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「ヤマト=阿波」説に思う。

2人の人物がいたとする。

2人についての個人情報を各100集めて比較してみた。

名前と出身地が一致した。

これで「2人は同一人物である」と結論付けていい?

合致率は2/100=2%なのだが。

同姓同名なのでは?

上では2人の人にたとえたが、

「古代史」と「徳島」ではどうだろう?

「TOLAND VLOG」さんは、古代史について100以上の情報をお持ちだ。

そして、徳島へ行って、

「ここがオノコロ島です」
「ここが天の岩戸です」
と案内されれば、
「それ知ってる」
「それも知ってる」
と、お持ちの古代史情報と一致するものばかりで、知的興奮を覚えたに違いない。そして、知的好奇心が刺激され、
「面白い。もっと阿波国について知りたい」
と思ったに違いない。


阿波原理主義者の不思議なことは、以前書いたように、
正史『日本書紀』で語るのではなく、
歴史物語『古事記』で語ることである。
その理由は分からないが、想像するに、
『日本書紀』は、勝者(日本統一者)=天皇による「勝者(天皇家)の歴史書」であり、勝者に都合よく漢文で書いて中国に示した歴史書(漢文なので、多くの日本人は読めない=誤りを指摘できない)であるが、『古事記』は中国人に読めないように日本語で書かれ、基本的には門外不出の「真の日本史が書かれた書」だとお考えだからであろうか。(【追記】「阿波説」について調べたところ、『古事記』=『阿波国風土記』なので、『古事記』を使うらしい。)

 『古事記』では、阿波国の別名として「大宜都比売」(オオゲツヒメ)が登場する。
 そして、高天原を追放された須佐之男命は、空腹を覚え、大気都比売神に食物を求めると、大気都比売神は、鼻、口、尻から食材を取り出して調理して出したので、須佐之男命が「汚い」と怒って、大気都比売神を殺すと、大気都比売神の頭からは蚕が、目からは稲が、耳からは粟が、鼻からは小豆が、陰部からは麦が、尻からは大豆が生まれたとするが、『日本書紀』では、これは、須佐之男命が高天原を追放される前に、月読命が保食神を殺した時の話だとしている。   
 『古事記』と『日本書紀』のどちらが正しいかについては、須佐之男命が高天原を追放される理由の1つに「田を荒らした」がある。つまり、須佐之男命が高天原を追放される前から稲は存在したのであるから、『日本書紀』の方が正しいと思われる。

上の動画で、阿波との関係が不明の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のコスプレをされているヤマモトタケルノミコト氏(「山本武(ヤマモトタケル)」じゃだめなの? 神だと自称したいの?)は、
①須佐之男命は、阿波国に来て大宜都比売の料理を食べた。
②大宜都比売は大月氏と関係あり。
としている。
 阿波原理主義者の不思議なことは、以前書いたように、敗者(忌部氏)が書いた歴史書『古語拾遺』を使わず、大宜都比売にしても、忌部氏に結び付けようとしないことである。

 ちなみに、オオゲツヒメの「オオ」は「大国主命」の「大」と同義、「ケツ」は「食物」の意味の古語で、合わせて「大いなる食物神」「偉大なる穀物神」の意味となり、阿波(語源は穀物の「粟」)の神に相応しい。
 大陸の遊牧民族「月氏(げっし)」は、漢の孝文帝(在位:前180~157)の時代に月氏王が殺されると2つに分かれ、イシク湖周辺へ逃れたのが「大月氏」となり、南山羌(現・青海省)に留まったのが「小月氏」となった。「阿波国へ逃げた大月氏の姫が神となり、オオゲツヒメとして祀られた」という考えはどうなの? イシク湖周辺に大月氏国を建国して住んだ月氏が大月氏なのであって、阿波国へ逃げた月氏は月氏、もしくは阿波月氏であって、大月氏とは呼ばないと思うよ。

 余談ではあるが、「キツネ」の語源には諸説があるが、鳴き声を表す「ケツケツ」「キツキツ」に神道系の敬称「ネ」を付けて、「ケツネ」「キツネ」にしたという。「ケツ」は「食物」の意味の古語で、さらに狐の尻尾が稲穂に似ているとして、稲荷神(御饌津(ミケツ)神)の眷属にされたという。

 さて、邪馬台国の所在地であるが、邪馬台国の情報については、『魏志倭人伝』に数個載っているくらいなので、ある場所と、邪馬台国の特徴が数個一致するだけで、一致率が数十%になってしまう。このため、邪馬台国の所在地については、有名な筑紫説、大和説以外にも、阿波説など約40説ある。

──「ここが邪馬台国の所在地である」と確定する決め手は何?

 「2人は同一人物である」の証明であれば、2人の個人情報を100集めて比較しなくても、指紋かDNAが一致すればよいのだが・・・。邪馬台国の位置については、古墳を発掘して、卑弥呼が魏からいただいた「親魏倭王」の金印が出てくれば確定でしょうか? ちなみに、ヤマト=阿波説の論者によれば、八倉比賣神社(徳島県徳島市国府町矢野)の古文書に、卑弥呼の墓には、遺体と共に金印が収められていると書かれているそうです。


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