命の洗濯の為にいざ銭湯へ。
突然ですが、僕はゴールデンウィークを、これまでで一番充実かつ楽しんでいます。
心からそう断言できる人はそう多くないのではないでしょうか。
様々な過ごし方を既にしてきましたが、そのひとつとして、銭湯へ行く、というのも行いました。時間・資金にゆとりがあれば、温泉旅館へ行くというのも一興でしょうが、今回は手ごろな銭湯へ。
“命の洗濯”という言葉の意味は、日頃の苦労や束縛などから解放されて、のびのびと気晴らしをすることです。
そんな命の洗濯の方法に、一つの解を示してみせたのが、表紙にもある『エヴァンゲリオン』の登場人物・葛城ミサトさんです。彼女の名言に、「風呂は命の洗濯よ」というものがあるのをどこかしらで聞いた事があるのでは。具体的に心身を浄めていることからも、より原義より洗濯らしさが出ており、なるほどと多くの人が納得する言葉かと思います。
実際に、お風呂に普段からゆっくり入っている人であっても、いざ何時間も入るということはあまり無いかと思います。それも、様々な効能・趣向のお風呂となると、自宅では楽しめない。そこで、銭湯というわけです。
言わば、身体を洗うという目的の為の入浴(→手段)ではなしに、入浴自体を目的とするということ。
手段と目的の転換というのは、普段から僕自身それなりに意識するようにしています。例えばスーツなども、制服としてではなく、ファッション・教養の表現として用いたり。
近頃では僕の中で、単純にファッションそのものへの関心も高まっています。
そもそもは、貴族に関する歴史・文化への興味から入り、有閑・ジェントリー階級、そして服飾へのこだわりを大いに示した「(19世紀)ダンディズム」についての本を読みだし、いよいよ自らがファッションで体現しようとしだした訳です。これもまた、日常による束縛ではなく、己のしたいことへと変換しています。
同様に、入浴という社会的なある種のルールも、ひとつの趣味であり、同時に休息となる、そんなきっかけとして、銭湯はすばらしい。
レジャーに勤しむのも良いけれど、非日常的・一時的なものとしてではなく、今後も続けられる休暇の在り方を模索するのに、ゴールデンウィークは非常に適していると僕は思います。
己を見つめ直す期間、などとまとめると、いかにも学生相手に語る訓話のようで恐縮ではありますが。
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