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『蜻蛉日記』の堀辰雄訳『かげろうの日記』と『蜻蛉日記』概説

かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬ身をし歎けば、聲あらたまるもよろこぼしからず。猶、物はかなきを思へば、あるか、なきかの心ちする『かげろふのにき』といふべし。

『蜻蛉日記』

 『蜻蛉日記』(かげろうにっき、かげろうのにっき、かげろうにき)は、平安時代の女流日記文学。作者は、藤原道綱の母にして藤原兼家の妾。天暦8年(954年)~天延2年(974年)の20年間の出来事が書かれており、上中下の3巻よりなる。
 書名は、日記本文の「猶、物はかなきを思へば、あるか、なきかの心ちする『かげろふのにき』といふべし」より。「かげろふ」が昆虫の「蜻蛉」か。自然現象の「陽炎」かは不明であるが、「蜻蛉」が定説である。

藤原忠平┳実頼━頼忠┳遵子(円融天皇中宮)
    ┃     ┗
公任
    ┗師輔┳伊尹━懐子━花山天皇(第65代)
       ┣兼通
       ┣安子┳冷泉天皇(第63代)
       ┃  ┗円融天皇(第64代)
       ┃藤原中正の娘・時姫:正室
       ┃ ┣長男・道隆(953-995)━定子(一条天皇中宮)
       ┃ ┣長女・超子(954?-982)━三条天皇(第67代)
       ┃ ┣三男・道兼(961-995)
       ┃ ┣三女・詮子(円融天皇女御)━一条天皇(第66代)    
       ┃ ┣五男:藤原道長(966-1028)
       ┣兼家
       ┃ ┣次男・藤原道綱(955-1020)
       ┃藤原倫寧の娘:『蜻蛉日記』の著者
       ┗為光┳斉信
          ┣長女(藤原義懐室)
          ┗忯子(花山天皇女御)



天暦8年(954年)
 秋
 兼家と和歌の贈答がある。
9年 道綱が生まれる。
 9月 兼家は他の女に通い始める。
 10月 嘆きつつ一人寝る夜のの歌。
天徳元年(957年) 兼家の女が子を産んだと聞き嫉妬する。兼家から頼まれた衣を縫わずに返す。いさかいが絶えない。
2年 兼家の女が捨てられたと聞きよろこぶ。 このころから自然美に眼を開く。
康保元年(964年) 母を亡くし、悲しさのあまり、道綱を連れて山にこもる。
2年 母の一周忌の法事を、ありし山寺で行なう。この秋、頼もしき人の遠くにいくを送る。
3年 
 春3月
、をば君の病が重くなり、山寺に上る。とある夕べ、をば君を山寺に訪れ、しめやかに語らう。
 5月、兼家と双六をうち、勝って物見に出ると約束する。秋、ふとしたいさかいの果てに、鐘鋳を怒らせる。
4年 
 6月
、村上天皇の崩御、兼家はまもなく蔵人頭になる。天皇の寵愛あつかった女御に同情の和歌を送る。
 7月、兵衛佐という人が山に上って法師になり、若い美しい妻もその後を追って尼になると聞き、同情の和歌をその尼に送る。
安和元年(968年) 
 9月
、初瀬に行く。
2年 
 正月
、兄とこといみなどして遊ぶ。
 3月3日、節供など試み、ここかしこの人を招く。
 3月25、6日のころ、西の宮の大臣高明の流罪を悲しむ。
 6月15日、兼家は御嶽詣を思い立ち、道綱を連れて出発する。愛児の旅路の安泰を祈る。
天禄元年(970年) 
 3月10日
のほど、内裏で賭弓のこと。道綱がそのなかに加わり、勝ったことを聞き喜ぶ。
 6月、唐崎に祓いに向かう。兼家の愛がしだいにうすらぐ。
 7月、亡母の盆のこと。石山の10日ばかりこもる。
 11月、道綱元服。
 12月、人の心は次第に遠ざかりていわむ方もない。
2年 
 正月元日
、兼家来ず。近江という女のもとに通うといううわさ。2日ばかりして兼家が来るが、ものも言わない。
 2月、呉竹を庭に植えて寂しさを慰める。
 4月、道綱と長精進を始めようと思う。このころいちじるしく感傷的になる。
 6月、西山に渡る。兼家は迎えに来るが従わない。とある日、たのもしき人のためにむりやり連れられて京都に帰る。ふたたび初瀬に思い立つ。
 10月20日、屋根におく霜の白さに驚きの目を見張る。
 12月、雨の激しく降る日、兼家が来る。愛児の成長を見て母らしい喜びを味わう。
 25日、つかさめしに兼家は大納言になる。
 3月詩人らしい眼で春を見る。かつて兼家の通ったことのある源宰相兼忠の女の腹に、美しい姫君のあると聞き、その姫君を迎え、養女としようとする。
 6月、庭をはく翁の言葉に、詩人らしい耳を傾ける。
天延元年(974年) 
 2月
、紅梅の枝を兼家に送る。
 9月、中川に遊ぶ。12月、田上に詣でる。祓殿のつららに驚きの眼をはなつ。
2年 
 正月15日
、道綱の雑色の男の子らが儺をして騒ぐ。
 2月、右馬頭が養女に懸想し、作者にとりなしを頼む。
 11月、臨時の祭の日、ひそかに物見に出て、貴公子らしくふるまっている道綱の姿を見て父が衆人の中で面目を施しているのを見る。

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