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【1度目の妊娠と流産①】夏の終わりにやってきた命

わたしが初めて妊娠できたのは、2018年の夏。当時34歳。
何度か夫婦で子どもをもつか否かの話し合いを繰り返し、高齢出産に該当する35歳を意識して妊活を始めた。
(夫婦間での子どもに対する価値観については、また改めて文字にしたいと思う)

この記事では、初めて妊娠できたときの思いについて書いた。
3年近く経った今でもありありと思い出すことができる。時間がかかったが文字にしようと思えるようになった。
わたしの人生の中ではこれ以上つらいことはなかったので、時間の癒やしが必要だった。時間がかかったのは、わたしのものぐさが原因もあるけど。

1. 忘れられない夏をもっと特別にしてくれた命

その年の夏休みは、感動的に楽しかった。
モロッコに夫婦で旅をし、帰国の翌日から毎年恒例のFUJI ROCKに向かった。
わたしたちの人生の1ページを鮮やかに彩ってくれた夏で、そのときは子どものことは忘れて、大いに遊び、飲み、語らい、笑った。

「もう当分自由に遊べなくてもいいや」そんなふうに思うくらい遊びきった夏休みが終わりに近づき、そんなわたしたちの心情を察したのか、初めての命がやってきてくれた。

2. ずっと期待していたい。なかなか試せない妊娠検査薬

妊活を開始してからの半年、何度も妊娠検査薬をフライングで試しては、浮かび上がってこない判定線に肩を落とし、当然のようにやってくる生理を恨めしく迎えていた。
検査薬では陰性なのに、「生理がこないかもしれない」と期待してその度に裏切られていた。

買っておいた生理開始予定日から使える妊娠検査薬。生理予定日が近くにつれ、わたしはいつものように落ち着きを欠いていた。
試そうと思っていたその日は、感情に振り回されてもいいようにあらかじめ自宅でリモートワークにしていた。

夫は普段通り早朝に仕事に出かけていき、家にはわたし一人。
今月は大丈夫かもしれない、いやまたダメかもしれない。揺れ動く気持ちの中でなかなか試せないでいた。
結果は一つしかないのだから早く試せばいいのに、いつもぐずぐずと試せないでいる。ダメだったときにその事実を突きつけられるから。ダメだとわかってしまった瞬間、期待すらさせてくれなくなってしまう。
感情がやじろべいのように揺れ動き、「なんかちょっと疲れたな」と妙に冷静になれたとき、トイレに向かった。

3. 初めて見た縦線。揺れ動く感情

数秒後、検査薬にはっきりと出た縦線。
正しい使い方だと、尿を試薬にかけてから1分程度で判定されるとのことだが、陽性の縦線はあっという間に現れた。明らかにいつもの陰性のときとは違う。
ぼんやりと、でも徐々にはっきりとしたものになっていった。

その線をはじめて見た時、いろんな感情が入り混じって湧き上がり、どれくらいの時間だろうか、ただじっと見つめていたと思う。
妊娠がわかったらきっと飛び上がるくらいに嬉しいのだろうと思っていたけど、意外にもそのときの感情はシンプルではなかった。嬉しさと同時に、これからガラリと変わるであろう自分の人生への不安も一瞬のうちににじみ出していた。
「夫に伝えたらどんな反応が待っているかな」とか、「職場にはどのタイミングで伝えるべきなのか」とか、現実的なことも頭をかけめぐっていた。

あ、わたし結構混乱しているな(笑)と思い、ひとまずトイレを出てリビングに腰を下ろして、しばらく縦線を眺めていると、ゆっくりとじっくりと喜びと感動で胸が満たされていくのがわかった。

その日の夜、帰宅した夫に検査薬の結果を伝えると、第一声で喜んでくれた。喜んでくれて安心した。
喜びと同時に彼の表情からわたしと同じような複雑な思いが窺えた。そうだよね、そうだよねと同じ気持ちでいることが嬉しかった。

4. 脈打つ心拍、エコー写真

早く産婦人科できちんと検査を受けたかったが、生理予定日の2週間後にくるようにと病院から言われて待つことに。待ちきれず、少しでも安心したくて違う種類の検査薬を何度か試した。濃くなっていく陽性の縦線にほっとしながら、通院の日を待った。
妊活って待つことばっかりだ、と思った。

病院での判定の結果、無事妊娠がわかった。心拍も確認できて、音を聞かせてくれた。身長3mm程度の体の中にある小さな小さな心臓でもちゃんと鼓動が聞こえる。エコー写真を手渡され、あぁずっとほしかったやつだ、と改めて喜びがこみ上げた。

夫婦で楽しみきったと思ったときにやってきてくれた命。なんて空気の読める子なんだろうともう親バカな気分だった。

そのときは流産の「り」の字も頭になかったわたし。もうすぐその心臓が動きを止めてしまうとは考えもしなかった。

次の記事では、短かったけれど感動と発見に満ちた妊婦生活について書きたいと思う。

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