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【約ネバ】漫画『約束のネバーランド』のノーマンとエマが結婚する10の理由

少年ジャンプ屈指の名作漫画『約束のネバーランド』が完結して4年、連載開始からは8周年を迎えた今年、公式で何か動きがありそうな気配を感じそわそわしています。

最終巻発売時に開設された公式コミュニティサイトが、近年の沈黙を破り俄に稼働、いよいよ海外ドラマの情報解禁となる前触れ…?と憶測を呼んでいるからです。私の中で。

そんな浮足立った気分のなか、件のコミュニティサイトの企画に促され、原作全20巻を久しぶりに読み返す機会を得ました。
なんという名作。興奮と感動。
そして何といっても、ノーマンとエマによるお互いへの圧倒的愛。

やはりノーマンとエマは結婚する

2219463194回目の確信を得た私は、改めて自分の使命を果たしたいと、そのために開設したのにすっかり放置してしまっていたこのnoteを開いたのです。
そう、私の使命とは、ノーマンとエマ、カップリングでいうところのThis isノマエマが結婚するであろう未来を証明し、あらゆる手段をもって実現させることー。

結婚なんて描写も言及もなく完結したのに何言い出してんだ?作品の関係者でもない一読者がストーリーを変えようとか頭オカシイのか?などという真っ当なツッコミは一切受け付けません。

自分の意識から自由になれない者は「七つの壁」を越えられない。
自らに限界を作らない者だけが、世界を変えることが出来るのです。
そう、約束を結び直し世界を変えたエマのように。

約ネバ既読の方はもちろん未読の方も、この記事に辿り着かれたのも何かの縁。
ネタバレ上等、先入観どんと来いでこの先に進むもよし、やはりちゃんと原作から読もうと引き返しそのままこの記事のことは忘れるもよし、すべては自由です。

ただし自由には責任がつきもの。
もしこの扉をくぐることを決めたなら、この記事がどんなに駄文で不快であっても、全て広い心で受け止めてください。
ここまでの前置きで察してください。

自由ってなんて美しくて苛酷なんだろう





①ノーマンとエマが結婚する理由その1→ノーマンがエマを「好きだから」


作品初期4話(1巻)にあるノーマンの名台詞
「好きだから」
「好きだからエマには笑っていてほしいんだ」

ハウス一の天才で、冷静かつ最善の判断を下せるはずのノーマンが、エマの「家族全員で逃げたい」という到底実現不可能で無茶な願いを叶えようとする理由がこれです。
約ネバ読者100人中120人の印象に残っている名シーンのひとつですね。

カプ厨の私のような者はこんな台詞があるだけでノマエマ結婚決定と結論付けますが、世の中の多くの人はそうでもないことを少しは知っているつもりです。

・ノーマンの「好きだから」は友情や家族愛とは違う恋愛感情の「好き」なのか?
・実際に恋愛感情だとして、大人になっても恋愛的に「好き」なままなのか?
・そもそもエマの方はノーマンを恋愛的に好きになることはあるのか?
・仮にお互いに恋愛感情を抱いて思いが通じ合ったとして、結婚という選択肢をとるとは限らないのではないか?
・三人組のフルスコアで描いてきた物語なのに、一人残るレイが可哀想ではないか?
・そんなに結婚するはずだというのなら、なぜ作品本編で結婚まで描かれなかったのか?

これらの疑問に、以下私なりに思うところを回答していきたいと思います。


②ノーマンとエマが結婚する理由その2→やっぱりノーマンがエマを「好きだから」


理由その1で示した第一の根拠「好きだから」。
この台詞が恋愛感情として読める根拠について、私見を述べておきます。

もしただの家族愛や友情のみによる「好き」であったとして、この場面でこの台詞をこのキャラに言わせるだろうか?
ということを考えていただきたい。

原作を読んでいればわかると思いますが、この台詞は周辺の他の台詞と違い、太字特大フォントで大きく配置されています。
メタ的にも明らかに意図された決め台詞のひとつです。

そもそも家族愛や友情だけであれば、エマに対してだけに限らず、レイや他の弟妹達に対しても抱いている感情のはずです。
それをあえて「好きだから」の理由でレイを黙らせることができる(という前提でレイに言い放った)のは、レイや他の弟妹達にはないエマに対してだけ抱く特別な感情があるからに他なりません。

