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天津神がおられる高天原はいずこ?

国津神は、地上(日本国)におられるが、天津神がおられる「高天原(たかまがはら、たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら)」はどこにあるのか?

A.天上説(『古事記』):UFO説
B1.地上説(海外説)
 ・朝鮮半島説
 ・中国説
B2.地上説(国内説)
 ・九州説(宮崎県高原町~高千穂町~熊本県山都町):高天原=邪馬台国
 ・阿波説:美馬市の木屋平(前期高天原)→神山町一帯(後期高天原)
 ・大和説(葛城山高間原):高天原=邪馬台国
 ・滋賀県米原市伊吹山:天照大神が草薙剣を落とした場所
 ・富士山北麓(『宮下文書』)
 ・常陸国(茨城県)多賀郡(新井白石『古史通』。邪馬台国=茨城県説)

 など多数。
C.作為説(神話は作為(創作)なので場所の考察は無意味)



A.天上説


 古代の日本人は水平思考であり、垂直思考は仏教伝来以降の思考だという。「天から神様が見ている」「人は死ぬと星になる」というのは外国人の発想で、「神はすぐ近くで見ている」「人は死ぬと裏山の木になる(神の数え方は「~柱」)」というのが、古代日本人の考え方である。つまり、Aの天上説は有り得ないし、もしそうであれば、高天原は巨大UFOの内部、あるいは太陽や月にあることになってしまう。

 記紀では、「三貴神」を天照大神(高天原の神)、月読命(黄泉国の神)、須佐之男命(海原の神)、つまり、生きている人が住んでいない場所の支配神とし、生きている人が住んでいる大地の支配神が含まれない。(天津神「三貴神」の誕生は、国譲り以前のことであり、大地の支配神は、国津神だというのであろう。)これに対し、『宮下文書』の「三貴神」は、天照大神(平野の神)、月峰命(山の神)、須佐之男命(海の神)とする。つまり、生活に密着した場所の支配神とし、古代人の水平思考に沿っている。
 瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子にしても、記紀では、火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠理命(山幸彦)とし、火須勢理命については不明だが、『宮下文書』では火須勢理命を「農幸彦」とし、ここでも、山・平野・海がセットになっている。

B1.地上説(海外説)


 日本人の垂直思考は仏教伝来以後であって、古代日本人は水平思考で、「天上界」とは、水平的に「遠い場所」のことであり、それは「海の向こう(外国)」だという。東端(本州なら日立、紀伊半島なら伊勢、九州なら日向)の海の先に高天原はあるという。それは竜宮城なのか、沖縄の理想郷「ニライカナイ」なのか。
 須佐之男命は、新羅の曽尸茂梨(そしもり)出身である。日本古来の神が国津神(縄文人の神)で、外国から来た神が天津神(弥生人の神)だという。
 高天原=エジプト説もある。天津神はエジプトの神々だという。「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」では、日本の八百万の神々は、様々な仏(菩薩や天部なども含む)の化身だというから、高天原=インドとなろう。

B2.地上説(国内説)


 天津神の移動手段は空船(頑丈に作られているので「磐船」ともいう。UFO?)であるが、記紀を編纂した大和政権にとって、大和から船に乗って行く遠い場所が高天原だという。神武天皇は九州から来たので、彼の故郷である九州に高天原=邪馬台国があるという。

 最近熱いのが「高天原は阿波にあった」という説である。阿波国の平野部は「出雲」と呼ばれ、国譲りが行われた場所で、山間部が天孫降臨があった高天原だという。

 他に静岡県伊豆の国市高天ヶ原のように「高天原」という地名や、高天原にあると思われる「天の岩戸」は全国各地に20ヶ所はある。


 「高天原」は富士(福地、不二)山の北東にあった。

 富士山(福地山)の北麓を「高天原」「富士高天原」といい、『宮下文書』は、この高天原にある宮下氏が宮司を勤める高天原宗廟天社大宮阿祖山太神宮(阿曽谷宮守神社。現在の北東本宮小室浅間神社(山梨県富士吉田市大明見))に保管されている。
 記紀の不思議に「富士山が出てこない」があるが、「高天原」という別名で出ているのだという。

・阿祖山:高天原の北東端。現在の杓子山。
・阿曽谷:高天原の北東端。阿祖山の山麓。
・宇宙湖:現在の山中湖+忍野八海。
・家基津(かきつ):富士王朝の首都。
・大明見(おおあすみ)
 ①「富士四湖」の明見湖(現在の蓮池)があった場所。
 ②「浅海(あさうみ)」の転訛(『大日本地名辞書』)
 ③「阿曽海(あそみ)」の転訛(『角川地名大辞典』)
 ④「偉大なる安曇(あずみ)族の土地」
・「宮下」姓:高御久良(たかみくら)神社の下に住んでいたことから。

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