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採点と教員~全能感を持った神→疲れたウルトラマンへの変化の記録~

僕は私立高校で教員をしています。今日は教員として避けては通れない業務である「採点」について書きます。

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教員が年5回(学校にもよるが)恐れているシーズンがある。そう何を隠そう、「採点」シーズンである。


1.採点官という神の誕生


思い起こせば、教員1年目に初めて採点をした時、それはそれは感動したものだ。採点がとても楽しいのである。

考えてみて欲しい。誰かに点数をつけるってすごい行為だ。採点がとにかく楽しかった。なぜならば、全能感を感じるからだ。

同時のことを思い出す。「オレ、神」「オレ、神」とか言いながらハイテンションで採点をしていた。わかっている。完全に僕はどうかしていた。


2.神からの転落。疲れたウルトラマンに・・・


あれから時がたち、僕は教員歴が10年を越えた。時の流れは恐ろしいもので、あんなに採点が好きだった僕は、今では「採点」とか「丸付け」とかいう言葉を聞くと、正直、テンションが下がってしまう。

考えてみて欲しい。目の前に未採点の問題用紙が200枚近くある光景を。

仮に一枚の採点に3分間かかるとして、(そんなに短い時間で終わるわけがない)単純作業で600分もの時間が持っていかれるわけだ・・・・・

3分間なら無敵のウルトラマンだって、200体近くの怪獣と連続で戦えないだろう。


3.採点基準の「すり合わせ」と「すり減る」万能感


2年生の英文法の授業を複数の教員で担当するケースを考えてみる。大規模校だとよくある現象だ。

複数の教員で一つの授業を担当すると、採点作業の難易度が格段に上がる。教員間の採点基準を揃える必要があるからだ。これは本当に気が遠くなる作業だ。

和訳の採点をしていて、「『登頂』と言う言葉は良いが、『山に登る』、では頂上に着いたかどうかわからないので減点だ」なんて話をずっとしているわけだ。

正直、この作業をしていて、「そんな細かいことどうでもよくないか・・・」と思うことが多々ある。

そんなこと言っても採点はしなきゃいけない。だから、「神は細部に宿る」と思いこみ、自分を騙し騙し採点作業を続ける。採点しながら

「おれ、昔は全能感を持った神だと思って採点してたよな。でも、いつのまにか、トイレの神様のように、細部に宿る神にスケールダウンしちゃったな。」

なんてカッコつけて思ってみる。やばい、ちょっと自分に酔ってきた。ついでに

「神は死んだ・・・」と無駄につぶやいてみる。

そんなことより、「紙は死んだ・・・」とペーパーレス宣言をしたい今日この頃である。


4.生徒の採点=自分の授業力の採点 二重の採点


もう一つ、採点でしんどいのは、「生徒の採点」をしながら同時に「自分の授業力の採点」をしている気分になるのだ。

「あれ?これ教えたはずなのに伝わらなかったか・・・」とか、

「この部分、もう少し時間をかけて教えるべきだったのか・・・・」

と自分の至らない所を自覚しなくてはいけない時間にもなっている。

教師にとっては二重に大変な作業なのである。


5.でもテストの採点していて楽しいことも


こんな採点業務であるが、未だに好きな部分がある。それは、テスト用紙を通して生徒と対話している気分になれることだ。

「前回、あまり点数が取れていなかった〇〇君が今回は頑張った!!!!」とか、

「点数は取れなかったけど〇〇さんの答案は努力した痕跡は見られる」

とか問題用紙を介して生徒とコミュニケーションをとっている気がする。

普段、そこまでコミュニケーションをとっていない生徒の内面に触れられるような気がしてそれはそれで貴重な生徒理解のツールである。(そういう意味で僕は生徒の読書感想文を読むことが担任業務の中で一番好き)


6.最後に


いろいろ書いてきたが

「教師は精神的に負担をかけながら大量の採点をしている。だから採点ミスが少々出ても許してね・・・・・・」

と言い出さないように気持ちを引き締めて頑張ろう。

長々と書いてきた。

疲れたウルトラマンのカラータイマーが光り始めたので、ここで文章を終えようと思う。

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今日も読んでいただきありがとうございます。

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