レイだってエマのことを家族や友達として好きなことは間違いないし、それはノーマンももちろん知っているという共通理解もあるはず。
そのレイがエマの無茶な願いを一蹴し、本来はレイ同様に冷静な判断を下せるはずのノーマンが「好きだから」という理由でエマの気持ちに寄り添おうとする。
この違いは即ち二人のエマに対する感情の違いとリンクしていると思うのです。

しかもレイは、ここでその話題を出してエマの無茶をノーマンが支持する理由にしたことにこそ驚いてはいても、ノーマンがエマを好きという内容それ自体については驚いていないどころか納得せざるを得ないという様子。
おそらくノーマンはエマに対する感情をそれまでもとくに隠していたわけではなく、レイが察している(または知っている)こともわかったうえでの「好きだから」なのではないでしょうか?

論理的に考えればエマの無茶を支持することはできないけれど、感情的に動くならエマの無茶を叶えてあげたいという選択になる。
そんな自分のらしくなさや恋心による理屈を超えた言動もまた、レイを説得するための道具にしたといえるのではないでしょうか?

何しろここで更に「僕は僕を利用する」とたたみかけてくるノーマンですからね。うーん好き。

レイの立ち位置についてはまた後で述べるとして、ここで改めて「お前エマのこと好きだったのかよ」的反応が一切ないことからも、ノーマンの気持ちを元々レイが知っているしノーマンもそのことを知っていたということが推測されます。
いくら緊迫した場面とはいっても、ユウゴのダイナへの気持ちを察したルーカスの反応のような描写がこの場もその後も一切ないのは不自然でもありますし。

ともあれそんなわけで、このノーマンの「好きだから」に特別な感情をのせていることは間違いないはずです。

ちなみにですが、この「好きだからエマには笑っていてほしいんだ」のシーンについて、4話(1巻)という序盤で出たものが、最終話に近い終盤の179話(20巻)において、人間の世界でエマが一緒にいないことにショックを受けているノーマンによって回想されていることにも注目しておきたいですね。

約ネバ全編通して、ノーマンのエマに対する感情は一貫しているという駄目押しでもあると思います。
この時だけ、あるいはこの頃までの感情なわけではなく、ノーマンというキャラの根幹にある感情だと読み取れるのではないでしょうか。
つまり、本編完結後も、大人になっても、ノーマンのエマへの恋愛感情はなくならない、ということを示唆しているのだと思います。



③ノーマンとエマが結婚する理由その3→ノーマンがエマを恋愛的にも好きであることは原作者が明言


理由その2でノーマンの「好きだから」についての私見を述べましたが、多くの方は「それはおまえの解釈だろ」と一蹴されると思います。
まあ私も、その人の私見で反論されたところで全く心に響かないタイプの人間なのでその反応はよくわかります。

では次に、作品外で原作者がこの件に関しどう言及しているかについて確認していきましょう。

完結後に出版された『シークレットバイブル 約束のネバーランド 0巻 MYSTIC CODE』(2020年12月9日)といういわゆるファンブックに、原作者の白井先生と担当編集の杉田氏による膨大な制作秘話が掲載されています。

その中で、件の「好きだから」発言についてこう言及されているのです。

杉田 (略)エマに対する尊敬みたいな気持ちもすごく感じるし、普通に女の子として好きなの?という感じも匂うし。
白井 両方感じ取ってもらうのが、本当は一番いいんですよ。私の中に答えはあるけど、みなさんご自由に想像して下さい。

尊敬と恋愛と、「両方感じ取ってもらうのが、本当は一番いい」。
つまり原作者の先生は、ノーマンにはエマへの恋愛感情があるという解釈を推奨しているのです。
未来永劫永遠に残るであろうファンブックに活字として明言してくださいました。

ブラボー。大勝利です。
初読の時はガッツポーズしましたね。

「私の中に答えはあるけど」と言葉を濁した理由の推察については、次項で触れようと思います。

とりあえず、これでノーマンの「好きだから」に恋愛感情もある読み方が間違っていないこと、しかもノーマンが子どものあいだだけではなく、根本的にエマを「好き」でいるキャラクターとして設定されているであろうことは納得いただけましたね?


