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これまで人にとって音楽は何だったのか2

はじめてアメリカ音楽史を読んだ。西洋にアメリカ大陸が発見されて以降の白人と黒人が織りなす歴史の中でめまぐるしく動いてきた音楽の歴史がわかる本。


0.アメリカ音楽の起源
1.黒人と白人の間で分離する宗教音楽
2.娯楽産業としての音楽の産声
3.感情の爆発を表に出せるようになったゴスペル
4.近年生まれ変化を続けるジャズ
5.黒人が白人から市民権を得るソウルミュージック
6.ロックンロールとエルヴィスプレスリー
7.現代のポップ・ミュージック
8.まとめ


0.アメリカ音楽の起源 (1600年代)

アメリカ音楽の起源はいつなのか?それは、アメリカ大陸の歴史と同様にコロンブス以降のようで、歴史上はつい最近だ。

アメリカ先住民(インディアン)たちは"発見される以前に音楽を持っていたが、ヨーロッパ人との文化的融合がなされなかったため、先住民の音楽が現代のアメリカンポピュラーミュージックに与えた影響はごくわずかだ。

先住民たちが音楽そのものに求めたのは狩猟や農業の道具と同じだったので、生活に不可欠な実用的なものであり、「ハーモニーではなくコミュニケーション」、「個人のものではなく霊的なもの」、「音は旋律ではなく、威力や呪力だった」。その後、アメリカに渡ったヨーロッパ人と一緒に宗教音楽、バラッド、ヒム(賛美歌)やフォークソング(民謡)が上陸し、聖書の詩篇を無伴奏で歌唱されていたものが、徐々に「祈り」と「娯楽」の要素が入っていくことによって歴史が始まる。

1.アメリカ音楽の大半は「南部」が作り出したものであり、多民族性(混血性)がその本質であるか、そのほとんど全てに「黒人」が関与している。

2.アメリカ音楽を理解するには、「個人の歴史」を知らなければならない。

3.ゴスペル、ソウル、リズム&ブルースなど、1920年代から60年代にかけてのミュージック・シーンは「黒人教会」ないしには語れない

4.アメリカ音楽の南部から北部への広がりは、「ミシシッピ川」から見るとよくわかる。

このように、アメリカ音楽の起源は、「黒人の歴史」でもあるようだ。

1.黒人と白人の間で分離する宗教音楽 (1700年代)

秘密の礼拝集会は、プランターから見えないところで行われることから「見えない教会」と呼ばれました。「見えない教会」こそが、自分の気持ちや感情を自由に表現できる場所でした。

とあるように、プランテーションで働かされる黒人奴隷は、雇い主ある白人から隠れて魂の解放を行う必要があった。

文字が読めない彼らは、とうぜん賛美歌集や祈祷書を持っていなかったので、祈りも歌も即興的に行われた。そして、白人たちの祈りの言葉や賛美歌をどんどん黒人化させていった。

一人が祈りの言葉を叫ぶと、それが反復される。それを幾度かくり返ううちにメロディになる。というように、白人たちが歌っていた賛美歌に、黒人たちの祈りの言葉がミックスされて作られる。そうやってニグロ・スピリチュアルが生まれる。

ニグロ・スピリチュアルを聴くと、カントリーミュージックの要素を持っていることに驚きます。もともとニグロ・スピリチュアルに先行してホワイト・スピリチュアル(白人霊歌)があったわけですが、これはほとんどがイギリス人が持ち込んだ宗教歌でした。

その後ホワイトスピリチュアルはカントリー&ウエスタンなどに、ニグロ・スピリチュアルはゴスペルなどに変化していく土台となる。

2.娯楽産業としての音楽の産声 (1800年代)

アメリカに、音楽を含む娯楽産業が生まれたのは、独立戦争(1775~83)を経て、米英戦争(1812~15)が終わってからのことです。この二つの戦争により、アメリカは政治的にも経済的にもイギリスから自立していく。産業が勃興し、交通網が整備されると、アメリカに「都市」なるものが出現します。

