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vol.043「父からの手紙:"似たものどうし"からもらったギフト」

子どもの頃から何十回と聞かされた、"世界のクロサワ"のエピソード。ふと思い出して、メールで聞いてみた。

息子:
「黒澤明監督が映画制作会社から『予算がかかって赤字続きです』と言われて、『そんなに言うなら儲かる映画を作ってやる』とタンカをきってといってヒットさせた作品って何だっけ。 用心棒かな。七人の侍?」

父親:
「それは『用心棒』だ。
『七人の侍』は凄く大がかりな作品だった。

・村人は子どもまでセットの家をそれぞれに割り振って住まわせ、そこの住人になりきらせた。
・家が燃える時は「異常乾燥注意報」が出ていて、画面の外には消防車がズラーッと待機してた。
・最後の大雨の中の戦闘は前日に大雪が降り、それをホースの放水で溶かして行われた。監督が凍傷になったり、俳優さん達は夏の姿で泥水の中を走り回ったりした。設定は麦刈りの季節なのに、白い息を吐いている。

このように手が込んでいたから、物すごく金がかかる。
東宝の社長たちが、なんとか撮影を打ち切らせようと「いままで撮っているのを見せてくれ。そこらで適当に纏(まと)められないか」と言ってきた。
黒澤監督は、野武士が攻めてきて三船敏郎が指さすシーンまでを見せて「出来ているのは、ここまでです」と言った。監督の勝ちだ。もちろん撮影は続行された。
『じゃあ今度は会社を儲けさせます』と作ったのが『用心棒』。ほとんどあの村だけで撮影が済んだ。
蛇足だが、『天国と地獄』も真冬に撮影された。刑事たちが汗だくで歩いたり、会議では扇風機や扇子を使っているけど、富士山が真っ白に雪を被っている。」

注:実際のメールを、かなり要約してます

一を聞かれたら十答える、ということわざは無かったと思うけれど、そんな圧を感じた。
理屈っぽく、能弁で説明したがり。基本的に自分が正しい、自分にはセンスがあると思っているー。ちょっと厄介な親父だけど、大人になって振り返ってみると、そうしてもらって良かったなと感謝していることがいくつかある。書き留めてみます。

1.大人扱いする。

◆「嘘はつくな」の縛り

小学校低学年だったと思うけど、授業の宿題で「お父さんお母さんに名前の由来を聞いてくる」というものがあった。由来(拓也)を聞くと、「自分の人生を自分で切り拓いてほしいからだ」と教わる。同じく小学校の宿題「子どもに期待すること(ポリシー)を聞いてくる」の回では「嘘をつくのがいちばんいけないことだ」と言われる。
結果、人生の重要な選択で誰かに相談したことがない。また嘘をつくのが非常にストレス。仕事や人間関係でごまかしたいときは、明示的な嘘をつかないよう、会話を組み立てている。
例外は、合わない人との食事・飲みの場で、用事があることにして断るか、会の途中でさきに辞去している。つまり、嘘(方便)を使っている。

◆箸の持ち方ひとつ

父が釣りをすることもあって、食卓には刺し身や煮付けが並んでいた。記憶では小学校に入る前から、ふつうに半身や一尾が与えられ、箸で骨をむしって食べていた。数十年経ったいまでも魚むしりは上手なほうだ。
前段で、箸の使い方も教え込まれ、少なくとも持ち方で人前で恥をかいたことはないように思う。(注:あくまで当人の主観であり実際はどうかわからない)
箸の持ち方、食べ方、そして食べ物を粗末にしないこと。好き嫌いを許さず何でも食べさせられたことは、大人になって深く感謝したことのひとつだ。

2.学びと遊び。

◆制約を設けたこと

特に中学生ぐらいまで、けっこうな影響を受けたのが、「テレビを自由に見せない」方針(1日30分または1番組)だ。なので、「ベストテン」や紅白に出るクラスの歌手、アイドルをまったく知らないかわりに、『ああ無情』『巌窟王』『大勇士ルスタム』『ジャータカ物語』など読んでる小学生だった。あるいは、高校生のとき『ダイヤモンド』を歌ってるバンド(プリプリ)を知らなかった。
同じく、おもちゃ(TVゲームやラジコン)をおいそれと買ってもらえず、こちらはさほど困った感覚がない。かわりに父の会社でいらなくなった裏紙、色鉛筆など画材は大量に与えられ、絵を描くのが遊びであり、趣味になった。弟が開発した遊びを真似ていた。創造性が乏しいかわりに模倣・修正・再加工が得意で、紙で 糊しろ付きの 複雑な立体を組んで、テレビで放映されるヒーローものの、架空のメカを作ったりしていた。
いわゆるお小遣いももらわず、高1から毎月 3,000 円を条件交渉して勝ち取った。お年玉も親に預けていたように記憶している。友だち付き合いなどどうやっていたのか。小3か小4の頃に「毎週 100 円」を条件交渉してもらいはじめたが、使うわけでもなく、親も当人も4週間で忘れてしまいそのままだった。400円が貯金箱にいつまでも残っていた。

