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世の中は認めてもらわなければ何も始まらない。

就職活動、2年目。ずっと叶えたい夢を追いかけてここまで来てしまった。周りは働いているのに、私はニートで、親のすねをかじりながら昔稼いだバイト代で国民保険だけ払っている。一日のほとんどが自由時間で、そのほとんどを就職活動や編集者として必要なものを模索するめの時間に費やしている。毎日就活関連のことをしていて、むしろ就活関係のことをしてない日は「今日私、何もしてない」と不安になるくらいだ。自分史上最強に努力していると思う。


それでも、世の中は私を編集者に足る人間だと1社として思ってないので、私はこのままである。

「じぶんらしく!」
「人と比べないのが素敵な女子!」
「私は私のままでいいんだ」

私をいつも救ってくれた本やアニメ、先生方はいつもこういってくれた。人と比べるな、ありのままの自分らしく、努力しろと。

その通り頑張って、そして実際に私は今まで夢をかなえてきた。苦労の末、第一志望にも合格したし、部活動のコンクールメンバーにも選ばれた。クラスの女の子とも仲良くできたし、彼氏だってできた。

でも、私はただ分相応な夢を掲げて、それを叶えて満足していただけかもしれない。世の中、絶対に叶えられない夢があるのかもしれない。それは私が一番叶えたい、漫画編集者という夢なのかもしれない。


漫画編集者に必要なもの。私がOB訪問をしたり、編集者のアカウントのネトストしたり、内定者ブログやその他もろもろ調べまくったりしながら出たものは以下の通りだ。
1.頭の回転が速いこと
2.地頭がいいこと
3.プレゼン能力が高いこと
4.教養深いこと
5.何かのオタクであること
6.言語化能力が高いこと
7.行動力があること
8.自分を価値高く魅せるのがうまいこと
9.その他わかりやすい魅力があること

出版社を目指す人は何かしら当てはまるだろう。そもそも志望者の半数以上が早慶マーチ以上の人だ。恐らくそう言った人たちは、条件1,2をすでに満たしていることが多い。

そして私は、何一つ、当てはまってない。


受験生の時、『第一志望に受かる人の特徴☆』というような形で、予備校講師がつらつらと模範的な生徒の特徴を並べ立てるアカウントがあった。私は当時も何一つ当てはまらない受験生だったが、それなりに難しい第一志望を普通に合格できた。合格前「受かる人の特徴に当てはまってない…」とかなり悩んだが、それは全くの杞憂だった。ゆえに、「予備校講師の癖になに!? 間違ってるんですけど!? 合格者をラベリングするなよ私みたいな特殊ケースも受かるんだよばー--か!!!」と思っていた記憶がある(性格悪くてごめん)。

当然、就活も「編集者の特徴!?どうせそれも嘘やん!当てはまらないけど努力で巻き返せるでしょ!」と思っていた。そう信じて努力していた。しかし、私はとある重要な事実を忘れていた。受験と就活の一番の違い、そう。

私を選ぶのは、その特徴を言う編集者自身なのである。

そして選ばれなくては、絶対に内定(合格)できないのである。

一定の点数をとれば、人間性も性格も人生も感性もどうでもよかった受験とは違う。私は、選ばれなきゃ、相手に認められなきゃ、絶対に絶対に絶対に内定できないのだ。


私は頭が、悪かった。自分でも回転が遅い自信があった。人に嫌味を言われても、言われた直後は「…?? そうだね~ぽよよ~」とニコニコ返答しつつも処理できずにいた。その後、家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って寝る準備をしてベッドに入ってやっと、「あ、あれ嫌味じゃん!!! え、最悪! なにあいつ!」と怒りがわいてくるのだ。そしてベッドの中では相手への最高の反論を考えられるのだが、再度別の嫌味を言われたときは、また反応できない。脳が思考停止してるのだ。

プレゼンもできなかった。そもそもコミュニケーション能力がなかったので、人に話を聞いてもらえた回数の方が少ない気がする。特に小中学生は残酷なので「ドーナツちゃんの話、つまらない」と真顔で何度か言われた経験もあった。じゃあ話を面白くしようと必死に考えた結果、私の特技は「自虐」になった。自虐ネタでいつも笑いをとり、なんとか私の話をするスペースを作ってもらえた。自虐以外は、人の話を聞くことしかできなかった。そのおかげで人の話を忍耐強く聞く能力はついたが、プレゼンや面接は話を聞く場所じゃないし、自虐も不要である。

教養深くもなかった。地元では本はかなり読む方だったが、出版就活生、というより高学歴の方々を見ていると、その人たちは私の何百倍も広く、深く本を読んでいた。地元の上の中は、都会の下の中だった。井の中の蛙だった。