都市ができることのよって、市場ができ、商業娯楽ができる。音楽の大衆化は商業の拡大のメカニズムと一緒だ。このころに音楽の父(クラシックでいうバッハ)と言われるフォスターが誕生する。

20年間に約200曲を作曲し、その内訳は135曲のパーラーソングと28曲のミンストレルソングである。多くはメロディの親しみやすい黒人歌農園歌ラブソングや郷愁歌である。「アメリカ音楽の父」とも称される。
wikipedia

ミンストレルソングとは、ミンストレルショーに使われる音楽だ。*聞いている、いくつか今も耳にするメロディがあるのが興味深い。

白人が黒人をパロディ化しているうちに、だんだん白人たちが黒人文化に興味をもち、ついには本物を呼んできてしまった。また、黒人は黒人で、内容のバカバカしさに呆れながらも、どうせやるのだったらと、それにノッてしまう。自分自身を嘲笑し、それを通じて白人の黒人観もあざ笑ってしまう。

このような相手(白人)の稚拙を逆手に取った、黒人たちの反転論理が娯楽産業を作る。

隆盛を誇ったミンストレル・ショーも、19世紀後半になると、次第に疎んぜられ、第一次大戦が始まること(1914年)には、人種差別を助長するものとして徐々に大衆性を失っていきます。そのころにはすでに教養ある黒人が出始めていました。彼らにとって、ミンストレルショーは我慢のならぬ屈辱的なものでした。

このように100年弱くらいの歴史ではあったが、ミュージカルは、ミンストレルショーがなければ生まれなかった。白人による歪んだ黒人像を形成する負の遺産を残したが、アメリカの大衆文化に大きな影響を与える。

3.感情の爆発を表に出せるようになったゴスペル (19世紀後半~)

やがて黒人牧師が誕生すると、彼らは宗教指導者になっていく。当時、知性を持った雄弁な黒人は牧師か教師を目指し、理想家であり、教育者だった。

礼拝の時、黒人牧師はゆっくりと準備してきた説教原稿を読み上げます。原稿を読む目が会衆の反応を伺うようになると、口調は徐々に早くなって、言葉は即興的になる。すると、感情が高まってきた会衆は立ち上がり、牧師の言葉を繰り返す。このようなコール&レスポンスが始まると、いつの間にかオルガンの音が耳に届く。

このようにゴスペルが生まれていく。

今あるゴスペルは1920年代の後半、シカゴのハプティスト教会で完成されます。つまり、解放されて自由市民になった奴隷の、その孫たちの世代が北部としシカゴへと移り住み、そこの「見える教会」、すなわち黒人教会で誕生したということです。

これまでプランテーションの雇い主から隠れて「見えない教会」で楽しんでいたニグロ・スピリチュアルが「見える教会」へ出てきたのだ。これが爆発的な力を持つことは想像に難しくない。実際、ゴスペルが国内で芽吹くと、白人だけでなく黒人からも批判の声が上がった。手拍子をしたり、足を踏み均すことが品位に欠けると。ただ、それを吹き飛ばす勢いだったという。

スピリチュアルが来世に期待をかけているのに対し、ゴスペルは現世での解放を歌っているという違いもあります。

意味合いも、「慰安」や「絶望」だったスピリチュアルやブルースとは、「解放」や「希望」になっていてそれまでとは大きく異なる音楽だった。

4.近年生まれ変化を続けるジャズ

20世紀になると、アメリカ音楽とヨーロッパ音楽が混ざった音楽が生まれ始める。

音楽観点からジャズを簡単に説明すれば、「遅れて拍子を打つバックビート(4拍子の1拍子目と3拍子目におくアクセントを、2拍目と4拍目にずらして演奏する)をリズムにもち、即興演奏を生命とする音楽」。歴史的見地からいえば、「黒人のアフリカ音楽と白人のヨーロッパ音楽が融合して、ニューオーリンズで生まれた音楽」

