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#13 慈愛と赦し

この人には「どうせわかってもらえない」「どうせ愛してはもらえない」と落胆や幻滅するような感情があるならば、自分に対しても相手に対しても、慈愛と赦しを持って接してください、というメッセージが来ています。

嵐が止む、無風、静けさ、無色透明、クリスタルのイメージです。

いつもより、クリアな気持ちで世界を眺めてみるといいかもしれません。

落胆や幻滅などの感情で揺さぶられる時は、心を落ち着けられる場所で、率直な自分の感情ととことん向き合って見るといいかもしれません。

◆ ◆ ◆

人が孤独を感じる時というのは、自分が心を閉じているからだったりします。

心を閉じてしまうのは、前提として自分の中に、「どうせわかってもらえない」という他人への落胆や幻滅の気持ちがあり、愛ある関係を作る前に、すでに諦めてしまっているからではないかと思います。

小学生や思春期の頃、両親から、心配のエネルギーを過度に受けとっていた記憶はないでしょうか。

わたしは両親に対して、根本的に「どうせわかってもらえない」という幻滅の感情があり、今でも怒りが湧くことがあります。

あなたが心配だ、というエネルギーは、相手の力を奪います。
心配するとは一見愛情のようでいて、相手の力を信用していない、あなたはわたしが何とかしてあげないといけない弱い存在だといっているようなものです。

そうやって心配することによって得られる親側のメリットは、自分が相手より優位に立てる、自己効力感が増す、(本当の愛情の掛け方がわからないから)心配することで愛情をかけていると思える、というような、歪んだ感情を満たすものだったりします。

特に自分の子どもや不遇な動物に対しては、無意識にやりがちです。

子供は素直ですから、「ああ、わたしは心配されるような存在なんだ」と潜在意識レベルで認識し、実際に「心配をかけるように」振る舞うようになったりもします。

乳児期、幼児期など、まだ小さなうちは、命を保護するために心を配る必要があります。
ですが年齢が上がるにつれて、必要以上の心配は、子供の生きる力を奪い、自己肯定感を下げることになります。
あまりにも親に気づきがなければ、最終的には、親に対して幻滅するようになります。

と言いつつも、わたしは今親の立場なので、親が子供を心配する気持ちがよくわかります。

わたし自身が未熟であり、インナーチャイルドがあり、無価値観や罪悪感がありますから、子供を「利用」して、自分自身を癒していたりもします。
いつかわたしも、こどもに幻滅されるかもしれません。
親がどんなに頑張ったとしても、愛情をかけたつもりでいても、子供がどう親を評価し、感じとるかは、子供自身に任せるしかありません。

この状況を俯瞰して見ると、滑稽でもあるし、愛おしくもあります。

結局、親はわたしであり、子供はわたしであり、みんなで傷つけ合いながら、怒り合いながら、気づきを得ながら、少しでも改善しようと試行錯誤しながら、魂の成長をしている途上にある。
そういう魂のパートナーとして、今その相手は、わたしの側にいてくれている。
すると、その存在が愛おしく感じるようになる。

慈愛と赦しとは、そんな俯瞰したところからの気づきから生まれるものかと思います。

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