多分頭のネジ5本くらいとれてる

 ゆらゆら揺れる木製の椅子にもたれながらnoteを書いています。新橋です。

 タイトルの通り、多分私の頭のネジは数本吹っ飛んでいる…気がする…ので記事にしてみよかなーといった次第でして。

 そもそも一般的に

 考え方はそれぞれだと思いますが、一般教養とかいうものは確実にあって皆そこは同じだと信じているんですけど、うーん、うーん。

 学校とか。今だと大学までかな?そこで"常識"ってものを身につけると思うんです。普遍的なね。倒置法

 ところが私 新橋朱里は高校の途中でV系界隈にずっぽり両足を入れてしまいマトモに高校も行っていなかったので、そこから既に違うレールに乗っていた訳ですね。(一応卒業しました)

 文化祭もやったし高校的なイベントは全部やったし行かなくていっかーくらいに思ってました。

 更に何を思ったかよく分からないまま4万円とギターだけ背負って一人暮らしの旅に出てしまい、しかも何故か何とかなって活動を終えるまで数年間暮らし(もーバンドはいいかな、ソロでいいや。)と一旦実家に帰り、

 そしたら何故かまたギターと今度は20万程持って飛び出し…

いやこれは別の話になりそうだ、脱線。

 話を戻す

 つまり多感な時期を当時ライブハウスの楽屋では椅子や楽器が飛ぶ(投げる事も)夜は道行く適当な人に声をかけてそのまま朝まで飲む…バンドマンは殆どライバル…深夜に殴り合いをする…etc

 などと波乱万丈な戦の中に身を置き、頼れる背中は名だたる先輩達や歴戦の戦士、退いた老兵…礼儀や筋の通し方などを教わりながら暮らしていました。

 するとね?ふと今になって気づくんですよ。(いやそれ大分おかしくないか…?いや普通なのか…?)と。

 例をあげると私は明日ライブしたら脳に影響でるかもしれないから止めなさい、と言われてもやっちゃうし、

 その生活を続けると死んじゃうよ?と言われてもやりたい事やってるなら途中で死んでも構わないッス。

 とか。現にここ2年くらいでそのツケなのかわかりませんがアチコチ身体がおかしくなって来ているけどもww

 周りから絶対俺より速く死ぬとか言われるんですよね。

 振り返ればそりゃそーだ、って生活ですし、むしろ長生きする理由が見つからねー!!って感じですが受け入れています。

 はいココ!!

 いや受け入れるなよ!ここの考え方がおかしい。


 多分なんですけど、ある程度"人生をかけて過ごした時期がある"人っていうのは何かリミッター外れている気がするんです。私しかり。

 人生をかけるということは常に背水の陣だったりして、恐れていてはダメ、みたいな考え方だと思うんですよね。逃げ道は作るなと。逃げ道を作るのは何か1つでも、どんなに小さい夢の1つでも成し遂げてから…

 こんな感じだと思うんです。


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 今回は前回前々回と比べて雑多な書き方になってしまいましたね。反省しなくてはなりません。ブログ的なものを書くのはもー何年ぶり…?なのか。最近文字を打つのが好きです。だから書いてます。

 少しだけ新橋朱里が歩んできた音楽人生の1ページくらいは書けたでしょうか。多分書けてない。思い出すこと沢山あるぞ。書けないことのほうが多い。じゃあダメじゃん。

 1つ言えるのは…まー簡単に他人は信用しなくなりましたね。ネット関係もそうですけど。簡単に信用してると後で取り返しのつかない事とかありますからね。


syuri.S

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