憂鬱な月末の今日
憂鬱な月末の今日を、ついに迎えてしまった。
考えれば動悸が止まらなくなるし、無駄に早起きをした。
だが、その原因である事象に直面する当人は素知らぬ顔で普段通り、ご飯も食べずに玩具で遊べと朝から要求してくる。
「息子さーん、今日、進級テストの日だよー?ご飯食べないと集中できないよー」
一応声を掛けるが、2歳の我が子はどこ吹く風。
出発まであと1時間を切っているのに、未だにパジャマでご飯も食べていない。果たして、そこまでに支度が終わるだろうか。
家を出るまでの工程を頭の中でなぞり、ため息をつく。
憂鬱の原因は、息子の習い事だ。
息子は、もう1年程近所のスイミングスクールに通っている。
そして今日は、初めての進級テストの日だ。
スイミングに通わせたのに特に理由はない。
水泳選手にさせたいとか、そういう大それた考えは、一切無い。
強いて言えば、保育園にも幼稚園にも通っていない、体力が余りまくる2歳児をどう発散させようか、お出かけ予定に毎週頭を悩ませるのが嫌になった、というのがある。
折よく、近所に子供用のスイミングスクールが開講し、かつ入会キャンペーンで会費が割引なる、となれば、幼児教育に消極的な夫を口車に乗せて契約書にサインさせるのは必然の流れだった。
この辺りに子供向けのスイミングスクールは一切無い為、受付にも並ぶ始末だったが、運良く定員に滑り込めた事に、1年前の私は、満面の笑みを浮かべたのだった。
≪エゴイズム≫
スイミングは、滑り出しは順調だった。
母子共にプールから入る事から始まったそれは、私も楽しんだ。
昔から体育はからっきしだったが、水泳だけは得意だったから、というのもあるだろう。
親が楽しむと子供も楽しい、というのは本当で、息子も私につられてメキメキと上達し、あっという間に水中で目も開け、飛び込みも楽しんで行うようになっていった。
そんな、母子共々楽しんでいたスイミングに、転機が訪れたのは、始めてから半年過ぎたぐらいだった。
2歳半になった息子が、母と離れて本格的にコーチにレッスンを受けられるようになったのだ。
楽しいとはいえ、やはり月の物で左右されて、振替を調整するのに苦心した半年間。
ようやく息子1人でプールに入れ、本格的に習い事っぽくなってきたと、私は素直に喜んだ。
でも、息子は違った。
母から離れ1人でプールに入り、周りが子供だらけの中、コーチから指導を受けた息子は、レッスンを終えて開口一番言った。
「ママと入りたかった」
それから、息子はスイミングがある度言った。
「ママも一緒に入るよね」
「ママとじゃなきゃやだ」
「ママ、何処に行ってたの」
レッスン中、ずっと泣いた。泣き叫んでいた。
その姿を見て、『ああ。私は、私のエゴイズムで子供に習い事をさせている』のだと痛感した。
いや、実は最初から気づいていた。
だって、息子は「スイミングがやりたい」なんて、最初から一言も言ってない。
ただ、私が、私だけの都合で彼にソレをやらせているのだ。
習い事なんて、強制するもんじゃない。
本人が嫌なら、辞めさせたっていい。
恐らく、今私がプール楽しい?と彼に問えば、「楽しくない」と返ってくる。
どうする。
辞めたら、人気が集中しすぎてキャンセル待ちすら発生しているこのクラスにはもう入れない。
かと言って、もう一度元のクラスに戻る事も、規則上できない。
何より、半年間払い続けたお金が無駄になる・・・・。
(続けてほしい・・・・)
ガラス越しに、泣いてコーチに抱っこされている息子を眺めると胸が潰れそうだ。
けれど、続けて欲しい私は、彼に1人でプールに入ることを説得し続けた。
≪進級テスト≫
説得し続けること約1月。
遂に息子は泣かなくなった。
慣れて、プール中によそ見をし、集中力無く遊びまわるようになった。
こうなると、以前の心配など何処かに行ってしまう。
「真面目にやりなさい」
「集中して」
「お家帰ったら練習だよ」
そんな風に言っても、プールになれば相変わらず遊び続ける。
頭を抱えた。
(お前、今月末には進級テストがあるんだぞ・・・・)
そう。
1人で入れるようになり、ようやく泣かなくなったと思えば、スイミングのレベルを測る進級テストに、彼は臨むことになるのだ。
自分の実力は如何ほどなのか。
学生時代には嫌という程やらされた、テストという行事。
これに、2歳という年齢で息子は初めて挑む。
と言っても、息子自体は分かっていない。テストという名前すら知らない。
ただ、私が、親の私が、憂鬱に気にしているだけだ。
今まで時間をかけて習ってきたことを発揮してほしい。
あわよくば、他の子より上であってほしい。
そんな思惑がギュウギュウと渋滞して、「真面目にやれ」「練習しろ」という言葉で溢れ出す。投げつける。まだ2歳の息子に。
吐き出された言葉に、しかし彼は抵抗した。
私のエゴイズムを見透かしたように、決して素直に言う事を聞くことは無かった。
(なんて親だ)
息子は、一言だってスイミングがやりたい、テストに合格したい、なんて言ってない。
けれど、悠々と「息子のペースでやればいいじゃない」なんて、のんびりと構えられない私がいるのだ。
そんな自分に、否応なく向き合わされて、とんでもなく憂鬱なのだ。
≪きっとできない≫
「ねぇ、今日は進級テストで、プールに顔を付けるのを3秒できなきゃテストに合格できないんだ。
でもね、もしできなくても、頑張ってる姿ちゃんと見てるからね。だから、気にしなくたっていいんだよ。もし、合格できたらお祝いで好きな玩具1個買ってあげるからね」
せめてもの罪滅ぼしに、そんな事を言えば息子は、「うんー」と能天気な返事をしてプールサイドへと消えていく。
(気にしない、気にしない。私は気にしないぞ・・・!!)