④ノーマンとエマが結婚する理由その4→「ノーマンの恋は叶うといいですね」と原作者が明言


理由その3について、それでも「普通に女の子として好き」が恋愛感情とは限らないし、結局は言葉を濁し読者に解釈を委ねているのが気になる。

という方もいらっしゃるかもしれません。
そんな素直に受け取れない可哀想な方のために、更に根拠を提示します。

TV番組『漫道コバヤシ』#42(2018年1月31日ON AIR)に出演された際、原作者の先生は、

「(ノーマンとエマを)ヒーローとヒロインにはしない。それとは別に、ノーマンの恋は叶うといいですね

とインタビューに答えてらっしゃいます。

そうです、はっきり「ノーマンの恋」と明言されているのです!
更には「叶うといいですね」と前向きかつ将来的な言葉まで加えてくださっています!!

これで確実に、ノーマンのエマへの思いに恋愛感情があることを、しかもいずれ二人が結ばれる結末を創造神が望んでいたことを、全人類に理解できましたね?

ここで当初想定した疑問のうち、ノーマンのエマへの思いに恋愛感情はあるのか、完結後に成長してからも持続しているのか、エマの方もノーマンを恋愛的に好きになることはあるのか、という3点が解決されたと思います。

オーケーオーケー。わかればよろしい。

で、ここからなんですが。

約ネバは原作と作画の二人の先生で成り立っていることは周知の通りです。この番組にもお二人で出演(正確には原作者の先生は姿は見せずフリップで受け答え)されていました。

この「ノーマンの恋は叶うといいですね」に対する作画家の先生の言葉です。

「私は叶わなくてもいいんじゃないかなと」

ええええええええええええええ??????何ですかそれええええええええ??????

正直、発言の内容自体以上に、TV番組のこの話の流れで原作者の言葉を否定することに驚きましたね。
ただでさえジャンプ漫画の原作者と作画家の不和はよくネタにされているらしいのに。
MCのケンコバ氏もドン引きですやん。

いやもちろん、作画の先生がアーティストとして素晴らしいのはよくわかっているつもりですし、約ネバの魅力に作画の力量が不可欠という話にも賛同できます。
私も大好きな絵柄です。むしろそれがきっかけでこの作品を読むきっかけになったまである。

ここからは私の完全な憶測なのですが。

このTV番組出演時点までは、ノーマンの恋愛感情について両先生のすり合わせはなされていなかったのではないか?と。
もし私が原作者なら、ノーマンの恋については描いてある通り自明の理だから、あえて確認する必要性は感じないですしね。



⑤ノーマンとエマが結婚する理由その5→恋愛感情否定派の作画家に忖度


約ネバ好きな方なら皆さんご存知だと思うんですけど、ファンブックやその他数々のインタビューで、約ネバ誕生エピソードは繰り返し語られている神話なんですよね。
原作者の先生と担当編集氏が何年もかけていろんな作画家に当たり、ようやく受けてくれた作画の先生だと。
ファンブックでもはっきりと「神様だと思いました」と言及されてます。

それこそノーマンに救われたラムダ組はじめ食用児達のように、作画の先生を神格化しちゃいますよね。
実際画力も神だと思いますし。
作画先生なくして約ネバなし。
わかります。

『季刊エス』72号(2021年1月1日)に、完結後の作画先生のインタビュー記事が載ってるんですね。
以下引用です。

「私はノーマンとエマに関しては、恋愛感情はいらないのではと思っています。家族愛があれば十分で、一歳から一緒に暮らしてきて恋愛になるのかなと懐疑的に思って。ずっと一緒に暮らしていたら、恋愛を越える兄妹愛のような仲の良さは生まれると思いますね」

???????????????????

