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vol.034「とがらせるのが先。整えるのは後でいい。やってもないのに『落ち込む』のは傲慢だ」

Voicyを聴いてたら、の続き。
木下斉さん『#0444 何をいうか以上に「誰がいうか?」を意識しよう!
要約すると、人前で話すとき、最初にやることは自分がどういう人間なのかいかに面白く説明できるかだ、というお話。

同じく、尾石晴さん(ワーママはるさん)『#1111 偏愛があなたのセンスとタグを育てる
偏愛とは好きx量x質xこだわり。人となりを際立たせる、覚えてもらえる、好意を持たれる効果が期待できる、というお話でした。

お二人とも、なるほど...そうだよな...と 納得感のある濃い話。ご興味あればぜひ聴いてみてください。※たまたま二つとも通し番号#がゾロ目でした。

関連して、「自己紹介」について、最近経験したことをまじえ、書き留めておきます。


1.とがらせるのが先。整えるのは後。

人前でなにかのプレゼンをするときのコツについて。結論からいうと「まず、とがった部分を洗い出す」。これに尽きる。

◆「とがるのが先」を実感した件。

すこし前、完全に初対面の皆さんの前で、自己紹介をする機会があった。
「30秒厳守で、自分は何者か、持ち味(※)は何かを説明する。聴き手にも得るものがある内容」という条件指定で、前述の「自分がどういう人間なのか、いかに面白く表現できるか」(木下さん)と非常に似かよったものだ。
これで伝わるだろうか?とか、持ち時間を守れるか?、等の心配はそのあとでいい。とがった内容を丸め、整えることはいつでもできるけど、いちど丸めたものをとがらせることは難しい。粘土や彫刻でいうと、たとえ作れたとしてもずいぶん小さく、ちぢこまった作品ができあがる。

矛盾するようだけど「小さくまとまるな!」といった"心がけ"の話ではない。明示的に、箇条書きで数えながら、「とがったネタ」を書き出す作業だ。
ともかく、このときは「インパクトがあったよ」とフィードバックを受け、聴講者の方からも、ネタを話題にして頂くことができた。

※「持ち味」とは何なのか、そもそもこのシチュエーションは、の詳細は別に整理してまた書きます。

◆印象に残るにはどうするか、考える。

所属しているメインコミュニティ以外の、自分のことを誰も知らない場で、好意的に覚えてもらいたいとき。印象に残るファーストスピーチをするに勝るものはまずない。
そのためには、まずとがった部分を洗い出すこと。特に、人とは違う部分にフォーカスすること。スケールの大小はさほど気にしなくていいし、善悪や生産性の有無も関係ない。いわゆる5W2Hで、同じことを説明するにも、具体的に描写する。

洗い出す切り口は、たとえばこんな感じ。
・多数派の人がやってない習慣
・十年単位で続けていること
・人からはこう言われる。内実はこうだ
・何が好き、もしくは何が嫌い
・習性や癖(へき)、強いこだわり

尾石晴さんの「偏愛が人となりを際立たせる」もこの一つと考えていいだろう。ネタ出しの時点では、分かりづらくていいし、地味でもいい。

◆奇策は長持ちしない。

もうひとつ、重要なのが、「奇をてらわなくていい」ということ。
作り話はもちろんNG。「事実」をもとにする。本人の自己申告で言うのがいいのか、客観的に「こう言われる」のほうがいいか、よく考える。独りよがりや内輪ネタは通用しないと思っていい。自分が面白いことは大事だけど、人が聴いて楽しいこと。一発芸はいらない。身ぶり手ぶり、ノンバーバルコミュニケーションは、内容の不足を補うものではない。
「奇策は長持ちしない」と覚えておく。
あくまで、「事実の中から、勝ち抜き戦でネタ候補を選抜していく」作業だ。

2.確度を上げるのは、「推敲」と「練習」しかない。

ネタの勝ち抜き戦をして、決勝に残ったら、次は原稿として仕上げる。ネタ出しと同じぐらい重要な工程で、ここでコケたらすべてコケる。こういうものは掛け算だから、ゼロが1つあると全体がゼロになる。

◆精度を上げるのは「推敲」しかない。

原稿=話す内容一字一句 の精度を上げる方法は「推敲」しかない。そして、推敲のコツは、【とにかく第一版をはやく書きあげる】こと。
30秒自己紹介なら、「書き上げる」というほどの分量ではない。せいぜい200字ぐらいだから、あれこれ考えずに書く。箇条書きで、短い文章を何行か書いて、計200字にする。書いてから、何度も見直しする。パソコンやスマホなら、コピーして修正して保存すればいいから楽だ。「デジタルの効用」だ。
この工程を省いて、それなりの良い原稿が出来上がることはない。あなたや私が、一筆書きで人に伝わる文章を書けるなら、今ごろ こうしてはいない。とっくに世の中に何かの形で出ているはずだからだ。

◆原稿を生かすのも殺すのも、練習だ。

そして、原稿が完成したら、練習する。
指定された時間内で収まるか。すこしゆっくりめで話しても時間オーバーしないか。声量(ボリューム)は十分届くか。声質は相手に伝わるか。ひらがなで音だけで聴いて意味が通じるか(※自分で書いた、漢字まじりの原稿を目で読んだら通じるに決まってる)。一文が長すぎないか。かたまりとして、自分も、聴いてるほうも認識できるか。メモなしで暗記できるか。