オタクでもなく、行動力もなかった。都会の人にとっては田舎者の言い訳に聞こえるかもしれないが、そもそも田舎者が「行動力」を身につけるのはかなり難しい。例えば大好きなアイドルのコンサートに行こうものなら、東京の人はせいぜい交通費は1000~2000円程度である。しかし田舎者は、その40倍である往復4万円が飛ぶ。チケットも含めると5万だ。5万円って、学生時代の生活費と同額である。つまり私はコンサート1回行くお金だけで、一ヵ月暮らせるのだ。田舎者はコンサート1回行くだけで「行動力あるね!」ってなるけど、都会にとってはただのニワカだ。コンサート程度を行動力と言わないでしょう!という方へ、これを留学だの、ボランティアだの、なにかの交流サービスだの、習い事だの、なにかしらに置き換えてくれると嬉しい。田舎には、コンサートどころかボランティアする場所も、習い事する場所も、あと娯楽もないのだ。映画館もない。よって映画は見れない。

当然、行動してないので、オタクかも怪しい。オタクだけど、都会のオタクには当然負ける。バイトしても限界がある。

こうして言い訳をつらつらと並べたが、そもそも作品に対する感想や、御社に入ってやりたいことの根本からずれているような気もする。
それはOB訪問で言われたこともあるし、就活も二年連続、ESや1~2次でバンバン落ちて、最終(&3次)面接まで行ったことがないという結果をみても一目瞭然だ。
じゃあ、OB訪問で聞けば!と思うが、沢山の方にOB訪問すればするほどみんな意見が見事に違う。重視することが違う。感性が違う。真逆のことも当然言われる。御社の社員や私と似ている人だけを信じよう!と思っても、御社の社員も言うことは違うし、そもそも私と似てる人って誰? ってなる。みんな違うが? 似てると思っても、ES全通だったり最終面接何社行ったとかで私より全然優秀だが? てか私より失敗してる社員見たことないが?



向いてない、記念受験という言葉をオプチャで見たことがある。

二年連続爆死してる私が記念受験のわけないのだが、おそらく素直に書いた(もしくは添削して書いた自信満々な)ESが全通する人はそう思うのだろう。
「努力してないんでしょ?」
「向いてないのにどうして目指すの?」
努力は同じ時間だけ、してると思う。なんなら2年分。でも多分、内定に近い人ほど、効率的な努力はできてないと思う。だって達してないから、認められる基準に。

向いてないのに、どうして目指すのか。わからない、分からないよ私だって。向いてる職業ももちろんあると思うよ。去年、他業界に出したら嘘みたいに全通したもん。私に、分相応でピッタリな職業があるってことも、わかるよ。

でも、なりたいんだもん。なれないなら諦めるよりも、なれる自分にパワーアップして生きたいんだもん。常に上に行きたい。上というのは社会的な地位とかではなく、私の中での、夢、理想、憧れ…そこに行きたいんだもん。常にそこを目指したいんだもん。120%頑張って行けたところを、当たり前の場所にしたいんだもん。

私の中の憧れを目指さず、諦めて、50%の力を出して受かった場所に、50%のままいたくない。もちろん、その場所が夢の場所ならもっと上を狙うのみだけど、そもそも夢の場所でもないので、上も何もない。社会的地位を上げたいわけじゃない。

私は、私の目指す場所に行きたいし、私がなりたい自分になりたかった。


でも私は認められてない。どうやって認められるかは、人によって答えが違うし、わからない。そもそも歩む人生自体間違えた感はあるけど、それでもリセットできないし、このまま目指すしかない。


就活を始めて「数字で評価されるってなんて楽なんだろう」とものすごく実感できた。数字は簡単だし、嘘をつかない。正解が多ければテストの点数は上がる。契約が取れれば契約件数は上がる。購入数や需要が増えれば、売上は上がる。数字は絶対だ。数字で評価されるなら1点(1件、1円)でも違えば、絶対的な差が出る。証拠が出る。そのまま評価される。

でも、選ばれるって曖昧だ。客観視できないし、そもそも他者の面接を見れてないなら比べようがない。乃木坂46のメンバーが選抜に上がれなくて、長々と悩む気持ちもよくわかる。自分に何が足りないのか、全く分からなくなるのだ。選んだ本人にしか分からない。客観的に見れば何となくわかるけど、結局それも曖昧だ。私だって、27枚目まで掛橋沙耶香が入らなかった理由は曖昧にしか推測できない。


数字で評価されるって、なんてわかりやすいんだろう。そう思う時点で、出版社、そもそも非営業職に向いてないのかもしれない。でも私は、なりたいので目指すしかない。でもやっぱり、人に認められるって、どうすればいいのかわからない。


おやすみ。


p.s.
読み返してみたら「ニートだからダメちゃうん?」ともう一人の自分に言われたので、とりあえず地元新聞社のバイトに履歴書を出します。出版社とは違うけど、同じマスコミや編集者としての、何かしらのノウハウや考え方を得られたらいいなあ