個人的見解とは何もかも合わないのでもうどうしようもないんですが、それを差し引いてもこの発言の内容は矛盾だらけなんですよ。
矛盾の指摘についてはまた次項以降で述べます。

ともあれ、理由その4の漫道コバヤシでの、恋心はあるけどそれが「叶わなくてもいい」と無慈悲に否定したともとれる発言とは違い、そもそも恋愛感情は不要派ということが読み取れます。

いやでも待って。

むしろ2巻おまけ漫画の糸電話エピソードのノーマンにははっきりエマへの恋心が描かれているとしか思えません。
ノーマンにとって救われるようなことを無邪気に言ってくるエマに対し、赤面して「トゥクン…」「ドゥギャーン」ですよ。
これが恋のときめき以外の何の文法だというのでしょう?

このおまけ漫画にしても、原作先生の原案ではなく作画先生のオリジナルという話を何かで読んだおぼえがあるんですよね。
糸電話はその後本編に逆輸入された珠玉の名エピソードになるわけですが。
(出典は失念しました。なのでもし間違ってたらすみません)

ほんとどういうことなの?????????

いずれにしても、ノーマンの恋心について原作者と作画家で見解が割れ、原作者が譲歩したということではないでしょうか。

理由その3でファンブックから引用した「両方感じ取ってもらうのが、本当は一番いいんですよ。私の中に答えはあるけど、みなさんご自由に想像して下さい」が、ノーマンの恋愛感情についての原作者によるギリギリの言及なのではないかと推測しています。

つまり、「そんなに結婚するはずだというのなら、なぜ作品本編で結婚まで描かれなかったのか?」という疑問に対する回答の一つが、作画家の先生への忖度の結果ではないのか、ということなのです。


⑥ノーマンとエマが結婚する理由その6→イザベラとユウゴに「恋」のエピソード


理由その5で原作者と作画家の見解が割れているという推測についてまとめましたが、作品の生みの親が二人である以上、一人が否定するのであればやはり恋心は確定ではない、と考える方もいらっしゃるかと思います。

まあ私も自分に都合よくダブスタ決めるタイプの雑魚オタクではあるので、もし原作者と作画家の意見が反対であれば、「だって作画の先生が恋心あるって言ってたもん!描いてるのは作画先生なんだから、本編ノーマンには恋心が宿ってるんだもん!めいみたもん!」とわめいてるのは間違いありません。

とはいえだいぶ不安です。
カプ神話に瑕疵はない方がいいに決まっています。

この理由その6について、なんでいきなりイザベラとユウゴが出てくるんだ、ノマエマの話じゃなかったのか、と訝しまれた方もいらっしゃるかもしれません。
でも約ネバのストーリーを愛している方なら、ピンとくるのではないでしょうか?

作中エマ自らに語らせている通り、イザベラとユウゴはエマにとって「もしもの私」なんですよね。
同じ食用児として育ち、イザベラのように飼育監であるママになっていたかもしれない。
たとえ脱獄出来ても、ユウゴのように鬼の世界で家族を失い孤独に耐えられず自死を考えるようになっていたかもしれない。

エマの性格的にどちらも、とくに飼育監にはならなかったとは思うけど、食用児として生まれたからには、実際鬼に食われなければ、そのままイザベラのルートか、たとえ脱獄できて生き残れたとしてもユウゴのルートになる可能性は高いでしょう。

だからこそ、はじめの敵はイザベラだったし、次に出会った人間の大人はユウゴなんですよね。
食用児である主人公のもしものルート。
それらを否定したり救済したりして主人公は成長していく王道展開。胸熱です。

そんなもしものエマであるイザベラとユウゴには、それぞれはっきりとした恋のエピソードがある。
基本的に恋愛色が薄い約ネバにおいて、ますますこの二人の存在は特別といえます。

というか私、ユウゴのダイナへの恋心はわかりやすく描写されていたので読んでいて普通に認識していましたが、イザベラのレスリーへの恋心はむしろ本編でははっきり読み取れませんでした。

レスイザが仲良しだった大切な思い出なのはもちろんわかるけど、あの程度の描写が「恋」であるならば、ノーマンからエマはもちろん、実はエマからノーマンも十分「恋」である、という可能性は高まりますね。
実際124話(14巻)でラムダ組にねだられノーマンがどんな奴かを語るエマの表情も点描の効果も、少女漫画みたいな情緒的な描かれ方に見えます。

ファンブックでは、イザベラのエピもユウゴのエピも、はっきり「恋」と言語化されてるんですよ。
更にレスイザに関しては、美しい恋の思い出となるよう意識して演出され描かれていることまで言及されています。