チェックして、判断するには、フィードバック機能が必須だ。録画録音するか、人に聴いてもらって指摘を受けるか。改善点を見つけたら、また原稿を微修正する。
冒頭の「自己紹介をする機会」では計9回原稿を書き直した。最終版ができあがったのは当日、自己紹介タイムの2時間前だった。

※関連した話で、1分程度のショートスピーチを自撮りするのに、途中まで行きかけてはセリフを忘れ、また進んではちょっと言い間違える。けっきょく20回撮り直したことがある。アドリブですらすら話せるほど、話すスキルが高くないからだ。

◆マイナス点を稼ぐぐらいなら、喋るな。

繰り返しになるけども、推敲せずに内容が完成することはない。練習なしでいきなりスピーチが仕上がることもない。
練習せずに本番にぶつかって、セリフが頭から消し飛ぶ。たどたどしくなる。思い出そうと、また照れを隠そうと、視線が上を見て泳ぐ。意味なく笑う。聴いているほうが困るし、「この間(ま)はどう反応したらいいの?」と戸惑う。
奇策は通じない、奇をてらうな、も結局ここに行きつく。お金はもらってないにしても、何かの立場で、引き受けて行うことを仕事と呼んでいいと思う。「見ている側に気を遣わせる」のは、仕事としてはあきらかに失格だ。
防げる失敗をしてマイナス点を稼ぐぐらいなら、人前に立って喋らなくていい。「何事も経験だから」ですべて済ませてしまうのは、こちらの都合であり、エゴだ、と考える。

◆茶化されるのは気にしなくていい。

「マイナス点を取るなら喋るな」とは矛盾するようだけど、スピーチした結果、茶化されるのは気にしなくていい。
スピーチだけでなく、自分の意見を言う。なにかの発信をする。からかわれたり、馬鹿にされることがある。ノーカウントとして良いと思っている。SNSでリスクを取って投稿したときに、冷やかしやからかいのコメントを書きこんでくる人が、こちらの人生に貢献することはない。したがって彼らを完全にスルーしようと無難にあしらおうと、デメリットは発生しない。
誰かのことを笑う者と、誰かから笑われる者と、行動を起こしているのは常に後者、笑われる者だ。

3.私たちは、落ち込むほどやっていない。

◆やってないのに落ち込むのは、傲慢だ。

練習も推敲も、量(回数、種類)に比例して上達する。放っておくとゆっくり劣化する。だから定期的にやるか、直前に詰め込むかして、右肩下がりに落ちていく線をくいっと持ち上げる作業が必要になる。
量が足りてないのにうまくいくことはない。うまくいかなかった自分の姿を見て、または指摘されて、ショックを受ける必要もまたない。「勉強してない試験の、結果に落ち込む」のは無意識の、そして途方もない傲慢だ。

似た視点で、いわゆる研修やセミナーの課題について「どこまでのレベルを求められるんですか」という質問を聴くことがある。「それによって準備に注ぐパワーの加減が変わってきます」という意図であることが多い。
難易度が高い、未知の分野の場合、ムダな質問だと思っている。この問いが成立するのは、「完ぺきにやってください、と言われたら完ぺきにできる」場合だけだ。

逆もそうで、やる前から「自分に完璧に出来るだろうか」と心配する必要もない。完璧になど出来ないのだ。先回りのしすぎ、自己評価が高すぎることによって発生する、"レベルの高すぎる心配"だと思う。

◆「頑張っただけ報われる」なんてことは起こらない。

いろいろ書いたけど、最大のポイントは、「10頑張ったら10報われるなんてことはない」という視点を持つこと。
たとえばあれこれ調べて提出したレポート、たとえば100個書き出したアイデア。それらが日の目を見る、採用される保証などなく、大半は却下で捨てられる。リスクを取ってSNSで発信しても、いいね!がつかない。コメントももらえない。
努力(のようなもの)が、結果としてムダ足になることはある。しかし必ず自分の上積みになる。この視点が持てないと、不平不満を抱く。愚痴を言う。後付けで反論する。陰口を言う、となる。

ムダになる確率を織り込んで、練習なり準備なりする。あらかじめ当たりクジだけを選ぶことができない以上、ムダは「心づもり」ではなくて必ず発生する。システムの一部だと考えるのが正しい。
だから、できそうなことを洗い出して、「大胆な仮説」を持って進めていくことが大事だ。「仮説を立てて進める」ことは、「間違ってるかもしれない場面で選んで宣言する」練習だから、かならず自分のためになる。

となると、まず「いま立てられる仮説は何だろうか」と考えるわけだけど、これが難しい。人は、まだ体験してないこと、知らないことを考えることができないからだ。

長い短いの違いがあるだけで、必ず終わりがくると分かっている人生で、全員が味方になるということはない。敵を作らないわけにもいかない。
けっきょく、有限な時間を何に使うか問題に戻るのだけど、短いスパンでは「印象に残る自己紹介はどうするか」。長い目で見ると、「人の記憶に残って、忘れられないか」。
改めて、これから考え続けるテーマだと思っている。


以上、木下斉さん、尾石晴さんのお話から、すこし前に体験したことを踏まえての備忘メモでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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