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「こんな形の恋の文」

君は……今でも、僕の中の、特別枠の親友だよ──

大学進学を機に実家を出て上京、一人暮らしを始め、社会人になり久方ぶりに帰省してきた。
大学時代も長期休暇には多少帰省してはいたが、バイトがあるので、あまり長くいなかった。
実家と上京先はまずまずな距離がある。
僕は今、休職中だ。仕事が好きすぎてついつい張り切ってしまい、三十路手前にツケが来て体調を崩してしまった。
一ヶ月近く入院する羽目になり、上司から休暇を言い渡され、ついでに実家で療養を兼ねてゆっくりしてこいと言われた。

久方ぶりの実家は、程よい田舎具合でのんびりしていて、空気もおいしく、食べ物も美味しく、地域の人々の思いやりがとにかく弱ってしまった心身にあたたかく染み込んで、「ありがとうございます」笑いながら止まらない涙を手の甲でずっと拭っていた。
そんな僕の手におばちゃんがハンカチを握らせてくれて、有り難く顔を覆い涙を拭いた。

人間関係の希薄になった現在、この地域も徐々にそういう傾向になってきているという。

帰省から1週間が経過する頃、遅い朝ごはんを食べて、全巻揃った漫画を読み返していた。
冊数の嵩む連載物を買わない僕が唯一、珍しく全巻揃えた。26巻。
揃えるなら、長くて10巻までと未だにそうしている。
この漫画は僕の中では稀な物だ。
読み返しているのだが、なぜ揃えるほど夢中になったのか面白さが今はわからなくて、病気のせいだろうと思い読み進めた。
「紘明(ひろあき)、いる?」
姉さんの声に漫画から顔を上げて「いるよ。なに?」と返すと、ドアが開いて姉さんが入ってきた。
背中までの黒髪を後ろで束ねて、七分袖のシャツにジーンズとラフな格好だ。
「仕事は?」
「今日は休み。私もここ出ようかなぁ。稼ぎ少ないし友だちもみんな散り散りだし」
読み終えた漫画を拾い上げ、チラ見して畳に置く。
「都会は病みやすいよ?」
「メリットデメリットはつきものでしょ。表裏一体というやつ。それより……」
はい、と開いている漫画の上に、少し色落ちした封筒を置いた。
“ひろくんへ”
それこそ十数年ぶりに見た文字に、当時が蘇ってきた。
「っ…これ、ど、どこから?」
「あんたが引っ越していったあと、廊下に落ちてたの。帰省の度に渡そうと思ってるんだけど忘れちゃってね。やっと渡せた。中は読んでないから安心して」
僕の動揺を中身を勝手に読んだせいと勘違いした姉さんは、そんな返事を残して部屋を出て行った。
「……まー、くん……」
震える手を伸ばし、くすんだ水色の封筒を指先で掴み裏を返せば“まことより”と有り、当時の呼び方を掠れる声でつぶやいた。
漫画を閉じ、封筒から手紙を出す。
保存状態が良く、封筒も便箋もしっかりしていた。
当たり前だ。これは…………

『ひろくん
転校初日に一番に声をかけてくれたのうれしかったよ。
ひろくんは、ぼくの名前をかっこよくてうらやましいと言ったよね。
紘明。ぼくはすてきな名前だと思ってるし、好きです。ぼくのほうこそ、うらやましいです。
これからべつべつの人生を歩んで、おたがいのことを忘れてしまうのかな?
ぼくはひろくんに忘れられても大丈夫です。
短い間だったけど、とても楽しい時間をすごせた。
ありがとう。
ぼくはひろくんを忘れません。
転校ばかりの人生で、ひろくん以上の友だちは後にも先にもきっといない。きっと。
ひろくんはぼくにとって特別な人です。
ごかいを恐れず言うと、友だちとして大好きです。
ひろくんの幸せを祈ってます。
お元気で。
さようなら。
まことより』

この手紙は、僕だけに、家のポストに直接投函されていたものだ。クラスの誰も貰っていない。
おそらく、町を旅立つ早朝のうちに来たのだろう。
その日、学校から帰ると僕の部屋の学習机の上に水色の封筒が置かれていた。
あなた宛てだから置いておいたと祖父に聞いた。

誠は、小学四年の秋〜五年の秋まで父親の転勤でこの町に来た。
こざっぱりした格好をして、マイペースかと思いきや変に知識があり、井の中の蛙な僕を現在こうして町の外に出るきっかけを与えてくれた。
町とは名ばかりの何もない、モノクロの僕の目の前は誠を通して色付いた。
窓を開けて、改めて部屋を振り返る。
ああそうさ。全巻揃えた漫画は、誠が「好きなんだ…」と教えてくれた物だから、本棚の一番日の当たらない場所に並べて布まで掛けて保存しているのだ。
自分のルールを唯一曲げたのは、誠の存在があったからだ。

転勤族と頭の良い誠だからこその、吸収した知識量と年齢的に習わない漢字の入った手紙。そのくせ文字の感じはどう見ても幼さの残るもので。
あの頃は祖父母や両親に漢字の読み方を訊きながら読むだけで精一杯だった内容が、実はこんなに美しいものだったと今頃、気付いた。

恋人関係だけが、たいせつで、唯一、特別な事ではない。
友人関係だって究極論然りだ。

俺だって、忘れたこと無い!
忘れるもんか!
君の物知りなところ憧れたよ。
純粋な君が、手紙(ここ)に居るね。
嗚呼……なんて素敵な恋文なんだろう──

…………これは、宝物だった。否、これからもだいじな宝物に変わりは無い。
僕にとっては、宝石のように輝く……「特別な宝物だよ、まーくん。俺も、まーくんが大好きだよ──ッ……」手紙を胸にあてて、しばらく立ち尽くしていた。

誠……君は、この先も、僕の特別枠の親友だよ……
君と出会えたことに感謝を。
君が友だちなことは、何よりの宝だ。

僕は涙を拭い、鼻をかんだ。
さて、君に再会したのだから、これからのリスタート計画を、立てないとね。

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