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国際博物館の日:2024/5/18

 5月18日は国際博物館の日となっている。
 1977年に国際博物館の会議で決まったらしい。今年のテーマは「学びと研究のための博物館」。
 おそらく、僕のように学芸員資格のための学習等を挟んだ経験の無い方にとっては、当たり前の事すぎてピンとこないのではないだろうか。
 そもそも博物館は学びの場所だろう、と。

 だが、昨今では必ずしもそうとは言い難い。
 特に日本においては、博物館を観光施設化、博物館資料・展示物を観光資源化しようという国家的な意図がある。
 だからこそ今、博物館に携わる、あるいは博物館を利用する者にとって、学びと研究のための博物館を考えることは、決して通り一遍の議題という訳ではないのだ。博物館の在り方が変わりつつあるからこそ。

 個人的には、この課題は寺社仏閣における「御朱印」ブームに似ていると思う。
 本来、信仰の場であり、“参拝”した暁に御朱印をいただく、というものであったのに対して、御朱印が目的となっており、参拝ではなく“観光”している、というもの。
 博物館が観光施設としての在り方に一本化される、とはまだ考えにくいものの、仮にその軌道上にあったにせよ、御朱印の例を鑑みるに、それを止める方法はない。
 
 それは大多数の無関心ゆえだろうか。
 それとも、「(そういう)時代」というあまりにも大きな言葉によって片付けてしまってよいものなのだろうか。

 例えば、ミュージアムの語源はたしかムセイオンにあったと思う。
 古代ローマにおける学問の場だが、そこはムーサという女神の崇拝の場でもあった。
 しかし、今やどこの博物館でも、神殿としての役割は消失している。
 これは、古代の博物館と近代博物館の形態の差異ではあるが、ひとつの歴史の上で、その使命が変容していることのひとつの実例でもある。

 ではそろそろ本題に真剣に取り組んでみたい。
 だが、ここでも僕の思考法の常として、対立物から検討しようと思う。
 つまり、学びと研究のための博物館を考えるにあたり、まずは“学びと研究のためではない・ためにならない博物館”というものを想定すれば、自ずと重要なカギが現れるという論理。

 学びにつながらない博物館とはなんだろうか。簡単に特徴を挙げてみる。

  • 解説がない。

  • 展示品がそもそも何なのか分からない。

  • なぜ展示すべきモノなのか分からない。

  • 展示順路・動線が悪く、まとまりが無かったり疲れる。

  • スタッフ、他の来館者、音が気になって集中できない。

  • 誤った情報、既に古い情報ばかり。

 とりあえずこんなところだろうか。まとめると、「展示の質」「施設の利便性」がかなり重要だと、少なくとも僕は捉えている節がある。
 さて、流石に解説がない展示に遭遇することは無いと思われるが、残念ながら、展示内容が古い、という事は時折ある。

 これは研究のための博物館としても致命的だろう。勿論、その館に所属する学芸員(≒研究者)はその事を把握してはいる。ただ、費用と時間や許可が得られないだけだろうと思われる。
 特にそれが国立であれば、展示を変えるのは容易ではない。様々な申請の末にようやく動き出せる。
 博物館の大きな収入源は、入館料にある。
 展示内容を変更するためには、休館する必要性がある。だが、休館すると、今度は展示を刷新する財源が確保できない・赤字というジレンマがある。

 なお、日本には「博物館法」があり、博物館も以下のように定義づけされている。この定義のもと、様々なジャンル分けがなされている。

「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、併せてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関

博物館法第一章第二条 抜粋

 このように、博物館の役割は収蔵庫、展示室だけではない。調査研究もれっきとした目的であり、だからこそ学芸員は研究者でもある。
 一方で、大学や研究所のような形態でもない。誰でも訪れることができ、学ぶことができる。

 だが、誰でも来れるが、誰でもその体験を発展させられる訳ではないのが、観光施設化してしまった際の弱みであろう。
 つまり、博物館へ行った、という事実だけを消費し、あの展示室で観た○○に興味を持ったので、帰宅後、調べてみるというような学びと研究のための博物館であるためには、今のようにただ置いている、かつての展示内容を引き継いでいるような館であれば、それは不十分と言わざるを得ない。

 近頃の印象では、幼い子でも分かるように、キャラクターが展示パネルで説明を簡単に言い換えていたり、クイズ的なものがあったりする。
 通常の解説と幼少向けがある一方で、研究のための博物館として打ち出すには、より専門的な内容のパネルも設置したり、従来の考え・価値観と最新研究の報告を示すことの方が、来館者にとっても、人に言いたくなる雑学的な面白味もあって良いのではないだろうか。
 
 あとは、人がひしめき合うのような展示会場は御免被る。そのような学びの場が他に想定できないのならば、それは学びの場として相応しい様子ではない、という事なのだから。

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