「生まれ」による教育格差は...

この本を紹介したい。

松岡亮二氏によるこの著書は、いわゆる「教育格差」について、複数の量のデータとともに、冷静に分析しているものである。複数のデータ、というのは10個、20個とかそんなものではない。参考文献の数も、脚注の数も、1000円ちょっとで購入できる新書のそれではない。1000円ちょっとで、本当にいいのか!?と思うほどの質と内容であり、是非オススメしたい。

ただ、読後感は非常に重い。読後感というより、読「初」感も、読「中」感もとてもも重い。(完全な造語だが)

数字による裏打ちがある主張は、これほどまでに説得力があるのか...と思った。

本書の簡単な構成は、以下。

まず初めに教育格差について、親の学歴が子に与える影響や出身地域による学歴の格差、また、教育への意識の格差があるのではないかという問題提起から始まる。

その後、幼児教育〜高校まで、それぞれ章を設けて具体的なデータとともにその格差の実態に迫る。さらに第6章において、国際比較で浮かび上がる日本の教育格差の特徴について述べ、最終第7章では著者なりの提案がなされる。

もしこの記事を読んで下さる方がいるなら、少しでも目を通してほしい。何か感じることがあれば教えてほしい。一緒に考えてほしい。私は教員の端くれ(公立の)であるから、「教育格差」という言葉に反応せずにはいられない。この、教育格差は、学校の問題だけでは無いのだ。これは、自らの教育的責任、教育的使命をどこかへ丸投げしているということでは無い。当然、教育者として何をすべきかを考えながら、今後も教育活動を行うしかない。それは分かっている。格差も無くしたい。ただ、この格差を生み出しているのは我々教員や、学校だけでは無い...。


簡潔に申し上げよう。

「生まれ」による教育格差は、存在する。

ああ、こんな文章は書きたくない。そんなものはない、と書きたい。しかし仕方がない。これは、厳然たる事実だ。

詳しいデータは本書にこれでもかという程示されるので譲るが、簡単に言うと、「どこ」で生まれ、「誰に」育てられたのかによって、教育格差が存在する。

例えば、親が大卒であるのか、そうでないのかが子供の学歴に大きく関係している。想像に難くないだろう、父親と母親が共に大卒である子供が大卒になる割合が高く、親の片方が大卒である子供が大卒になる割合が次に高く、親に大卒者がいない子供が大卒になる割合が最も低いのである。

そしてこれは、何も「頭の良さ(ここではいわゆる勉強ができること、学歴)」が子供に遺伝しているから、ではない。

いくつも要因があるようだが、例えば分かりやすいのは文化資本の差だ。

両親大卒の家庭では、単純に蔵書数が多いようである。親が読書する姿が、子供の目に映り、いつしか真似るようになる確率は高い。本を読むことで、語彙や知識が身につくだろう。

また、多くの音楽を聴いたり、家族で各地に旅行に行ったりする機会も、多いようである。美術品等が家に置かれている場合もあるだろう。それは、大卒者である方が単純にこれまでの日本の雇用市場において有利であり、給与が高いために為せる技だ。そしてこれらは、学校教育との親和性が高い。

また、子供を早い段階から幼稚園に預けようということにもなるし、他に習い事をさせてより広く物事を学ばせよう、ということになっていく。

そうすると、幼稚園に入る段階で比較しても、小学校に入る段階で比較しても、子供達が歩んできた人生は全く違うものになるのだ。

そしてこれらは、地域によってもかなり差があるという。簡単に言えば、三大都市圏とその周辺地域に居住する家庭の方が、その子供が大卒になる割合が高いのだ。

全国の教育水準がある程度一定に保たれることを期待され、学習指導要領に基づいた教育が全国の公立学校でなされるが、それも地域によってかなり差がある。要は、高校や大学に入るためにもきちんと勉強をすることが割と当たり前な風土下にある学校と、そうではない学校が存在するのだ。本書によれば、親のどちらかが大卒者である割合が、100%の学校と、0%の学校が存在するらしい。

...と、こういった内容が、大量のデータと共に次々と紹介されていく。

当然、例外の子供もいる。親の学歴がたとえ低くても、子供は有名大学に進学するだとか、そういう話がないわけではない。

ただ、本書を読んで思うこととしては、やはり「生まれ」による教育格差はあると言わざるを得ない。

この本は、膨大な知識量、データ量なので簡潔に説明することが私の言語能力では不可能である。あとは読んで頂くしかない。笑

中途半端だが、時間がない。一度ここで本記事を終了させていただきたい。






























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?