vol.170「かわいげのない男たち。最後の教育者。」
8月15日。終戦の日です。
何年か前、「夏休みの読書」的に手に取ったら引き込まれ、読みふけった本たちから。
◆勝ち目のない戦い。
2014年、山本五十六が認めた書簡や極秘資料が公開された。資料を保存していたのは、海軍兵学校の同期で「一人の友を得」たと言われた堀悌吉だ。
「巨大戦艦を造るなんてもったいない」の正しさはレイテ沖海戦や坊ノ岬沖海戦で明らかになりました。一方、全てのリソースを航空機に投じていたら戦争に勝っていたかというと疑問で、おそらく負けたと想像します。
B29をはじめとする米国の航空能力に、日本の飛行機の性能では太刀打ちできなかったのです。
・空気密度の薄い上空では、過給器を備えない日本の戦闘機は操縦性が極度に悪化する。エンジンは高度六千メートルで半分に出力低下。機関砲は凍結して発射できない。
・B29は気密室で酸素マスクなしで自由に行動ができた。小型計算機によって距離・高度・温度、機銃掃射までコントロール。遠隔操作による機関銃と機関砲。航続距離一万キロだった。
・日本軍のレーダーでの遠距離捕捉は困難で、八丈島で機影を捉えて本土に通報しても迎撃機が離陸するまでに30分。高度1万メートルまで上昇するのに60分。計90分。B29の東京上空への所要時間は60分。
精神力で逆転できる差ではなく、物理的に勝てるはずがない戦いでした。
「海軍=善玉、陸軍=悪玉」とか「山本五十六だけは判っていた」とか、単純な話でもない。
ただ、
・山本らがどうやら非主流派であったこと。国、またが軍部の将来を案じ、苦労、苦悩をしょい込んだこと
・成功にまぐれはあっても、失敗に偶然はないこと。かならず要因があり、失敗するべくしてすること
・歴史を掘り起こす作業は、確からしい一次資料、複数の関係者の証言があって、はじめて成り立つこと
これらはまちがいなさそうに思えます。
◆閑職に回された兵学校首席。
堀悌吉については恥ずかしながら「名前を聞いたことがあるような無いような」ぐらいでした。
海軍兵学校を首席で卒業。英才として知られ、「堀が要職に就いていれば歴史の展開が違った」と少なからず言われもし、軍の主流派からは危険思想扱いもされたそうです。
知らないことを恥と思わないこと。精神論に拠らないこと。事実をもとに理性で考えること。目上に恐れ入らないこと。弱い立場の人々を慮ること。面倒な手間を惜しまないこと。私欲を排除すること。他者(主権者)のために働くこと。少数派であること。孤高、孤独に耐えること―。
置き換えてみると、80年前にかぎらず軍隊にかぎらない。
多くの凡人が見習うべきは、山本の分かりやすい英雄像ではなく、堀のようなブレなさ、私心のなさ、優しさ、強さ、謙虚さなのだろうと感じた一冊でした。
◆最後まで教育者だった人。
井上成美(せいび/しげよし)、同じく、関連書籍を読むまでほぼ知らなかった人物です。
海軍では非主流派、堀とおなじく閑職にまわされた、"かわい気のない男"。
自由裁量の話、個性を重視する持論、英語の授業を最後までなくさなかった知見など、しびれる格好よさです。
子どもたちに、「約束した時間に遅れないこと」と説く一方で、道草を許し、推奨した。「たくさん歩いていろんなものに触れなさい。ただし遅れて来たらキチンと理由をいって坐りなさい。こそこそ坐るのだけはやめなさい」と話した(遅刻の理由ももちろん英語で聞き、英語で答えさせた)。子どもたちの未来に期待し、託し、寛容に受けいれた。教育者としての器量と、きまじめさを感じます。
三人の提督のうち、エピソードの軍事分野に閉じない幅広さ、参考にしたい点では一番でしょうか。あとがきに、「経営者たちが読み、自社の社員に薦めた」とある。それもそうだろうなと、納得しました。
歴史に対する解釈、軍隊や戦争というものに対するスタンスは、人それぞれでしょう。しかし、残された記録、特に出版物にまずは当たってみることの重要性については、異論が出ないのではないかと思います。
先の大戦で命を落としたすべての人々、特に非戦闘員の犠牲者の方たちに、国境を超えて、哀悼の意を表します
最後までお読みくださりありがとうございます。
※8月15日は日本における終戦記念日。旧連合国における戦勝記念日は、日本政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した9月2日、または9月3日(Wikipediaより要約)。
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