諦めの先には、寂しさがある

窓を開けると、涼しい風が私を包む。
それは、昨日まで当たり前のようにあった夏の暑さなど微塵も無い、「秋」の風だった。

暦通りきちんと秋を告げたこの風は、”寂しさ”に似ている。
もっと厳密にいえば、”諦めた後の寂しさ”に、私は似ている気がする。


子どものころから、私は怠惰な性格で、何かを一生懸命やる前に、自分で「これ以上はできない」と投げ出すことが多かった。
要領が良いというよりは、冷めていた。

『こんなに一生懸命やって、何になるの?』

そんな思いを抱え、ただ息をしているだけの私は、『何か』に一生懸命取り組んでいる人を鼻で笑いながらも、羨ましいな、とどこかで思っていた。

一生懸命やれるほどの「何か」も持たず、一生懸命やるほどの力も無い。

(私って、空っぽなんだな)

もっと前に気づいていれば、空っぽじゃない人生を歩んでいたかもしれない。
けれど、そう気づいたときには引き返せない、私は年を重ねていた。
重ねていたと、思い込んでいた10代だった。

ずっと、ずっと、このまま。
ずーっと、このまま、何にも一生懸命になれず、「空っぽ」のまま生きていくんだ。

私は、一生懸命になることを最初からできない、そんな欠落した人間なのだ。

制服の紺色のスカートを眺めながら、そこから一歩も踏み出すこともできない。


空虚さを抱えながら生きていると、ふとした瞬間、どうしようもなく怯える夜がある。

目が覚めて、真っ暗な部屋で、先の見えない未来に漠然とした恐怖を抱く。

そんな夜を幾夜も超えて、腫れたまぶたを隠して朝を迎える。

しかし、そんな人間でも、何とか生きていけるもので。
流されるままに大学に行き、何となくサークルに入り、何と恋人ができるまでになった。

まるで真っ当な人間になれたような気がした私は、それはもう「恋」に夢中になった。

だから、相手が都合のいい時だけ私を呼び出すのも、誰かと比較して、私の容姿を貶すのも、「それでいい」と受け入れていた。

「恋をしている自分」を手放したくなかった。

けれど、ある日、いつもみたいに相手が「別れよう」とメールしてきたときに、ぷつり、と私の中で何かが切れた。

いつもだったら、
いつもだったら、慌てて電話して、泣きながら「別れないで」と言って、車のキーを持って、深夜だろうが相手の家まで車を走らせるのに。

その日は、『そうだね。もう無理だと思う』とだけ返し、携帯を放り出して毛布にくるまった。

ああ。もう無理だ。
「恋している自分」を諦めよう。
前みたいに、空っぽな私に戻ってしまうけれど、惨めに振り回されるより何倍もマシだ。

やっと気づいて、久しぶりに携帯の音にビクビクしない眠りをその日手に入れた。


そんな、どこにでもあるような「恋愛」だったけれど、私にとっては特別で。
だから、とっくに相手の事は好きでもないし、元に戻りたいなんて思わないのに、諦めるのはつらかった。


諦めよう、と思ってから、本当に諦められるまでのあの期間は、真夏の暑さに似ている。

じりじりと、確実に肌を焦がす太陽に、じっと耐えるしかなく、その暑さを苦々しく思いながらも日陰を求めて動きまわる。

そしてある日、気づくのだ。

そういえば、もう私はメールの着信も気にしていない。
そういえば、ぽっかりと空いた時間を埋めるために週末過剰にDVDを借りていない。

(そうか、もう終わったのか)

そう思った時、ざあぁ、と風が通り抜けた気がした。
それは冷たい秋風だった。

あの時、恋していた私。泣いていた私。

そんな私が通り過ぎて行って、私は、今「諦めの先」にいることに気がつく。

さみしいな。

諦めた先に寂しさがあるのを、初めて感じた。



それから、私は、不出来な人間ながらもいくつか懸命に挑み、諦め、諦めた先にいた。

他人から見たら全然努力も熱意も足りないことで、満足な結果を得られることなんて一つもなかった。

そして、その挑んだ時間が、熱意が長ければ長いほど、諦めた先の風は、くっきりと区切りをつけて来る。望んだ先が終えたことを知らせにくる。

その風はいつだって、夏の名残を私に感じさせはしない。
柔らかくも、過ぎ去った時は戻らないことを残酷に自覚させる。



ついこの前まで、子どもが欲しかった。
毎朝、目覚めてすぐに体温を測り、その数字に一喜一憂した。
月のものが来ればがっかりした。
溜まり続ける子どもの服を恨めしく思った。

「ママ、はい、体温計」

早くに起きた息子が、まだ布団の上でゴロゴロしている私に、レゴで作った小さな体温計を差し出してくる。

枕元に体温計を置かなくなって、随分経った頃だ。

「赤ちゃん、来るといいなぁ」

何も知らない我が子は、にこにこと笑う。

その顔を見たとき、ざあぁ、と風が私を通り抜けた。
それは、夏の暑さなど感じさせない、秋の風だった。

家族を作ってあげられない罪悪感があった。
他の人が当然のように生んでいるのに、できない自分に惨めさがあった。

もっとお金をかければ。もっと若ければ。そんな思いが、そんな私が通り抜けていく。過ぎ去っていく。
何の熱も、私に残しはしない。

かつての、あの日の私が過ぎ去っていく。


ああ。寂しいな。


ただ、そう思う。




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