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実在する高天原 古事記は実話を元に書かれてます

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佐那河内村大河原高原より 
徳島沿岸部から吉野川流域を臨む



高天原は実在したのかな

前回は箸休め的に、
私が常宿としている
神山温泉ホテル四季の里を
ご紹介させていただきました。

私たちが計画している山の宿。
やまつみの宮からも車で10分以内の場所。
おススメの宿です。

さて、神山温泉ホテル四季の里。
そこを拠点に回れるエリア。

徳島県名西郡神山町。
徳島県名東郡佐那河内村(さなごうちそん)
徳島県徳島市国府町。

上記に挙げたエリア。
天照大御神がお住まいになった場所。
高天原なのかもしれません。

また、故、安倍晋三元総理大臣の時、
各国首脳をサミット時にご案内した
伊勢神宮。

伊勢神宮 初詣の写真


伊勢志摩サミット 今は亡き安倍さん

その伊勢の元もこのエリアかも。
私の個人的(あくまで個人的)見解。
ですが、
条件が揃いすぎていて怖いくらい。

ここの所、出雲の神様の神社の話が
続きましたので、
神山温泉の宿をご紹介した流れから、
高天原、もしくは、
元伊勢かもしれないエリア。
何度かに分けてご紹介させていただきます。

佐那河内村とは 日本書紀より


まずは、重要な佐那河内村(さなごうちそん)。
恥ずかしながら私、
初見で、さなごうちそんと読めませんでした。

実はこの地名が重要ポイント。
『記紀の説話は阿波に実在した
 高木隆弘著』
より、引用させていただくと。

以前も紹介したおススメ本

日本書紀によると、
月読命(つきよみ)が保食神を殺します。
この保食神はオオゲツヒメ。
伊勢外宮に祀られる、
豊受大神と同じ神様と言われています。

オオゲツヒメを祀る 上一宮大粟神社 ご本殿(神山町)

それを聞いた天照大御神。
様子を見に行かせます。
すると、
保食神の死体から五穀が出ていました。
アマテラスはそれを持ち帰らせました。

『即ち其の稲穂を以って、
始めて天狭田(アメノサナダ)及び長田に殖う』

『天照大神、天狭田、長田を以って御田としたまう』

天一神社から 棚田風景

続いて書記より。

猿田彦大神はアメノウズメの問いに対して、
『天津神の子は、
筑紫の日向の高千穂のクシフル岳に
到りますべし。
我は伊勢の狭長田(さなだ)の
五十鈴の川上に到るべし。』

と、猿田彦自身の居住地が、
伊勢の狭長田であることを述べている。
(五十鈴川は佐那河内村を流れる園瀬川か)

佐那河内村 大宮八幡神社境内に残る 決定的事実
猿田彦神社と豊玉姫神社が廃社とされたのかな?

この伊勢の狭長田とは、
以西(いせ)の狭長田のこと。
大宝律令(701年)後の
伊勢ではない。

こちらも書記より。

葦原中国に降臨したニニギノミコトの妻。
コノハナサクヤヒメは、
『卜定田(うらへだ)を以って、
号けて(なづけて)狭長田という』

と、ある。

即ち、高天原にある天照大御神の棚田である
狭田(さた)と長田(ながた)の稲穂を
葦原中国に植えて、
狭長田(さなだ)と名付けたのである。

いかがでしょうか?

佐那河内村史によると、
佐那河内の旧名は、
佐那県(さなのあがた)、狭長村(さながむら)。

加えて、今でこそ名東郡佐那河内村ですが、
昔は以西(いせ)郡だったのです。
(重要な地名も変えられているのかな)

佐那河内村は1800年前には
既に米が作られており、
美しい棚田が現在も残っています。

天照大御神の棚田。
現在も続いている。
凄いことですよね。

天一神社と氏子

今日は詳しく紹介できませんが、
佐那河内村にある嵯峨天一神社。
境内の隣には嵯峨川が流れ、
(京都の嵯峨の元?)
鳥居前には田が広がっています。

天一神社 注連縄は氏子手作り
天一神社前の嵯峨川


棚田から天一神社を臨む 高天原?の風景

実は、この鳥居前の田。
持ち主が高齢のため、
数年間、耕作放棄地となっていたそうです。

氏子の有志の方々。
天一さんの前の田が遊休地では申し訳ない。
と、今年、
氏子有志の方々で田を復活させました。

もち米を植え、育てて収穫。
先日、天一神社境内にて、
村内の方へもち米販売会。
収穫したもち米を使って餅つき。
出来たお餅をお供えし、
村の人たちに振る舞ったのです。

前日、やまつみの宮の打ち合わせがあり、
徳島に居た私。
建築家の内野先生(佐那河内住民)から
この行事を教えてもらっていたので、
餅つきの様子を生で見ることができました。

天一神社 餅つきの様子 氏神様中心の地域の結びつき 模範モデルです

過疎化や高齢化により、
地方の神社が荒廃していく中、
氏子たち自ら声を上げ、動く。
感動しかありません。
すごい!

ちなみに、こちらの天一神社。
祀神は天照大御神と月読命、大白星神。

前述の高木隆弘氏の著書によると、
天照大御神の宮居であったかもしれない神社です。

伊勢神宮と嵯峨天一神社

以前、嵯峨天一神社氏子の皆さんが
伊勢神宮参拝された時のお話。
(また聞きネタですが)

天一神社伝承の神楽を奉納されたそうです。

全国の神社からの、
参拝も多い伊勢神宮。
その時、外宮と内宮両宮に
神楽奉納が許されたのは、
天一神社一社のみ。

それだけでも稀有な事です。

もう一つ、
参拝する方がお布施を献上する。
これも当たり前。
ましてや天下の伊勢神宮ですから。

ところが、
天一神社は伊勢神宮から、
お礼(おれい)を頂いたそうなのです。
すごい事ですよね。
ただの田舎の神社ではないのは、
明らかです。

お礼が何か?

ここで書くのは控えておきますね。(笑)
絶対にありえないことだと思うので。
秘密です。(笑)

伊勢神宮は分かってます。
元がどこなのかを。
言ってはダメなので、言いませんが、
伊勢神宮の記録書に残されていますから。

最後にもう一つ。
古事記、天孫降臨の項より。

『手力雄命(たぢからお)は
佐那那県(さななあがた)に坐す(います)』

と、記されています。

そして佐那河内村には、
何度かブログに名前が出ている
天岩戸分神社があります。
こちらに天手力雄命は祀られており、
手力雄命の塚が残っています。

佐那河内村 天岩戸分神社奥の院 古墳のよう
奥の院にある祠 誰を祀っているのかな

信憑性だけの問題で、
ほぼ、高天原はどこだったか?
かなり確率の高い比定地だと思いませんか。

引き続き、佐那河内村周辺の神社。
ご紹介していきますね。
お楽しみに。

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本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます。



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