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蜉蝣日記は、鶯だった?
『蜻蛉日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 』藤原道綱母 (角川ソフィア文庫)
美貌と和歌の才能に恵まれ、藤原兼家という出世街道まっしぐらな夫をもちながら、蜻蛉のようにはかない自らの身の上を嘆く、二一年間の記録。有名章段を味わいながら、真摯に生きた一女性の真情に迫る。
百人一首を最初に紐解いていたときに、藤原道綱母と出てきてなんだ、この名前はと思ったら、名前は知られず息子が官位があるからそう呼ばれていると知った。紫式部も清少納言もそうなのだがまだ役名で呼べれるだけいいかもと思った。母親も役名に違いないけど......。
そんな母は女であったという日記。当時は一夫多妻制。それも通婚。その制度の中で女とは?と思うのであるが、最初に家のために強制的結婚させらたこと以外はいまいち同情出来なかった。それは、結局兼家を拒んでいないのは、そこに欲望や感情があったからではないか?尼僧になる決意しながら、結局は俗世に戻ってしまう。道綱がいたからということが書かれてあるが、それは言い訳にしか過ぎないと思う。
時姫に同情を寄せながらも他の浮気相手には薄情な女である。そのツケが今度は自分に巡ってくると不満タラタラ。まあ、日記だからそういう俗物な心模様を素直に書いたのかもしれない。でも道綱の母親を思う信条といい、養女を貰い受ける日記といい、母親を強調しながら淋しい女を描いているその作為的な日記だとの印象を受ける(つまりその部分は読み物として面白い!)。
いよいよ兼家との関係も途切れて「うぐいす」の和歌を贈っているのは、兼家が最初に「ほととぎす」の和歌を贈ってきたから、対になっていた。そのように編集されている日記だった。つまり兼家との関係を綴った日記ということだ。ほととぎすは、うぐいすなどの他の鳥に抱卵させ子育てさせる。まさに兼家だった。
音にのみ聞けばかなしなほととぎすこと語らはむと思ふ心あり 藤原兼家鶯鶯も期もなきものや思ふらむみなつきはてぬ音ぞなくなる 藤原道綱母
堀辰雄と室生犀星がこの日記から作品を書いていることに興味を持った。堀辰雄は、恵まれない女の愛の悲しさを描いたもの。犀星は別の下賤な兼家の女からの視点だという。読んでみたい。
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