モードの熱

今回は京都市立芸大の学長も務める哲学者の鷲田清一さんによるヨウジヤマモト論「たかが服、されど服」を読みました。

その中で、そもそもヨウジヤマモトが身を置くモードとはなんだろうと、私の中で引っ掛かりました。
モードについて、wikipediaにはこのように記述されております。

モード(MODE)はフランス語で流行やファッションを意味し、英語のファッション(FASHION)である。転じて流行の源のひとつである各ブランドがファッションショーや実際の製品で提案する印象や着こなし。各ブランド等やシーズン毎にそれぞれ異なる複数のモードがあり、系統建てて分類される基準があるわけではない。

「モードは形がなく、これが『モードである』と言われるものは既知のものとなっておりモードではなくなる」とも記述されていました。消費がとにかく早いのが特徴で、見本市でもあるパリコレクションは半年に1回開催され、そのたびに新しいものに切り替わります。

またモードというものは実体がないため、どのような種類の服でも人々の心に刺されば受け入れられます。

今回の主題となるヨウジヤマモトのように黒を中心としつつ、普段見慣れた服から着崩し、余分をそぎ落とし、オーバーサイジングで、見たことのない形をしたものもモードと呼ばれます。

またデザイナー自身に魅力があるのも特徴だと思います。
こちらはヨウジヤマモトと愛犬のリン。なぜだか無性にかっこいい。

打って変わって、ココ・シャネル亡き後のシャネルを再興し、数々のヒット作を生み出した、「モードの帝王」カール・ラガーフェルドはシックでありながら豪奢な雰囲気を醸し出しています。(愛猫のシュペットはインスタのフォロワーが10万人もいます)モードという場を選んだデザイナーは、どのような服を作るのか想像が付くほど際立った雰囲気を持っているように思います。

しかし、そうではない場合もあります。
例えば、トムブラウンです。彼がショーに向けて作る服は、下記の画像のように人の目を引く、かなり実用的でない格好のファッションが多いです。いつも観客に驚きを与えてくれます。

しかし当人はグレーのスーツに襟の形が美しい白シャツ、ジャケットに合わせたタイをして人々の前にあらわれます。

このように多種多様で、特徴がつけられないのがモードです。

ただすべてのブランドに言えるのは欲しいと思わせる力があるということです。人々の欲望の対象となるものであります。

「たかが服、されど服」の本文中にはさまざまな言葉でモードというものを書き連ねていました。

ぎらついた欲望と倦怠まじりの悪夢とマシニックな運動のこの戯れは、果てしなく見える。そして、モードはその戯れに駆り立てられながら、まるで自分がその戯れを主導しているような錯覚に陥っている。あたらしい欲望の生産という至上命題に後ろから突き動かされながら、それをみずから煽っているような幻想にはまっている。(略)下りるということを許さないのが、モードだ。

この本を読んでいると、輻射熱を感じながら歩く夕方のような心地よさ、湿度、初夏のように懐かしく、新しいものを予兆させる熱を常に感じておりました。

この季節の訪れを期待するような熱は、主題のヨウジヤマモトが作り出す世界のためだと思っておりました。というのも今回はモードに絞ってしまいましたが、彼のファッションをひも解くためのキーワードとして女についての話が沢山出てきます。

しかしモードについて深堀りして考えていくうちに、もしかすればこの熱の主体は「モード(流行)」で、この本でのヨウジヤマモトの世界は昼の熱量が残る薄闇と湿度なのではと。

今後モード系のショーを見るときは、見た目にとらわれず何を表現し打ち壊そうとしているのかもっと考えてみてみたいです。

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