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【1度目の妊娠と流産②】短かったけれど感動的だった妊婦生活

産婦人科医からの「おめでとうございます」の言葉はとてもわたしを安心させてくれた。
今までに感じたことのない喜びを味わいながら、やっと訪れた妊活の終わりにほっとした気持ちも大きかった。
数週間後、小さな鼓動が止まってしまうとは夢にも思わず、これから訪れるであろう新しい生活に思いを馳せまくっていた。

1. 夫からのプレゼント

産婦人科で妊娠が判定された翌日、夫が花を贈ってくれた。わたしの好きな色を詰め込んだNicolai Bergmann。
ちょっとぎこちなく、照れを噛み殺しながら花を手渡す夫。
当時の彼は子どもがいてもいなくてもどちらでも構わないと考えていた。そんな人でも妊娠の喜びと、わたしへの労いの気持ちを花にしてくれたことが嬉しかった。
そして彼もこれから待ち受けるさまざまな変化を想像していたのであろう。満面の笑みというのではなく、表情に少しばかり複雑な色が混じっていた。

この日から仕事に行くときは毎朝マンションのエレベーターの中でお腹に手を当て、
「今日も一緒にがんばろうね」
「お付き合いよろしくね」
と呼びかけるのがわたしの日課になった。

2. 誰かの何かになるということ

数日後、二度目の検診でも心拍が確認でき母子手帳をもらってくるように言われ、「あぁ、わたしも母子手帳をもらえるんだ」とじわわわわわーっと感動していた。

区の施設で手続きを終えて手帳を受け取り、帰るときに出口を間違えそうになったわたしに、職員の人がとっさに「お母さん!そっちじゃないですよ」と呼びかけてくれた。
当然ながら「お母さん」と呼称されたのは生まれて初めてで、頭の中で「お母さん=わたし」という等式が成り立たず、一瞬フリーズ。
軽く衝撃を受けきっとわたしは妙な顔をしていたのであろう。職員さんはちょっと不思議そうな顔をしていた。(それにしてもそんな細かいこともよく覚えているなぁ)

職員の人の呼びかけに、実感のないまま「お母さん」という言葉が頭の中に響いていた。
今まで誰かの娘であり、彼女であり、妻であったが、これからは誰かの母という属性が追加になる。
誰かの何かになることって一生のなかでもそんなに多くないことに気づき、人生のステージが変化することに不思議な感覚が広がり、そして感動していた。
当時のわたしは妊娠がわかってからというもの、小さなことにいちいち感動していた。

3. 妊婦しか買わないもの・買えないもの

妊婦しか買わないもののひとつで、妊婦しか買えないものが母子手帳ケースだろう。

母子手帳を交付されたことで妊娠していることを証明をしてもらえ、母子手帳ケースを買うことを許されるのではないだろうか(誰の許可が必要ということではないけれど)。
そしてケースに入れて大切に扱うことで、手帳を携帯することが認められるような気がしていて、絶対ほしいと思っていた。

わたしは昔から持ち物にこだわるタイプで、カバンの中のものはすべて誰に見られても恥ずかしくないお気に入りたちだった。
そんなお気に入りに加わる「母子手帳ケース」。もちろん変なものは持ちたくないし、取り出す度に心くすぐられるものがいい。

選んだのはファミリアのもの。
タータンチェックにくまの飾り。ファスナーには小さなさくらんぼのチャームが付いている。生まれてくるのが男の子でも女の子でもいいような、可愛すぎないものを選んだ。

銀座の店舗はあたたかい木目調で日当たりがよく、吹き抜けのガラス張りの窓からは明るい日差しが入っていた。
1階ではマタニティ向けのイベントが行われており、今度是非わたしも行きたいと思ったことを覚えている。
2階にはマタニティマークをつけた女性とそのパートナーの男性がほとんどで、わたしも妊婦に対する優しい接客を受けた。

4. 検診が待ち遠しかった

次の検診で赤ちゃんの元気な姿が確認できたら、母子手帳に夫婦の名前を書こう。新しいお気に入りのケースに入れてあげよう。
お互いの両親にも報告してもいいかもしれない。
そんな思いで数日後の検診を待っていた。

その間に赤ちゃんは心臓を動かすのをやめてしまうのだが、次の記事で流産の診断がされたときについて書きたいと思う。

初めて流産してしまった当時は、こんなにつらいなら妊娠なんてしたくなかったと思ったこともあった。妊娠していたことをなかったことにしようと気持ちに蓋をしたこともあった。
でも、今振り返ってみると短かったけれど妊娠期間は幸せだった。
自分の気持ちにこんな変化が生まれていたなんて。noteに当時のことを記していくまで自分自身でも気がつかなかった。

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