熊掌料理 ツキノワグマの手を食べる
狩猟期間が終わった2月下旬、鳥撃ち師匠の宮澤さんから熊の手が手に入ったと連絡があった。それはすごい。熊肉は食べたことがあるけれど、手となると触ったことさえないのだ。食べられるというので、めったにない機会だと思い、冷凍保存を頼んで本誌編集長に連絡すると、見たい、味見したい、撮影したい、と即座に返信がきた。
ラーメン屋「八珍」を営む師匠は若いころから料理店で修業を重ねた人。店名の「八珍」は、中国で古来、珍重されてきた食べ物の総称であり、そのなかには熊掌(ゆうしょう)も入っているのだ。
中国では2000年以上前から熊の手が食べられ、中国全土の珍しい料理を集めた宮廷料理〝満漢全席〞のメニューにも入っていたほどなのだ。庶民の口に入るものではなく、出まわることも少ない。
値段も高価でひとつ数万円するともいわれるが、日本では食べる習慣がなく、猟師たちもほとんど捨ててしまうのだろう、その味について聞いたこともなかった。
今回入手できたのは、熊を仕留めた猟師が、「八珍」にひっかけた洒落っ気を発揮したのかもしれない。においの強い熊肉料理でよくあるように、ワイン煮にする食べ方もあるようだが、ここは本場に敬意を表し、純中華風の調理法で熊の手を体験してみたい。
「そうですね。ちょっと研究してみましょう。準備ができたら連絡します」
ジビエマイスターの資格を持つ師匠も、熊の手は初体験とあって気合が入っている。さて、どんな料理に仕上がるか……。
困ったことに、味の想像ができない。熊の肉なら何度かモモ肉を食べたことがある。調理法は、塩麹にひと晩漬け込んでからステーキにしたものや、ワインとトマトを煮込んだラグーなど。独特の臭みを消すことが主眼だった。
いま独特と書いたが、それがどんなものなのか、言葉で説明するのは難しい。たとえば鴨肉なら、スーパーで売られている鶏肉や合鴨と比較することができ、歯ごたえや肉の締まりを表現しやすい。イノシシも豚肉との比較が可能。飼育された生き物と、自然のなかで暮らす生き物との差が歴然としている。
しかし、熊には、われわれがふだん口にするもののなかに比べられるものがない。鴨やイノシシより、さらに濃厚で、脂身には甘味さえあり、ぼくは大好きだ。まぁ、機会があれば食べてみてください。
熊の手と聞いて、思い浮かべたのは豚足だった。動物性コラーゲンたっぷりの、ぷるぷるした食感は、好きな人も多いだろう。自分の手足を眺めても、甲の部分は肉がついていないし、手のひらや足の裏は脂肪分が多そうだから、熊の手も似たようなものではないだろうか。
師匠から食べにきてくださいと連絡が入ったのは、約2カ月後だった。どんな味かと尋ねたら、ひと言「おもしろい料理になりました。珍味だよ」とのこと。どうやら、熊の手をいくつか使って試行錯誤したらしい。せっかくなので下ごしらえから見学させてもらうことにしよう。
「はい、これが手。中国じゃ、餌を食べるときに使う右手の前足が高く取り引きされるというけど、味には関係ないと思うよ」
持たされたのは黒い毛に覆われた手で、師匠によれば100㎏クラスの熊ではないかとのこと。ぼくの手より、ひとまわりサイズが小さい。掌
は指も含めてみっしりと肉球になっていて弾力性抜群だ。
調理は臭みを抜くため長時間煮込むなど手がかかる。お金を払って食べたらいくらになるかと質問したら、定価などない世界だから、高級中華料理店な
ら1手10万円でもおかしくないとのことだった。
「でも、今日は特別にタダでいい(笑)。食べてみてください」
さすがは師匠、太っ腹! 出てきた料理は、熊の手の姿煮。爪と骨を抜き、ひたすら煮込んだものなので、手の形がそのままだ。味つけも醤油ベースの薄味ソースだから、熊そのものの味を堪能できる。さっそくナイフで切り分けると、ゼラチン質のカタマリだけではなく、肉もしっかりついていて、一緒に食べたら、ぷるんとした食感とホロホロの肉が相まって、お世辞抜きでうまく、八角の香りも効いている。とはいえ、どんな味と訊きかれたら、これまでの人生で未体験の味とでも答えるしかないのだが。
ひとついえるとしたら、素人が適当にやっておいしく仕上がる料理ではないということだ。ゼラチンのところだけ食べても、肉だけ食べても、それほどのものとは思わないのに、一緒に食べたらべらぼうにうまい。ソースを含め、プロが腕を発揮してこそのハイレベルな素材だと思う。熊の手は、か
の孟子も好物だったらしいが、むしろそれは、手間ひまかけて丁寧につくりあげる料理人の技量に捧げられた賛辞だろう。
さらに意表を突かれたのは、肉球だった。掌は厚い皮の肉球の内側にゼラチン層があり、さらにその下の骨周辺に肉がついている。だから肉球は用無しだと思っていたら、2〜3㎜ に切ってソースで食べるとコリコリした歯ごたえがたまらないのだ。たとえるならフグの皮に近いだろうか。
「好評でよかった。初めてつくったから要領がつかめなくて、けっこう大変だったんですよ」
話しているうちに午前11時の開店時間になり、常連客がどんどんやってきた。ラーメン屋のおやじに戻った師匠を見て、そのほうが似合っていると僕は思った。
調理前の下ごしらえ
熊掌の姿煮
熊の手の毛をバーナーで焼いて処理したあと、爪と骨を取り除き、じっくり煮込みながらアクを抜いていく。今回は約5時間かけたが、何度か湯を交換しながら、アクの出方やにおいの強さをみながら柔軟に対応する。さらに、圧力鍋で20 分加熱して肉を柔らかく仕上げた。味つけは中華風で、食感と肉のうま味を最大限味わうため、ソースはシンプル。醤油をベースに熊手のスープで調整し、八角で風味をつけた
※当記事は『狩猟生活』2017VOL.2「熊掌料理――ツキノワグマの手を食べる」の一部内容を修正して転載しています。
Profile
きたお・とろ/1958年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。2010年、ノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊、2015年まで編集長を務める。2012年、長野県松本市に移住、翌年第2種銃猟免許を取得し、空気銃猟をはじめる。2020年から埼玉県日高市在住。最新刊に『人生上等! 未来なら変えられる』(集英社インターナショナル)がある。主な著書に『猟師になりたい!』『猟師になりたい!2 山の近くで愉快にくらす』(角川文庫)、『猟師になりたい!3 晴れた日は鴨撃ちに』(信濃毎日新聞社)、『夕陽に赤い町中華』(集英社インターナショナル)、『犬と歩けばワンダフル』(集英社)、『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』『にゃんくるないさー』(文春文庫)など多数