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子供を天才にする4つの要素

自分自身も子供にも才能ある人間になってほしい。そのためにも、天才や成功の研究の本は一通り読んでみた。その中から三つの要素を抽出した。


1.一つにのめり込む前に知識の幅を広げたほうが成功する
2.成功の要因は、才能ではなく目的性訓練の量である
3.天才は才能ではなく好機で出来上がる
4.ラーニングゾーンに意識を向けられる
5.まとめ


1.一つにのめり込む前に知識の幅を広げたほうが成功する

RANGEを読んだ。一流になるには、一つのことにのめり込んで時間をかけることが良しとされがちだが、初動は幅広い経験をしながらフォーカスポイントを見つけた人が実際は成功しているよということを論証する本。

このように、一般的には、エリートは努力量であるというのが、信じられている論理である。

エリート選手はそのピーク時には、確かにエリートではない選手よりも多くの時間を意識的な時間に費やしている。

この件には実際に著者も同意している。しかし、

しこの本が示しているのは、実際はそれはのめり込んだ後の話であり、その状況まで行く過程では、幅広い経験を積んだほうがいいよというのがこの本の主題である。

やがてエリートになる選手が意識的な練習に投じている時間は初期の頃は他の選手よりも少ない。

その代わりに、エリート選手は研究者が「体験期間(sampling period)と呼ぶ時期を経ている。その間にさまざまなスポーツを、大抵は自由に、あるいは緩い枠組みの中で経験している。そこで幅広い身体能力を育み、自分の力や性質を知って、その後で専門とするスポーツを決めて、集中的に練習に取り組んだ。

というのがファクトだったのだ。初期は幅を広げて、本気を出すときに主体的に選択させるのが成功パターン。

2014年の終わり頃、ちょうどドイツがW杯を制した後に、ドイツの科学者のチームが絶妙な退院ぐで研究を発表した。それによると、ドイツ代表の選手の多くは、サッカーに的を絞った時期が遅く、少なくとも22歳までは、アマチュアリーグ程度の緩い枠組みでサッカーをしてきた。子供の頃や少年時代には、自由にサッカーをしてきたか、他のスポーツをしていたという。

ある研究は、早めに専門を絞り込んだ人は、ゆっくり専門を決めた人より大学卒業後しばらくは収入が高いが、ゆっくりと専門を決めた人は、より自分のスキルや性質に合った仕事を見つけられるので、じきに遅れを取り戻すことを示していた。

というように、色々な事象で実証されている。

成功した人たちは、あらゆる分野で得た知識を別の分野に応用するのがうまく、また、「認知的定着」を避けるのも上手だった。

幅広い経験が生きる理由は、別分野への転用の素材が増えるからである。現代は不確定要素が多く、未来を見通しきれない。だからこそ「経験なしで学ぶ」ことが大事、つまり新しいアイディア同士を結びつけて領域を超えたアイディアを出していくことが大事。だからこそRANGEが必要なのだ。

「幼いことにあまり多くのレッスンを受けても効果はないかもしれない」

と著者が言うのも、時代が不確実なので、練習量や練習時間が優秀さを示すような、旧来型の成長モデルは適応できない。

こう考えると親が子にできることは、色々な掛け合わせるための素材の経験を提供することしかなくて、そのさきは任せるよと言うのが良い距離感なんだろうと思った。

2.成功の要因は、才能ではなく目的性訓練の量である

非才を読んだ。生まれつきの才能という概念自体がそもそも間違いであることを論証しながら、目的性訓練の量と、その原理に沿って勧められた環境によって一流の人材が出来上がることを説明し、才能という言葉で成長の芽を摘まないよう警告する本。

「成功の鍵を握るのは才能ではなく練習なのだ」

と最初から言い切る。先日読んだ"天才!成功する人の法則"からも引用されていて、この論調とかなり近しい。実際に一万時間の法則を引き合いに出しながら、才能なんてものはなく、努力が大事だということを伝える。実際に引き合いに出すのがモーツァルトやタイガーウッズなのも同じ。ただ、この本はその時間についてももう少し深掘る。