◆本を読むこと、文字を書くこと

テレビを見せないかわりに、本は知人から譲り受けた「世界の名作文学全集」などふんだんに与えられた。父の本棚にある野生動物観察や釣り等のドキュメンタリ、小説(吉川三国志など)も勝手に読んだ。小学校の図書館で、ピーク時は1日1冊(借りたその日に返すことはできないから早さの上限)借りていた。「本を読むのが好き→文字・文章に慣れる→国語全般が得意」はずいぶん役立った。大学入試まで、「国語の試験勉強」はほぼしたことがない。
世間の常識的な話題についていけないことは痛かったけど、かわりに差異化・希少性につながった。

子ども時代の環境に影響を受けたこと:まとめ
◯ 受動的・刺激的なおもちゃ(テレビ、ゲーム)の代わりに、能動的・情報量の少ないおもちゃ(本、紙・絵描き)を与えられたことは、半生をトータルで見ると得している。良し悪しはともかく希少性の面で 人と違う物ごとの考え方が形成された。

△ 小遣い制にせよ アルバイトにせよ、「お金を使う経験」(もらう・欲しいものを買う・失敗する・稼ぐ・親の財布からくすねる等)を積むのが遅かったことは、二十代ぐらいまでの人生の可能性を狭めたと自己分析。世の中の仕組みに気づくのが人より遅くなった。

◯ 人に相談せず決定できる=自分の人生に起きたことを人のせいにしない感覚は、大きく役に立っている、資質(資産)だと考えている。有能とか優秀よりも、重要な性質。

3.価値観。

◆男女平等的な思考

フルタイム共働きだけど母のほうが家事負担が大きかった(特に毎日の食事)。一方で、病気がちで入退院していた母の不在時は、父がすべての家事をしていた。私たち子どもも多少の手伝いはしていたけど、働きながら、朝夜ごはん+中高の弁当づくり(当然それに買い物がつく)は本当に偉かったと思う。父の世代(戦前生まれ)だと「男が買い物に行けるか(スーパーマーケットなど入れるか)」という価値観の人もいると聞くので、珍しいほうだろう。
父が台所に入り、いわゆる炊事洗濯をすべてやる、という環境のおかげで、自分もそれが当たり前と思って育ち、のちに役に立った。いまでも家事は(苦手得意はあっても)一通りなんでもやれる。

◆人生観と行動

「自分の人生を自分で切り拓いてほしい」にも表れているように、家訓というのか教わった価値観をおおざっぱに要約すると、「自分で考えて自分で決める」「弱いものいじめをしない(加担しない)」「権力(者)所与の条件と思ってることに対して無批判でいるな」ぐらいか。
「自分で決める」が一番効いており、重要な選択イベント(高校/大学選び・就職先・結婚 etc.)はすべて、自分で決めてから親に報告(学校は学費を出してもらう)してきた。
「男女平等的な思考」は、仕事で女性のチームメンバーがいた際に、話をする/聴く、さまざまな場面で有益だったと感じている。


くだんの『七人の侍』、Wikipediaにも、これからクライマックスというところで試写フィルムを終えたくだりは登場する。ハッタリでなく本当に撮ってなかった。いわく、「こうなると予測して、肝心な決戦を後回しににして撮らなかったんだよ」と。
村人役をセットの家に住まわせ なりきらせた話は、出ていない。本当ならすごい。いかにも黒澤監督ならではのエピソードだ。

なお、冒頭の引用メールはなるべく読みやすいよう、【かなり短く】要約したもの。実際の記述はこんな感じだ。
いよいよ作品が核心に入っていくあたり。茅葺きの屋根の上に例の幟、守る側の旗印を掲げに上がった三船敏郎が野武士を指さし『来やがった!来やがった』と叫ぶ。

・・・うん。わかったよ。「例の幟(のぼり)」は、百姓と六人の侍と菊千代(三船敏郎)を表した旗のことだよね。いくさには旗が要るだろうと、平八(千秋実)が作ったやつ。わかったけど、長いわっっ!
これではまるで講釈師ですね。

理屈っぽく、能弁。説明したがりで自分が正しいと思ってる戦前生まれ。ひとまずまだ元気にしています。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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