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なぜか学校が認識しない不登校の本当の理由

皆さんこんにちは。週末はいかがお過ごしでしたか?私はとても充実した週末を過ごせました。子どもたちのパワフルで純粋な心に触れ、この子たちの学びの場を守りたい!!とそう強く思った週末でした。


さてこの記事を参考に今回このテーマについて書きました。

https://toyokeizai.net/articles/-/470195?ismmark=a

不登校と学校渋り言うと、いじめ、勉強についていけない、先生との相性。などと結構一括りにしがちですが、実は子どもたちの思いはもっと複雑で、もっと鮮明で意思があります。行かない、行きたくないという意思表示を選択をしたときの自分の立場や、状況をよーく考えていますし、把握していて

嫌だから行かない。

そんな単純なものではありません。


我が子が生き渋りをしはじめた理由の最終形態をしいて言うならば、先生ですが、(先生の名誉のために言いますが、方向性は違いましたが、よく面倒はみていただきましたし、素晴らしい先生でした。)先生というより、自分の意見を遮り、聞く耳を持ってもらえず、状況を説明する余地もなく、自分のするべき行動を決められてしまった不信感から、

『きっと何を言ってもこうなってしまう。』決めつけられてしまったときの怖さや納得がいかない気持ち、恥ずかしさから徐々に体が拒否反応をし始め、繊細がゆえの、学校で振る舞うべき姿を振る舞えてない(教室には入れない、母親が付き添わないと学校に行けない)自分に自信を無くし、みんなが出来ることが自分には出来ないと自己肯定感が下がっていく。

そう話してくれたのはつい最近のことです。当時は何を聞いてもどんな方法でも言葉にならなかった。上手く伝えることができなかった。

子どもは生きている世界も知っていることもまだまだ小さい。上手く伝えることの方が無理であり、もっと言うならば家と学校が全世界みたいな。大人みたいに、色んなコミュニティに属せる訳じゃない。だからこそ恐怖を感じ防衛反応の最終形態が不登校となるんじゃないかと私は考える。 

ここしかなくて、ここしか知らない。

嫌ならやめてもいいんだよ。いくら言っても頑なにやめなかったのは、やめたら自分の存在意義やその後自分がどうなるか分からない恐怖で渦巻いていたと教えてくれた。

子どもは安心安全だ。ここなら助けてっていったら助けてくれる場所じゃなきゃ本音は出しません。親に悪態ついたり、わがまま言うのは、そのまま丸ごとそんな自分を出せる安心安全な場所だからではないでしょうか。

認識にずれが生じるのは、表面に起きた出来事だけにフォーカスするからなんじゃないかな。

いまだ、行きたくないと昇降口で渋っている子の手を無理矢理引き、時には担ぎ、泣き叫ぶと別室に入れ、泣き止んだら出してもらえるというような登校の一部始終の話をよ~く聞きますが、

慣れるだろう。

慣れません。


脳に記憶されるのは恐怖です。恐怖を感じる場所に行くでしょうか?恐怖感を感じることが多いと原始的な抑制されている脳の反応が大きく表に出てきてしまうことがあります。それは防衛的反応なので自分の気持ちではコントロールが出来ません。恐怖が困りごとを助長させ、こんなところなかった。こんなとこみたことない。という困りごとまでも呼んでいくことも。

息子が渋りでもまだ行けていたのは、強制は無く、行ける別室があったから。

今日はこの記事を書くことで様々な話や出来事をや子どもたちを思い出してしまって、少し感傷的な記事になってしまいましたが、

認識の違い。親子でもずれが生じないよう、心には常に寄り添って行きたいと思いました。





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