「普通の人が練習するときには、楽にできることに集中したがる。エキスパートの練習は違う。それはうまくできないこと ー あるいは全然できないこと ー をやろうとして、相当量の集中した継続的な努力を行うのだ。各種領域での研究を見ると、自分のできないことを練習しないと、なりたいようなエキスパートになれないことがわかる」

というように、頂点にたつ人は特別な学習が必要で、一万時間を一時間たりとも無駄にしない集中が必要という点だ。

意欲的なチャンピオンたちの訓練には、特別な不変の目的があるからだ。それは進歩である。毎秒、毎分、毎時間。変わることなく心身ともに全力を尽くし、能力の限界を超えるところまで自らを駆り立てトレーニングの終わりには文字どおり生まれ変わっているほど徹底的に取り組もうとする。

一流はただいたずらに時間を練習に費やすのではなく、 "目的ある訓練"に注ぎ込まれた時間が多かった。

世界に通用する水準のパフォーマンスは、少しばかり手が届かないところにある目標に向けて、そのギャップの埋め方をはっきりと意識して努力することで得られる。やがて、絶え間ない繰り返しと深い集中を持ってギャップが埋められ、そしてまたほんの少し手が届かない新たな目標が再び設定されるのだ。

一流は、少しばかり届かない目標を追い続ける。

1990年代にフィギュアスケートの実体をよく浮かび上がらせる研究が行われた。一流スケート選手と二流以下のスケート選手では遺伝子にも資格にも家庭環境にも大きな違いは見られなかった。違いがあったのは練習の種類だ。優れたスケート選手たちは常に現在の能力を超えるジャンプを試みるが、他のスケート選手たちはそれをやらない。

こういった目的意識が練習の違いに現れると。

一万時間のルールは傑出性の指標としては不十分であるようだ。求められるのは一万時間の目的訓練だ。訓練を本当に目的あるものにするには、集中と献身は重要だが、それだけでは足りない。適切なトレーニングシステムへのアクセスも必要だし、時としてそれは適切な街に住んでいることや適切なコーチについていることを意味することもある。

ここら辺も"天才!成功する人の法則"の見解とかぶる。目的性訓練の原理に沿って勧められた環境が整っているかも大事なのだ。実際に例えば、なぜブラジルの選手はサッカーが上手いのかみたいなところは、子供の頃からフットサルで遊ぶ時間が長いことから説明する。

(フットサルが成功した)理由の一つは数字で裏付けられている。フットサル選手はサッカー選手よりもはるかに頻繁にボールに触れる ー リバプール大学の研究によると、1分あたり6倍以上だ。サッカーボールより小さくて重いボールは、さらに的確に扱う技を必要とし、またそれをもたらしてくれる ー

もっとも重要なのは鋭いパスである。このゲームは角度と空間を見つけて他のプレイヤーたちと素早いコンビネーションを繰り出すことにかかっている。ボールのコントロールと視野が肝要でフットサル選手が通常サイズのサッカーをすると何ヘクタールも空間があるように感じる。(中略)。ミランダ博士はこうまとめている。「ノータイム+ノースペース=より優れた技能。フットサルは臨機応変の国家研究所である」

これはサッカーをやっていた身とすると納得感はある。他にも、この本ではなぜアフリカ勢はマラソンが早いのかみたいなのも遺伝や才能ではなく、練習と環境で説明している。

カルフォルニア大学ロサンゼルス校で神経科学を研究しているラッセルポルドラックは、数々の脳のイメージ実験を行って、長時間にわたる練習の間に起こる顕在記憶から潜在記憶への推移を追った。そして初心者が技術を習得している時活性化するのは前頭前皮質だが、ストロークの制御はやがて触覚や感情を司る大脳基底核などの領域に切り替えられることを発見した。

人は、複雑な技をひとつの塊としてまとめ上げるチャンク能力がある。多くの練習を行うことによって、技能のより高度な側面、つまり作戦や戦術に集中させてくれるという。

この本を含め、直近読んだ。"天才!成功する人の法則"・ "マインドセットやればできる!の研究"でも似た論調だと思ったが、生まれつきの才能という概念自体がそもそも間違いなのだろう。

