文化の秋 ー邪馬台国茨城県説ー
「文化の日」である。
各地の博物館が無料になる。
昨年は「東海道53次・新居宿へ」と題して、新居関所博物館と応賀寺宝物殿の無料開放へ行き、無料の抹茶を飲み、無料の関所饅頭を食べてきたが、今年は外出禁止で、どこへも行けない(泣)。
今年の3連休は家で「関ケ原の戦い」のお勉強。
今日から古代史系4チャンネル合同企画「古代史論考の分かれ道!」が始まった。第1回のテーマは「2つの奴国」である。
「奴国」は、「名国」であり、「本来は〇名国であったが、中国風に名国にした」が持論であるが、まずは、最近「なるほど」と唸らされた「邪馬台国茨城県説」について。
邪馬台国については、今まで、
★『魏志倭人伝』を読んでみた。
★倭(北九州)+日本(大阪府~奈良県)=大和(首都は纒向)
において、和(やまと。北九州の30ヶ国連合国家。中国人は「倭」と表記。大統領は邪馬台国の卑弥呼(日巫女?)。首都は大宰府)が東の日本(ひのもと。総理大臣は太陽神・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(物部氏の祖)。首都は日下)と合併(合併のきっかけは、神武天皇東征ではなく、物部氏東進)して大和(おおやまと)になったとした。つまり、大和とは西日本のことであり、その後、東日本へ侵攻(日本武尊など)していったとした。
しかし、首都は国の中央に置くべきで、奈良県の纏向ような西日本の東端(東征の前線基地)に置くのはどうかと思っていた。奈良県では東夷に簡単に攻められるのではないか?
今回見た動画では、邪馬台国は茨城県にあった日高見国であるとする。
ということは、
大和=西日本(弥生人)+東日本(縄文人)
であり、首都を西日本と東日本の堺の奈良県に置いたということになろう。
確かに、大和政権の勢力範囲を「前方後円墳のある場所」とすると、その範囲は西日本だけではない。
以下は妄想です。
・日本武尊の東征とは、茨城県に入って統治すること?
・『日本書紀』の編纂に当たり、倭国部分=茨城県部分は、
茨城県出身の中臣氏=藤原不比等に任せた?
・邪馬台国の遺構がないのは、徳川家康の関東移封時の工事で破壊された?
・日本人のDNAには、西日本 vs 東日本の抗争が刻まれている?
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