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【読書】永田雄三『西アジア史 2 イラン・トルコ』

山川出版社 新版 世界各国史シリーズの西アジア第2巻です。西アジアの第1巻はアラブ、第2巻がイラン・トルコ。

とりあえず、トルコ周辺の地域史をざっと押さえようという程度のノリで読んだのですが、前提知識のない中、外国の歴史を通読するのって、なかなか骨が折れますね。とても全ての時代は覚えられない。

抜粋は「第八章 現代のトルコ,イラン」からです。

── 1918年10月30日、オスマン帝国と連合国のあいだにムドロス休戦協定が結ばれた。そしてその協定はただちに実行に移され、ボスフォラス、ダーダネルス両海峡地域をはじめ、オスマン領各地が連合軍に占領されていった。同時にギリシア人、アルメニア人の組織は、独立国家樹立をめざして活動を始めていた。(P373)

── 政府と宮廷の関心は、王朝とその玉座のあるイスタンブルの保全のみにあり、それを実現するために、彼らは連合国、とくにイギリスの怒りをかうことを極度に恐れていた。その連合国は、大戦中の協定にそってオスマン領を分割する必要があったが、各国の思惑はくいちがい、同時に彼らは長年の軍役から解放されることも望んでいた。これを察知したギリシアの首相で、大ギリシア主義を信奉するヴェニゼロスは、連合国にかわってギリシアがアナトリアを占領することを提案。イギリスのあと押しでこれが認められると、ギリシア軍は1919年5月15日にイズミルに上陸し、エーゲ海沿岸地域を占領した。(P374)

── 1950年5月、バヤル(民主党)が第三代大統領に選出され、メンデレスが首相に任命された。民主党政権は、すでに47年にイノニュ(第二代大統領、共和人民党。初代大統領は同党のムスタファ・ケマル・アタテュルク)によって転換されていた政策を実行に移し、めざましい成果をあげ始めた。まず、貿易の拡大とマーシャル・プランに基づくアメリカからの莫大な援助が、トルコの農村を大きく変えた。(P391)

── 58年になると、アラブ・ナショナリズムの昂揚にともなって、トルコの西側成員としての重要性が増大したため、IMF(国際通貨基金)を通じて巨額の援助が供与され、農村部の状況は好転したが、しかし物価は高騰して都市住民の困窮は一層進んだ。(P393)

── だが同年(1974年)7月に、キプロスでクーデターがおこったことで、政局は一変する。1960年に独立していたキプロスで、ギリシアへに併合を求める過激グループが7月15日、ギリシア人将校の支援を受けてマカリオス大統領を追放し、政権を掌握したのである。これにたいし、脱出したマカリオスは国連でギリシア政府を強く非難し、キプロスのトルコ系住民の指導者も、キプロス独立を保証したチューリッヒおよびロンドン条約に基づいて、イギリスならびにトルコが軍を派遣することを要請した。イギリスが共同派兵の提案に応じなかったため、エジェビットは7月と8月の二度にわたってトルコ軍をキプロスへ進行させ、その北部を制圧した。(P399)

── そして1999年末には人権問題(クルド人問題)やキプロスとの関係修復などの条件つきながら、トルコはようやくEUの加盟候補国として正式に認知された。(P410)

第一次世界大戦直後(1919年)のギリシャの動きが、抜け目なさ過ぎて怖い。これが国際社会の生存競争なんですね。それにしても、こんなこと中高生のときの世界史で全然習わなかった気がする。それとも自分が聞いてなかっただけでしょうか。

(2013/5/19 記、2024/1/28 改稿)


永田雄三『西アジア史 2 イラン・トルコ』山川出版社(2002/8/1)
ISBN-10 4634413906
ISBN-13 978-4634413900

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