反射神経や身体能力と言われるものは、実は生まれつきの能力などではない。それは脳の情報処理の結果でしかなく、したがって後天的に習得されたものだ。ということを今回の本では彼は脳科学の知見を活用して示している。それどころか、才能という発想、生得的に決まった限界があるのだという発想そのものが、人々のやる気を失わせて世界の発達を阻害しているのだ。

才能という言葉で成長のストッパーをかけてはいけない。

3.天才は才能ではなく好機で出来上がる

天才!成功する人々の法則を読んだ。経歴を際立たせているのは、才能ではなく好機であるというメインメッセージを様々な実際の成功者の例を引き合いに出しながら論証していく本。

本書では「成功者」に対するこの手の「努力と個人的資質が全てを決める」という考え方が間違っていることを伝えたい。何もないところから身をおこした者などいない。誰でも出身と支持者から恩恵を受けている。

と冒頭で言い切っているように、才能ではなく、機会だという強いメッセージとともに始まる。機会というのは簡単に偏りが生まれるようになっている。

偏りは三つの条件が揃った時に見られる。「選別」、「能力別クラス編成」、「特別な体験」。

と言われているが、例えばアイスホッケーの選手には、同年齢の仲間たちの間で早く生まれた者が多いことをデータで示す。選抜チームを組む際に、対象年齢の切り方で誕生日が早い人の方が成長する期間が少し長い。そんなわずかなアドバンテージが将来を左右するのだ。いつ、どこで生まれ、親の仕事が何で、どんな環境で育ったか、それが成功するかしないかに大きな差をもたらすと。

調査は、一流の音楽学校に入る実力を持つ学生がトップになれるかなれないかを分けるのは、「熱心に努力するか」どうかによることを示していた。彼らを分けるのは、ただそれだけ。さらに重要なことに頂点に立つ人物は他の人より少しか、時々熱心に取り組んできたのではない。圧倒的にたくさんの努力を重ねている。

「調査から浮かび上がるのは、世界レベルの技術に達するにはどんな分野でも1万時間の練習が必要だということだ」(ダニエル・レヴィティン)

「作曲家、バスケットボール選手、小説家、アイススケート選手、コンサートピアニスト、チェスの名人、大犯罪者など、どの調査を見てもいつもこの数字が現れる。もちろん、だからと言って、一部のものが他のものよりも、練習から大きな成果が得られる理由がわかるわけではない。だが、一万時間より短い時間で真に世界的なレベルに達した例を見つけた調査はない。まるで脳がそれだけの時間を必要としているかのうようだ」

これはよく引き合いに出される研究結果なので知っている人も多いかと思うが、この本のアプローチとして面白いのは、"長時間に渡ってトレーニングを詰める機会"が大事だという点だ。例えばビートルズはハンブルクで夜通しで毎日演奏をする舞台があったとか、ビルゲイツもプログラム開発を大学よりも前に徹底的に行う機会があったという例を出す。

この本はだから一万時間努力をしなさいと言うようなよくある話ではなく、"天才の成功を「社会や共同体」の視点から捉え直す"ことを行う。

子供には広く体験をさせて、自発的にのめり込ませることが大事という論証を知ったが、徹底的にのめり込めるような外部環境(市場環境・友人・コミュニティ・インフラ)の波にのせてあげられるよう意識して、そういった体験を提供してあげることが大事そう。

親としては良い波が来ている環境に子供を連れて行って、いろいろな体験を提供して、乗りたい波に乗ってもらうことができることなんだろう。親として良い波(好機)を見つける技術を磨かないと。過去・現在・未来を勉強して、三点の補助線を引く精度を上げていきたいと思わせる本でした。

4.ラーニングゾーンに意識を向けられる

究極の鍛錬を読んだ。傑出したクリエイターはいずれも自分が選んだ専門分野で全身全霊仕事に打ち込み、自分の人生を捧げ、膨大な知識を蓄積し、常に自分自身をその領域の最先端に置くよう努力した者であるということを体系的にまとめた本。

