〜もう一度「令和」を考えよう〜

さて、今年は記念すべきオリンピックイヤーである。日本で最後に夏季オリンピックが開催されたのは、1964年だから、その時生まれた赤ちゃんは今年で56歳になる。丁度、お笑いのダウンタウンさんの年齢がこの辺だった気もするなあ。

そんな中、日本は令和二年を迎えた。恐らく、この令和二年=2020年は、日本にとって激動の一年になる気がしてならないが、ここではひとまず「令和」についてもう一度振り返りたい。

あの新元号発表の日、日本国民は新元号について、どう感じたのだろうか。発表直後の全国紙の世論調査では、およそ7割の国民が新元号に好感を持っていると回答しているようだ。

更に、『万葉集』が典拠となったことは記憶に新しい。具体的には、『万葉集』巻五の、「梅花の歌三十二首幷せて序」を出典としている。

私は、『万葉集』が典拠であることを知った時、とても胸が躍ったのを覚えている。恐らく同じように感じた人も多いのではないか。

ではなぜ、胸が躍ったのか?!あるいは、胸を躍らせた国民がいたのか!?それについて少し説明しよう。

『万葉集』は、約1200年以上前に編纂されたとされる、日本最古の和歌集である。そしてここには、農民、防人、下級の役人など、いわゆる特権階級ではなく一般民衆、一般庶民とも言うべき人々の歌が収録されている。


だけではなく!なんと、遊女、乞食などの最下級の人の歌までもが収録されているのである。これは、実はとても驚くべきことである。

まず第一に、1200年前の日本人が、身分の上下に関わらず歌を詠むことができたということが衝撃である。それはすなわち、身分に差があったとしても、多くの人間がきちんと言語を理解し、歌を詠むとは何たることかを理解していたということだ。

また、歌を詠むという行為の前では、その身分は一切関係なく、人間は皆平等であるという価値観が既に存在したことを意味する。

これらの先進性が、同年代の他国にあったのだろうか??真相は誰にもわからないが、私は日本人として、我が国日本に誇りを持つことができる。『万葉集』は、世界に誇るべき文化と言って差し支えないだろう。

それ以前の元号は、基本的に漢籍典拠であったから、今回のように国書を典拠とするのは初めてのことである。

それは、これから我が国日本が、伝統を重んじるとともに、新たな時代を創っていくという期待を込めたものであると私は解釈している。

令和は、恐らく日本も、世界も、大きく変化する時代になるだろう。そのような中で、守り抜くべきものは頑として守り、変えるべきものは変えていく勇気を持たなくてはいけない。

令和という元号には、そんな意味合いが含まれていると思っている。

私自身も、新たなことにチャレンジしていきながら、自分を成長させていきたいと思う。このnote もその一環であり、本当にまだまだ未熟なのだが、徐々に自分の思うこと、書きたいことを素直に表現し、一人でも多くの人の目に留まるようになれば幸せだと思う。


では!











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