エゴイストで息子の気持ちなど無視した自分を押し込んで、言い聞かせる。
(きっとできない。今日は合格できない)
何せ息子は顔付けが大嫌いなのだから。
2週間、お風呂で洗面器に水を張って練習させてみたけど、まるでやらなかった。むしろ、嫌がっていた。
だから、できなくても気にしない。それが彼のペースなのだから。
そんな結果を突き付けられて、落胆するなんて、そんな私になりたくない。
多分。いや、絶対、私の方が緊張している。
何故なら、ガラス越しに見える息子は、明後日の方向を向いて、ぽんぽこぽん、と楽し気に腹太鼓を叩いているからだ。
(真面目にやれーーーーー!!!!)
ガラス窓に張り付いて、叫びだしたい衝動にかられた。
*
果たして、息子のテストはどうだったのか。
結果といえば、あっさり合格して拍子抜けした。
しかも、それは結果を見る前にも明らかだった。
あんなに顔付けを嫌がっていたのに、他の子がテストを受けている間、ずっと顔付けをして泳ぎ続けていたからだ。
楽し気に。自慢気に。さも当然のように。
(あんなに嫌がっていたのは、何だったのか・・・・)
徒労感で、その場から崩れ落ちそうだった。
が、やはり息子が誰かに認められたのは嬉しい。自慢したいぐらい誇らしい。
ぎゅっと、息子を抱きしめて持ち得る語彙を集結させて褒めちぎった。
「プール、楽しかった?」
先ほどまで私が座っていた、プールを眺められる長椅子に息子を座らせ、幼児用ジュースを与えれば、彼は夢中になって飲んだ。そんな彼に、私はようやく問いかける。
泣いていた時には聞けなかった。
答えは分かってたのに。
そう答えられても、彼の思いに添えなかったからだ。
今はどうなんだろう。
真面目にやれと言われ続け、練習させられた、今現在、彼はどう考えているんだろう。
「うん」
しかし、息子はあっさり頷く。
もうそこに、泣き叫んでいた頃の息子はいない。
そして、続けて言う。
「ぷーる、たのしい」
自然と、ため息が出た。
それは、朝とは違う憂鬱からくるものでは無い。
安堵したからだ。
肩の力が抜け、先ほどまで息子が泳いでいたプールをぼんやり見る。
大きいプールだ。
勿論、レッスン中は枠で区切ってはいるが、2歳のこの子にはとんでもなく大きく感じるに違いない。
そんな中、親元から離れ、小さな彼は泳いできたのだ。
(習い事って、こう言うことなんだろうか)
親の心中など余所に、子供が成長している姿を見た。
息子は、今まで知らなかったスイミングという物を知り、今や楽しいと言うようになった。
そして、全くの他人に評価してもらえるという、経験を得た。
習い事って、子供に習い事をさせるって、こういう事なのか。
子供の思わぬ成長を、思わぬ形で目の当たりにする。
今まで、ずっと私の手の内にあった我が子が、予想を超えて行った。
今回は。
今日という憂鬱な月末を迎え、私は心底エゴイズムに満ちた人間だと感じる。
だから、これから先何度だって対峙する事になるだろう。
こんな、憂鬱な月末の今日という日を、過ごす事になるだろう。
「あー。疲れた」
ぐったりだ。
しばらく、そんな自分とはオサラバしたい。
ありのままの我が子の成長を見守る親でいたい。
両腕を伸ばす。
少なくとも、先ほどまで覆いかぶさっていた、エゴイズムな親の私は、どこかに行ってる。
少なくとも今は、私は憂鬱では無い。
「玩具、買いにいこっか」
私は息子がジュースを飲み終えた事を確認し、長椅子から立ち上がる。
彼はその言葉に、嬉しそうに椅子から飛び降り、出口へと私を導いていった。
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