究極の鍛錬は苦しく辛い。しかし効果がある。究極の鍛錬を積めば、パフォーマンスが高まり、死ぬほど繰り返せば偉業に繋がる。

これが冒頭にある時点で、かなりストイックな内容なことがわかる。

金融資本が有り余る今日の状況というのは、歴史上予想外に生じた変化だ。希少資源は今やお金ではなく人間の能力なのだ。

このような社会の中で、

創業者のビルゲイツは「もし最も優秀な20人が抜けたら、マイクロソフト社は意味のない存在になるだろう。もし何がコアコンピタンスかと問われれば、誰もソフトウェアのことなど言わないだろう。採用こそが大事であり、希少資源がなんであるかみな理解している」

企業は優秀な人材をとにかく強く求めている。では、その優秀な人材はどのような特性を持つのか。

最も高い能力を決定する遺伝子の違いは存在しないことを圧倒的に大多数の証拠が示している。

と、他の著書でも軒並み述べているように、遺伝や才能といったものに対しては否定的。

チェスの最高の名人の中にはIQが通常以下である人もいることが調査研究でわかっている。

というように、IQにも否定的。

どれだけ熟達できるかどうか予想できる唯一の要因を見つけた。それはどれほど多く練習するかだ。

一人で練習している時間は、3つのグループ間で劇的に異なっていた。「最高」と「よりよい」グループは一週間平均で24時間。しかし、「良い」グループは週にたった9時間しか練習してなかった。

18歳に達するまで最上位のグループは平均で7410時間練習しているより、2番目のグループは5301時間、3番目のグループは3420時間練習していた。

達人と素人の違いは、特定の専門分野で、一生上達するために考え抜いた努力をどれだけ行ったのかの違いだと。この本でも述べられている。

[究極の鍛錬の要素]
1. しばしば教師の手を借り、実績向上のため特別に考案されている
2.何度も繰り返すことができる
3.結果に関し継続的にフィードバックを受けることができる
4.チェスやビジネスのように純粋に知的な活動であるか、スポーツのように主に肉体的な活動であるにかかわらず、精神的にはとても辛い
5.あまり面白くない

この5つの要素がこの本で語りたいことだ。

一番内側の円を「コンフォートゾーン」と名付け、中間の円を「ラーニングゾーン」、一番外側の円を「パニックゾーン」と名付けた。そして人はラーニングゾーンを強化することで成長する。

とあるように、もう少しで手の届くところにある技術や能力を得ていく旅に出る必要があるの。秋元康さんも"夢は全力で伸ばした手の指先の1ミリ先にある"と言っていた。

訓練は好きなだけやっても構わないが、訓練の成果がわからなければ、次の二つのことが起こるとカーは言っている。一つは決して上達しないこと、もう一つは注意深く練習をしなくなってしまうことだ。

このように人は無意識に楽な方向に流れる。人は繰り返し行われる作業を無意識に実行できるよう自動化していく。車の運転は初期は意識を使っているが、そのうち無意識になるように。

自動化の回避が究極の鍛錬を継続することの一つの効果なのだ。自分からうまくできない点を絶えず意識しながら練習するという鍛錬の本質から、自動化に基づく行動をとることが不可能となる。

ここに意識を向けられているかどうかが重要そうだ。

達人が仕事中に用いる自主調整の中で最も重要なものは自己観察だ。例えば、通常のマラソン選手はレース中、走ること以外の何かを考えている。走ることが辛いから、心の中から払拭したいのだ。これに対し優れたマラソン選手は自分自身に集中している。とりわけ、自分の呼吸を数え、同時にいくつかの数値上の比率を維持しようと歩数を計算している。

最高の結果を出すものは自分自身のことを追うい深く観察しているのだ。こういったメタ認知が達人は優れているという。

究極の鍛錬の原則はほとんどの企業にはいずれも当てはまっていない。

これは、言われてみると確かにそうだ。そもそも仕事は従業員の能力向上を目的には設計されていないし、変化が激しい世の中だからこそ、何度も繰り返し同じことを行うのは非効率だ、フィードバックも決まったタームでの評価だ。

自分の会社では、会社のミッション・ビジョン・バリューみたいなぶれない骨格を作りながら、そこと社員の能力向上が一致するような採用をしたいし、それを補完できるような会社にしたいなぁと思った。

5.まとめ

子供にも自分にも、知識の幅を広げて、それぞれで目的性訓練を行い、良いチャンスがある場所に行き・行かせ、そこでめちゃくちゃ努力する・させる。

そうしたいなと思った。

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