高卒なんて普通だろ、という話
高校を卒業した後、大学生になることも浪人生になることも選ばなかった。恥ずかしがらずに言えば大学生を選ぶことは出来ず、かと言って浪人する気力も無かったと言うのが正しいが。つい数ヶ月前の自分は、大学生か浪人生しか選択肢が無いものだと思っていたが、いまの自分を知ったらどう思うだろうかと、まあ考えても仕方がない。
大学受験は1校だけ受けて落ちた。卒業式の前日に学校へ行ったら担任が、「後期はもう受けるつもりないんか?」と聞いてきた。「最近なにしてんの?」とも聞かれたので、英語にハマっていることと、もう受験をするつもりがないことを伝えたら、「意志固そうやね(笑)」と言われた。少し嘲笑のように見えたのは私が自分自身の行く道に自信が無いから、笑われているように感じたのだろう。
浪人しないことを決めてから、ほぼ1日1冊本を読んでいる。とにかくやりたいことが多い状態なんだけど、自分は思っていたよりも社会の仕組みを知らないことに気づいて、世界の情勢や経済についてとりあえず基礎的でマストな知識から入れていってる。
せっかくなので今日読んだ本『情報だけを武器にしろ。』(堀江貴文)で良いと思った部分の紹介もこの記事に兼ねる。ちなみに堀江貴文を読んでいるのは、私は少し前から街作りに興味を持っていて、堀江貴文の大樹町での行いなどが気になったから。以下引用な全て上記の本から。
アイデアといったら、ピキーン!閃いた!というのを想像しがちだが、たいていのアイデアというのは色んなジャンルの情報を脳がかけ合わせたものなので、オリジナリティを求めすぎて拘泥していてはいけない。アイデアを出すためには、というか、アイデアを出す“ため”にはとかじゃなく、情報をたくさん浴びていたら、アイデアなんて勝手に湧くものだ、という話。関連として岡田斗司夫の「ラブスマホ」の話もある。YouTubeで見れるのでどうぞ。
運悪く落ちたのか運良く落ちたのか。私は今の状況に満足している。なぜなら落ちなければ得られないものを多く知ったからだ。落ちなければ、“どこにも属さない状態で”人生を自分で考えて組み立てるということをしなかっただろうから。多分“大学生の自分”という肩書きを前提としてしか行動を決められなかった。その制約が無いというのが、“運良く落ちた”のではないかと思う理由。
大学落ちたなら落ちたなりに、自分には向いてなかったと割り切るのがいい。合格した友達はさっさと除籍されるのが良い。そんなことないか。
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