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車谷長吉「赤目四十八滝心中未遂」

 ここ数年、車谷長吉の作品を続けて読んでいるが、ようやく真骨頂という感じである。実は長編なので、読むのに挫折してしまったらどうしよう、と今まで短編で慣らしていたのである。しかし結果として、私が今まで読んだ車谷長吉の作品の中で、一番読みやすかった。

 「赤目四十八瀧心中未遂」。直木賞受賞作であり、映画化もされたため車谷長吉作品の中ではいちばん有名であろう。一般的に直木賞は「大衆文学」、芥川賞は「純文学」とされるが、この作品が大衆文学か、というと、ちょっと口ごもってしまう。

 以下、感想を書く(ネタバレあり)。

 あらすじ。主人公の生島与一は東京の広告代理店に務めるが、馴染めずやめてしまい、流転の挙げ句自ら世捨て人となり、兵庫県は尼崎市のドヤ街で焼き鳥屋の下働きをするようになる。毎朝、テレビもラジオもない部屋で、誰とも話さずに「動物の死骸を串に延々と刺していく」という単純な、しかし辛い仕事である。部屋にやってくるのは、仕事を頼んだ焼き鳥屋の主人であるセイ子姉さんと、死骸を持ってくる無愛想な男だけである。近くの部屋には刺青師である「彫眉」と、その男の情婦らしき「アヤちゃん」、そしてその連れ子。娼婦など、奇妙な住人がいる。生島の使う布団や枕には、前の住人の脂や臭いが染み付いている。生島は奇妙な住人たちに振り回されることになる。

 空気感が圧倒的で、私は初っ端から打ちのめされてしまった。

 冒頭、セイ子姉さんが生島を雇う場面。セイ子姉さんは突然精気のない生島を罵倒する。「あんた、気が腐るほど真面目な人や。」と言うのである。

 そして、生島が仕事をするようになって、生島がかつて小説を書いていたことを知るや、「あなたはここで生きていける人やない」「所詮インテリのたわごと」と冷たく、そしてやはり、どぎつく罵るのだ。ここではみんな、冷たく、怖く、厳しい。そして生きることと欲望に貪欲だ。「彫眉」の情婦であるアヤちゃんに少し気があるが、あるときセイ子姉さんから「朝鮮やで」と告げられる。

「さっきのアヤちゃんな、えらい別嬪さんやろ。」
「ええ。」
「そなな嬉っそうな顔せんでもええがな。」
「………。」
「言うとくけどな、あの子、朝鮮やで。」
 私はふたたび、あッ、と思った。私の父や母も村外れに住む朝鮮人たちを陰でこう言うていた。

 そして生島は、アヤちゃんの体をまじまじと眺めたり、後をつけたりしてアヤちゃんにたしなめられたりする。


 ドヤ街に馴染めない生島は、物語の後半でとうとうこの地を去ることを決意する。しかしある夜、アヤちゃんが生島の部屋に突然やってきて、生島は押し倒されてしまう。戸惑う生島だがアヤちゃんを受け入れ、2人は体を重ねる。彼女の体には迦陵頻伽の刺青があった。アヤちゃんは借金を背負った兄によって博多に身売りされることになっていたのだが、それをアヤちゃんは拒み続け、生島に「うちを連れて逃げてッ」と告げるのだった。生島とアヤちゃんはどこへ行くともしれない逃避行に出る。

 ハードボイルド小説のようにも感じられるが、主人公の生島は非常に臆病な男だ。なぜ、広告代理店をやめて尼崎のドヤ街に転がり込んだのか。下記の独白が、それを象徴しているような気もする。


 その日その日、尻の穴から油が流れていた。私が私であることが不快であった。私を私たらしめているものへの憎悪、これはまるで他人との確執に似ていた

 しかし生島の仕事っぷりは実直で、セイ子姉さんや彫眉さんから危ない仕事まで任される。結局、彼の居場所はどこなのだろうか。物語の最後、それは明かされる。このもやもやした思いを、背中から蹴り飛ばされる感じが清々しい。

 しかし、これを自分として考えると、途端に「あんた、気が腐るほど真面目な人や。」という言葉が深く心に刺さり、それをえぐる。私は大学生活を関西で過ごしたが、尼崎市は、図書館に通う関係でで何度か足を運んだことがあるが、路上で寝転がったり怒号が時たま響いたりして、不思議な街という印象が強かった。貧困とかドヤ街とかそういう環境の問題かというと難しいと思うが、主人公である生島は会社に馴染めず、かといってドヤ街にも馴染めず、異様な逃避行を続けるのだ。

 私が車谷長吉作品の中で思うのは、人の心に土足で踏み込む、その遠慮のない感じが怖い。


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