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技術史 -「波」とも「革命」とも-

 「工作」「工学」の「工」は、板に錐で穴をあけているところの象形文字だという。板の表面と裏面を繋ぐ。

 ──「工学」とは、「工」の字義の如く、科学と生活を繋ぐ学問です。

 上手いこと言うなと思った。
 では「技術」の定義はと言うと、これが難しい。「職業・家庭科」の時代の定義は、労働手段体系説のような「生産技術的定義」が主流であったが、「技術・家庭科」の時代の定義は、意識適用説のような「生活技術的定義」が主流になった。
 個人的には「技術」と聞くと「職人技」を思い浮かべてしまうが、「技の英訳はtechniqueで、技術の英訳はtechnologyだ」と反論される。いや、technologyは「技術学」「工学」の英訳では? いっそのこと、「職業」「産業」に傾いた「生産技術的定義」の英訳でindustrial technologyではどうかと思うが、それは「技術」ではなく、「技能(skill)」だし、「工業」以外の産業が除外されてしまうという。

■有名な「技術」の定義(いわゆる「技術論争」)
労働手段体系説「技術とは、人間社会の物質的生産力の一定の発展段階における社会的労働の物質的手段の複合体であり、一言にしていえば、労働手段の体系に外ならない」(レーニン、相川春喜『技術論』1935)
・手段と行為の結合説「技術は手段であるとともに自己目的であり、そして、技術は行為であり、行為の形態である」(三木清『技術哲学』1942)
過程説「技術とは、過程としての手段である」(三枝博音)
意識適用説「技術とは、生産的実践における客観的法則性の意識的適用である」(武谷三男1940)
戸坂潤の技術論「本来、技術は、自然科学的メカニズムの目的的適用という意味で工学ないし応用科学であるという性格を持つが、同時に社会科学的制約、すなわち経済的社会的政治的制約下にあることは否めない。すなわち「技術」というもの自身が、純技術的契機と経済的契機とを自分自身の二重性として持っている」

戸坂潤の技術論を簡単に言えば、「技術には生活技術と生産技術という二重性があり、1つにまとめて定義するのは難しい」という理解でOK?

※科学技術庁「「科学」と「技術」、「科学技術」について」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/kondan21/document/doc03/doc36.htm
※柴﨑一郎「科学とは何か? 技術とは何か?」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soken/117/4/117_KJ00005854410/_pdf
※大阪教育大学「技術と教育について知りたい人のQ & A」
https://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~gijutsu/qa2.html

1980年に出版された、アメリカの未来学者のアルビン・トフラーの著書『第三の波』(The Third Wave)は世界各国で大ヒットした。

この本の中で、トフラーは人類はこれまで大変革の波を2度経験してきており、現在、第三の波が押し寄せてきているとした。
・第一の波「農業革命」(農耕の開始。日本で言えば、稲作の開始)
・第二の波「いわゆる第一次産業革命」(動力革命)
・第三の波「情報革命」
である。人類史という観点では、「火の使用」「二足歩行と道具の使用」も大きいと思うし、蒸気機関や内燃機関といった原動機や電動機の発明の前には、畜力、風力、水力の利用もあったはずだが、言い出したらきりがない。
 たて続けに第四の波「IT革命」(平成12年(2000年)、「Windows2000」が発売され、「IT革命」が流行語大賞に選ばれた)、そして、2020年の今は、第五の波「AI革命」で、将来的には第六の波「ロボット革命」が来るという。技術革新のスピードが速すぎる。人類は、なぜ生き急ぐのか?(命が永遠のものであれば生き急がないが、有限であるので、「少しでもいい生活をしたい」と技術革新に執着するのであろう。)

industrial revolutions

世界史の授業では、「波」ではなく、「産業革命」(industrial revolution)となる。

・第一次産業革命:機械化。蒸気機関と水力。
・第二次産業革命:大量生産と電気。
・第三次産業革命:ITと自動化。
・第四次産業革命:CPS

industrialを「産業」と訳すものの、工業中心で、「稲作の開始」(農業)や「宅配(トラック輸送)の普及」(商業)は入ってこない?