ジャズの歴史は随分と最近なことがわかる。

ジャズは、ニューオーリンズ・ジャズの反動として生まれたスウィング・ジャズ、スウィングジャズのアンチテーゼであるビバップ、そしてビバップの反動としてのクールジャズ。という風に反動と反発を繰り返して進化してきた。そして、音楽的な形式や規則にとらわれず、自由に演奏するフリージャズに行き着いた。

ジャズは"あまのじゃく"な反発で変化を続けている。

5.黒人が白人から市民権を得るソウルミュージック

白人文化を優位に見るという前提が疑問視され、ソウルという自己肯定の思想が打ち出されると、ソウルがすべての根拠地となった。「ソウル」の名を冠するソウル・ミュージックは、黒人が白人と同じ市民権を得ようとするための音楽。

ソウルは黒人であることを誇りに思う、プライドの意味を持つようになった。黒人であることを肯定して生きようとする音楽なのだ。

ソウル・ミュージックは恋の成就、精神の安らぎ、団結への意志を強調します。しかし、ゴスペルからソウルへの転向は、教会側から見ると、裏切りでしかなかった。

ソウルは神を称えなかった。これは大きな転換だったようだ。

ソウルの神様レイチャールズ。

極貧から這い上がり、黒光りするグルーヴで、ソウル・ミュージックの希望の星となったジェームズブラウン。

6.ロックンロールとエルヴィスプレスリー

ロックンロールと呼ばれる50年代のポピュラー音楽は、ジャンプブルースやビッグバンド・ジャズの影響を受けた黒人のリズム&ブルースに白人のカントリー音楽が結びついたものです。

財力を持ち始めた黒人を商業ターゲットとして、音楽が売り始められた流れの中でロックンロールはできたようだ。

語源的なことを言うと、「ロック」も「ロール」も黒人のスラングで、セックスを指す隠語でした。

と言うが、これが「楽しく騒ぐ」と言う意味を持つようになり、マーケティングコンセプトに変換され、音楽の一つとなった。

この本では特にエルヴィスプレスリーにフォーカスが当たる。

エルヴィスが登場した50年代は、白人と黒人は相容れないものとして双方が壁を作っていた。公民権運動が広がるにつれて、互いの憎悪はますます激しくなっていく。そうした現実を前にして知識人が頭を抱えている時、白人のエルヴィスは黒人になりきって歌い踊ることで、その壁を軽々と乗り越えてしまった。

エルビスは人種問題を、音楽によって一つにした「ロックンロールの王様」だと言う。

「エルヴィスを嫌うこと、彼の音楽と黄金の声を退けることは、アメリカそのものを理解しないことであり、エルヴィスはアメリカに革命を起こした存在であるという決定的な点を見逃すことだ」
ロックンロールを「ロック」に変えたのはビートルズですが、ジョン・レノンが「エルヴィスがいなければ、ビートルズも生まれていない」と述べているとおり、エルヴィスが果たした役割はとてつもなく大きい。

という著名人の言葉も引用されていた。

7.現代のポップ・ミュージック

ポップ・ミュージックは、ロックンロールから派生して、メロディとリズムが重視された。また特定のイデオロギーに依拠しない音楽と定義することができます。

エルヴィスプレスリーが切り開いたように、人種の隔たりのない音楽ができてくる。

「ロック」反体制的要素を含んだ音楽であるのに対し、「ポップミュージック」は広く人々の共感を呼ぶ音楽。

というように、音楽は特定の人に向けたものではなく、広く間口を広げたものとなる。この領域は、言わずと知れたキング・オブ・ポップのマイケルジャクソンのような音楽であろう。

8.まとめ

ただアメリカ音楽だけ聴いただけではわからない。政治や経済の理解から、白人や黒人文化、そして不幸な過去である歴史的経緯のはあくまで理解して初めてアメリカ音楽を捉えることができる。

歴史の中では短い歴史かもしれないが、その中での葛藤や変化は壮大なものであった。

*前回は西洋史、今回はアメリカ史です




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