはティムが自身の中に転生したと信じティムの言葉を話す。ビルは自閉症スペクトラムで過去何度も病院に入れられていたが、その言動によってまた病院に入れられてしまう。そして様子を見舞いに行ったエンジェルは担当医師から面会を拒絶され、しかも二度と会わないように、と言われてしまう。「あなたが彼を追い込むのだ」と。そして、最後の章で改めてベアフットとの問答があって終わる。

ベアフットは「あなたは言葉による精神の救いを求めてきてるかもしれないが、私はあなたに食べ物を与える。サンドイッチを食べていきなさい。」と言うが、エンジェルはどちらも求めてはいなかったようだ。

ベアフットはエンジェルとの面会時に衛藤公雄のレコード「箏の調べ」をかける。エンジェルはベアフットにそのレコードを買い入れることを申し入れ、最終的にビルを引き受けることを交換条件に譲ってもらう。もちろん価値があって高く再販できるからである。

ベアフットは衛藤公雄の音楽にスピリチュアルな価値を見出し、それをエンジェルに感じさせようとしたのかもしれないが、彼女は音楽的な良さを認めながらも、そのようには響かなかったようだ。

ジェフ、カーステン、ティム、それぞれ何を求めて死を選んだのだろうか。ティムが死海にまで行って求めたものは何か、ベアフットもビルもそれぞれ超然とした態度でエンジェルに説くが、それらはあくまで言葉でしかない。

また、ベアフットは、イマニュエル・カントの哲学を引きあいにだし、純粋理性と実践理性について自身の体験した逸話を通じて語り、さらに菩薩、慈悲、涅槃、悟り、解脱といった仏教も引きあいに出して、語りかけるが、そこから何かが開けるわけでもない。

私が思うに、エンジェルは強度な理性の持ち主であり、カントが「判断力批判」で説く「理性の最も卓越した使命」を十分に理解し、その使命を体現しているのだ。

目的に従って作用する原因を推及しようとするならば、我々はまったく類語反復的な説明、徒に言語を弄して理性を欺く結果になるだろう。そして我々が一旦かかる説明方法をもって超絶的なもののなかへ没入してしまうと、自然認識はもはやそこまで我々に追随することができないから、これに乗じて理性がほしいままな空想に耽ることは言うまでもない。そこでこういう不都合を予防することが、即ち理性の最も卓越した使命にほかならないのである。

イマニュエル・カント「判断力批判」(下) p.100


私たち読者は、エンジェルと登場人物との間の会話を通じ、また、引用される文学あるいは聖書の言葉を通じて、語られる言葉を聴き、エンジェルのモノローグを通じて起こったことを体験する。だが、それが何を意味するかはついぞ解説されることもなく解決されることもないのでモヤモヤするはずだ。

しかし、それは私たち自身が生きて見聞きし体験していることに他ならない。

ところで、奇妙に思われることがあるかもしれない。本書に一言もVALISは現れない。なぜVALIS (Vast Active Living Information System) なのか。なぜ、VALIS Trilogy の3部目という位置づけになるのか。VALISを読まずに本書を読むとさっぱりわからないだろう。VALISを読んでもさっぱりわからないだろう。

VALIS - 数千年来、この世界に人間を通じて異世界から侵入を試みる理性と言葉、それは生きていて、遺伝子に組み込まれ、脈々と人間を通じて侵略してきた。

滅びゆく必然と運命が支配する自然に侵入して永遠に生き永らえようとする VALIS。それは世界に意味をもたらし、矛盾を生み、そして、さまざまな形で実体化してきた。


私たちはどこから来てどこへ行くのだろうか。


■ 注記

(*1) ジェフ・アーチャーというと、イギリスのベストセラー作家、ジェフリー・アーチャーを思い出すが無関係だ。もっともディックが本書・ティモシー・アーチャーの転生を書いたころにはすでに売れていたから、ラスト・ネームはもらったのかもしれない。ちなみに、高校のころ、ジェフリー・アーチャーの小説もよく読んだ。「百万ドルをとりかえせ」や「大統領に知らせますか?」。そのうち、最近の作品でも読んでみようかなとは思っている。

■ 関連リンク

(1) エンジェルは、エドガー・ベアフットについて、KFPAの放送を通じて知ったということである。

(2) 衛藤公雄 (Wikipedia)

本書の最後のほうで、ベアフットが仏教や東洋の叡智、救いを求めてということなのだろうか、エンジェルに聴かせるレコードが  World Pacific Records からリリースされた「箏の調べ」だ。「緑の朝」「希望の光」、「春の姿」が言及されている。本書を読むまで知らなかったが、YouTubeで検索したら出てきた。


(3) ジョン・レノン、射殺される2年前にリリースされた "Double Fantasy" はヒットしたし、私は中学生のころだったはずだ、ラジオでよく聴いた。"Starting Over"が気に入っている。"Woman"も曲はいいと思ったが、あまり感心しなかった。アルバムのジャケット写真はモノクロのトーンが美しいしオシャレだとは思ったが、手元に持とうとは思わなかった。アルバムは渋谷のレコード店で何度も手にとっては眺めていただけで、結局、買わなかったので、上の2曲以外に聴いていなかった。今日、改めて聴いてみた。

渋谷や秋葉原をあてもなく彷徨い歩いたあのころの雰囲気をいろいろ思い出したが、やはりどの曲を聴いても、ちょうどジャケ写のメッセージと同様、メッセージが私にはちょっとストレートすぎたかもしれない。今でもそう感じる。

(4) ビートルズでは、Rubber Soul が本書で触れられていた。タイトルを知らずに聞き覚えのある曲が満載だ。

(4) 物語のかなり前半でティムがミサでフランク・ザッパをかけたらどうだろう、と提案するが、エンジェル以外はフランク・ザッパのことを知っていない様子だった。私は大好きだ。


■関連 note リンク

侵略する理性と言葉:P. K. Dick, "VALIS"|Shimamura, T.|note

生命の本質としての情報:P. K. Dick, "VALIS"|Shimamura, T.|note

P. K. Dick "VALIS"|Shimamura, T.|note

多極化する世界:P.K. ディック「シミュラクラ」|Shimamura, T.|note

現実は、現実という名の幻想なのか P. K. Dick "テレポートされざる者"|Shimamura, T.|note

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受苦と共感と救済の物語:P.K. Dick 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」 "Do Androids Dream Electric Sheep?"|Shimamura, T.|note


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