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秋の夜長は、思考にふけちがちである。とはいえ、

──人生は短く、芸術は長い。

思考対象を絞らねば。

※人生は短く、芸術は長い。:古代ギリシャの医聖・ヒポクラテスの言葉。原文はギリシャ語でὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ.であり、ラテン語訳はVita brevis, ars longa.である。τέχνη(テクネ)はテクニックで「技術」、ars(アルス)はアートで「芸術」であるが、ここではどちらも「医術」を指している。「医術を学ぶには長い月日を必要とするが、人生は短いので怠らず励め」という意味の言葉である。

「技術」は「科学」より早く発生し、人類誕生以来の長い歴史をもっている。「科学」との接近は、1870年代の先進国で、大企業が物理学者や化学者を雇用し、政府が軍備や産業振興のために研究所を設置するようになってからである。それまでは「芸術」や「技芸」とよばれ、「科学」は「自然哲学」とよばれていた。
 この「芸術」や「技芸」はギリシア語のテクネtechnē、ラテン語のアルスars(英・仏語のart、独語のKunst)を語源とし、「わざ、業、技、芸」の意味に使われていた。その最初の定義は、フランス百科全書派のディドロによる「同一の目的に協力する道具と規則」である。彼の協力者ダランベールは『百科全書』の序論で、F・ベーコンの「変化させられ加工される自然」という概念を用いて、その歴史をも自然史の一部門に加えた。このように、ある目的をもって活動する人間が創造した手段(道具、後の機械その他を含む)と知識(規則、さらに法則を含む)の体系systemという概念がすでに約2世紀前に確立しているのである。この時代の啓蒙思想の影響を受けて、ゲッティンゲン大学教授ベックマンJohann Beckmann(1739―1811)は、それまで「技芸史」Kunst Geschichteとよばれていた科目に、1772年「技術学」Technologieという呼称を与え、新しい学問領域を提唱した。内容は合目的手段の体系的目録である。このドイツで発生した「技術学」は、英語のテクノロジーtechnologyであり、17世紀から使われていたが、アメリカのジャクソニアン・デモクラシー時代から普及した。技術学の概念は、啓蒙思想から発展した民主主義の成立と深い関係があると同時に、人工的自然史という概念が伴っていることに注意せねばならない。
 技術学との区別が問われることばに工学がある。工学engineeringの語源は、ラテン語のingenium、すなわち発明または天才の所産を意味する。エンジニアengineerとは、17世紀の火砲職人仲間のことであり、巧妙な兵器を発明して、これを取り扱う人たちをさしている。ところが、イギリスの万能的天才といわれるスミートンは1771年、civil engineerということばを初めて使用することによって、火砲職人と区別して市民に奉仕する職業人の役割を強調し、同年、その組織Society of Civil Engineeringを結成した。イギリス産業革命の末期、1818年、世界最初の工業専門家の学会Institution of Civil Engineersが創立された。この学会から機械、通信、電気、鉄鋼などの諸学会が分化、独立した。最初のシビル・エンジニアの学会は、運河、港湾、橋梁(きょうりょう)、道路など、いわゆる土木関係の職業人が多かったため、日本ではcivilを「土木」、engineeringを「工学」と訳している。「工学」はその成立の起源から、職業的な技術を意味する。大学の工学部やさまざまな工学会が、現在では一般市民と縁の薄い特殊な職業人の教育と研究を意味しているのは、そうした歴史的起源による。一方、「技術」と「技術学」は、教授の自由、学習の自由を誇りとし、職業教育を求めないゲッティンゲン大学の一般教育から誕生したが、その性格は今日にも及んでいる。しかしその後、ドイツ語のテヒノロギーTechinologieとテヒニークTechnik、英語のテクノロジーtechnologyとテクニクtechnique、ロシア語のテフニカтехникаとテフノロギアтехнология、日本語の「技術」と「技術学」も、厳密に区別して使っているわけではない。ドイツ語のテヒニークを即物的、テヒノロギーを学問の意味に使うことが多いが、英語や日本語ではますます混同され、普通、英語ではtechnology、日本語では「技術」が使われる。しかし、この混同は、「技術」とは何かという本質的な問題を論ずるときに混乱となる。「科学」が「技術」に接近し、「科学技術」に一体化される今日、その起源に立ち返って考えることが必要となってきている。

山崎俊雄「技術」

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