天与の品、ぬーどるストッパーフィギュア
美少女フィギュアを愛で、飾り、心を癒すという現象はまさに、聖母像に対する行為に等しいと思われる。
こういった言説は決して稀ではない。おそらく文化人類学的な観点から言っても、それは類似した行為ではあろう。
オタク文化にとっても一大産業でもあるフィギュア業界において、天与の品であろうかと個人的に感じざるを得ないレーベルがある。
僕の中ではフィギュア上の今世紀最大の発見・発明だと思う。
それが「ぬーどるストッパーフィギュア」。
さっぱりとした公式サイトを訪れると、何でもないフィギュアたちの写真がたくさん。確かにフィギュアとして、かなり高クオリティではあるが、天与とまで表現するレベルかは怪しい。
だが、その名が示すようにこのフィギュアの主たる用途はカップ麺の蓋などに置くことである。
それ故に、他のフィギュアと違って台座は存在しない。
思うに、これは視覚的に大きな影響がある。
台座があることで、いかにリアルなフィギュアであっても、それはやはりフィギュアであって、息遣いが感じられない。
だからといって、ぬいぐるみとなると、リアルさが無い分、自己解釈の世界のものとなり、「そこに居る」感覚を他人へ共有することは難しくなる。
だが、ぬーどるストッパーフィギュアの場合は、台座が無い代わりに、平らな場所であれば“座る”ことができるのだ。
僕はブリッドを手に入れることができた。
登場すると聞いた時は、まずその造形に拍手し、お目にかかれる日を待ちわびたものである。
とはいえ、実のところNIKKE自体はもうプレイしていない。
やはり幼い頃と違ってゲームはもう長続きしない体質となったようだ。決して飽きたという訳ではないので、こうして未だにブリッドに対する好意は健在だ。今はニキシー管風時計の上に座らせている。
鉄道員でもある彼女らしく、時間とデジタルが非常に良いバランス。
3分といわず、常に時計のそばで、涼し気な視線を送っていただきたい。もはや一つのアートである。
アメリカの哲学者ジェームズの有名な言葉に、「真理であるから有用、有用であるから真理」というものがあるが、これもまた、そういった感覚に近しい。
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