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「怖くなくなるまで、背中を押して」

我が家の4歳の息子は『怖がり』だ。
正確には、4歳になってから「怖い」と、何かする前に二の足を踏むことが多くなってきた。

例えば、

・エスカレーターが怖い
・滑り台が怖い
・自転車の下りが怖い

3歳までは普通にできていた事なのに何故?と、親の私は首を傾げてしまう。

「どうして?今までできてたじゃない」
「でも、怖い…」

そこから頑として動こうとせず、事態が膠着するというのがもうずっと続いている。


親の私は、焦った。
これは、アレだ。
完全に私の言葉のかけ方が良くなかったんだ。

どこまでが危険で、そうじゃないのか判断が曖昧で、まっすぐに死に向かって突っ込んでいくような息子を、口酸っぱく「あれが危ない。これが危ない」と制止し続けたせいで、何もかもが怖くなってしまったんだ。

真っ新な心に、「怖い」という気持ちの種を植え付け、芽吹かせててしまった。

親心としては、その芽をどうにかこうにかして摘ませたい。
これからも色んなことに挑戦してほしい。

しかし一方で、自身も怖がりだった私としては、「怖い」という気持ちを無碍に扱ってはいけない、と警告する。

(どうする?)

そんな気持ちでぐらんぐらん揺れながら、日常生活で急にエンカウントする息子の「怖い」を、その場しのぎで乗り切ることにした。
いや、問題を先送りにしたとも言い換えられるか。

とにかく、息子が「怖い」と二の足を踏む事柄を、日によって挑戦させてみたり、回避してみたり。
色んな事を試しながらも、焦りは積もる。

(どうしてこんなに憶病になってしまったんだ)

私が。私の言葉が、態度が、この子をこうさせてしまったのだとしたら。
これから先、何の言葉を投げかけていけばいいんだろう。
そして、どうしていくべきなんだろう。

正解が、分からない。




息子の「怖い」と思う気持ちが、”心の成長の証"というのは、割と早い段階から分かった。

息子は、今までの「無知から来る無敵」状態では無く、色んなことを頭で考え、判断できるようになってきたのだ。
それは喜ばしい。とても喜ばしいことだが。

じゃあ、その「怖い」と思う事柄を克服させるにはどうしたらいいのだ。

いや、そもそも「克服させる」という考えが間違っているのか? 
ありのままを受け入れ、子どもの自主性を重んじる事こそ、今必要なんじゃないだろうか。

そんな感じで、やはり一貫性の無い態度を取りながら、息子がエスカレーターを怖がったら励まし、滑り台を一緒に滑り、下り坂を自転車に乗ったまま下れるよう促したが、しかしながら一向に息子の「怖い」が改善される兆しは全く見えず、半年以上過ぎていた。




「このまま運動発達が進まなかったらどうしよう」という不安もあったので、効果があるのか無いのか分からないが、とりあえず気休めにやらせてみようぐらいの気持ちで、保育園帰りに公園に寄ることがある。

ここで体力を消耗して頂いて、夜スムーズに寝てくれるなら儲けもん。
そうでなくても、最近は暖かくもなり、日も長くなってきているのでそれほど苦痛は無い。

しかしそんな親の思惑とは裏腹に、走ったり、遊具で遊んだりして体を動かしてほしいのに、砂を一粒残さず持ち上げるよう私に強要したり、中々に謎な遊びが多い。

「まま。落としたら怒るからね」
そう仁王立ちで、砂場にうずくまる私を見下ろす息子は暴君そのものだ。
理不尽すぎやしないか。

案の定、砂をボタボタ落としながら歩くのだが、特に怒りもせず、砂のお山を作るのに勤しむ息子氏。
その様子は、とても楽しそうだ。


この遊びが、将来何かの役に立つ土台になるのか、と問われれば私は答えることができない。

帰った後、ご飯を急いで仕上げ、お風呂に入れ、食べさせ、寝かしつけ…という怒涛の時間が待っているのに、息子と2人で遊ぶ時間は、振り返ればすべて無駄、と切り捨てられても仕方がない。

こんな事をするよりも、運動発達に不安を覚えるなら、きちんとした機関に相談し、それなりにお金をかけた習い事をさせるのが正解なのだろう。

しかし、そこまで必要かどうか、私には判断できない。
男の子なのだから、運動ができるに越したことは事は無い。とは思う。思うのだが、本人はそれほど気にしている素振りも無い。

じゃあ、別にいいのでは?
と、そんな風に思うも、割り切れないのが現状だ。

毎回、公園で息子と遊びながらもそんな出口のない思考の迷路に迷い込む。
今日もまた、答えは出ない。



「ねえ。まま。滑り台行こう」

今日は滑り台が人気で、少し前まで息子より少し年上の子たちがグルグルと順番を回しながら遊んでいた。
そんな様子をなんとなく気にしていたのか、たまたま気が向いたのか、砂の山の完成を待たずにそんな事を言い出す。

「ねえ。息子ちゃん、思ったんだけどね」

息子は、視線を滑り台から動かさず話しかけてくる。

とことこと、小さな歩幅で近づいていくのは、何度も何度も上っては、「こわい」と立ち往生した滑り台。

前に滑ったのはいつだろう。

「息子ちゃんね、滑り台こわいじゃない?」

そうか。自分でも自覚ありか。

「うん」
「でもね……目を瞑って滑ったら、怖くないかもしれない」
「………やってみる?」
「うん」

それは他の人にとっては、小さな一歩。
けれど、息子にとって、とてもとても大きな勇気。

やがて頂上に辿り着き、彼は硬く目をつむる。

「滑る時、背中押して」

そう言う彼の小さな肩に手を当て、「1,2,3で押すからね」と声をかければ、こくんと頷く。

「1、2、3…」

ぽん、と軽く押すと、あっという間に息子の背中は小さくなる。

すごい。すごいすごい。
1人で滑ってる。
あんなに「怖い」と言って一歩も動けなかった彼が、1人だけで。


「まま!!滑れた!!」

暗闇でもわかる、ピカピカの満面の笑顔。
自信に満ちた足取り。

私が勝手に植えたと思っていた「こわい」の種を、この子はこの子なりに、1人で抜き取ろうともがいていたんだ。
一見、「無駄だ」と思っていた日々の中にも、一歩一歩乗り越えようとしていたんだ。

「克服させよう」なんて、私はなんておこがましい事を考えていたんだろう。
息子はちゃんと、乗り越えるための力を持っている。
私にできる事は、それを信じて待って、あとは………



「ねぇ、まま」

階段を上り、私の元に帰ってきた息子はちょこんと座り、再び目をつむる。

「ちょっとだけ、まだ怖いから。


怖くなくなるまで、背中を押して」






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