しかしイザベラとレスリーも、ユウゴとダイナも、どちらも同じ孤児院育ちです。
ダイナの年齢は不明ですが、イザベラとレスリーはまさに同い年。
ノーマンとエマと全く同じく、GFハウスで一歳から一緒に育った子ども達です。

ここで理由その5に引用した作画先生のインタ「一歳から一緒に暮らしてきて恋愛になるのかなと懐疑的に思って」とは明らかに齟齬が生じていることがわかります。

恋愛観はもちろん人それぞれです。
作画先生のように考える人も中にはいるでしょう。
しかし私はリアルこそ知りませんが、「一歳から一緒に暮らしてきて恋愛になる」というフィクションを浴びるほど楽しんできました。
めちゃくちゃ性癖です。
ノマエマに惹かれる理由の一つでもあります。

いずれにせよ、この約ネバの世界には、イザベラそしておそらくユウゴも同じように、赤ちゃんの時から一緒に暮らしてきた家族に恋愛感情を抱くキャラ達が存在するのです。
作画先生の恋愛観が約ネバの世界とそぐわないことを示していますね。

そして、エマの「もしもの私」であるイザベラやユウゴに、作中レアな恋愛エピソードがあるという事実。
これは何を示しているか?

約ネバは永遠に大人になれないネバーランドの子ども達のお話。
大人になる前に鬼に食われる食用児だから。
たとえ箱庭の中で恋が芽生えたとしても、決して叶うことはない。
人間が管理統制された世界では、生も死も、生殖も、結婚も、恋愛も、自由のすべてが奪われている。
そんな理不尽な世界に抗ってぶち壊して自由を手に入れるのが約ネバのストーリーです。

年齢的には成人したイザベラとユウゴだけど、叶わなかった恋の相手は永遠に子どものままでした。
1000年間大人になれず恋も叶わないまま命を奪われてきた食用児達の恋。
それを我らがノマエマで初めて叶えるというストーリーラインは、これ以上ないほど綺麗に思えます。

理由2で紹介した原作者の先生の「ノーマンの恋は叶うといいですね」には、実は作品のテーマがこめられていたんですね。

深いです。

翻ってみるに「ノーマンとエマに関しては、恋愛感情はいらないのではと思っています」という作画先生の発言は、人間の自由意志を握りつぶす体制側、子どもを都合よく永遠に子どものままにしておきたいという大人側の発想に近く感じます。
少なくとも、恋を美しいものとして描いた約ネバ世界で恋愛感情を否定的に捉えるというのは、道理にかなっていないのではないでしょうか。


⑦ノーマンとエマが結婚する理由その7→コニーの夢はママみたいなお母さんになること


エマにとって初めての重い死であり物語が動き出すきっかけとなったキャラがコニーです。 
エマが失った家族として、そしてストーリーが進むにつれ1000年に渡る食用児達の犠牲の象徴として、コニーの姿は作中何度も描かれます。

そんなコニーは第1話(1巻)で命を失う前の最期に、「大人になったらママみたいな"お母さん"になりたいんだ」ととびきり可愛らしい笑顔でエマ達に語っていました。
そのママ・イザベラこそが子ども達を鬼に差し出す飼育監だったわけですが、この印象的なコニーの台詞からも、作品内での「母」という存在の大きさがうかがえますね。

最初の敵がママだから主人公を女の子にした、という原作者先生のインタもありますけど、そんなエマも、元気で男の子みたいで中性的なキャラでありながら、母性的な特性を強く持っているのが特徴的です。
7話(1巻)でもギルダに「(最年少の1〜2歳児を)あやすのうまいよね…」と言われていますし、ファンブックのプロフィールでも特技・趣味の欄に「泣いている赤ちゃんを秒で笑わせる」とあります。

最終話(20巻)で記憶を失ったエマの居場所に導く役割として、レイを介在し死者であるイザベラ・コニー・ユウゴの存在が描かれていますが、理由その6で述べた恋の叶わなかったイザベラとユウゴ、そして母になる願いの叶わなかったコニーの無念がエマに託されているという解釈もできそうです。

実際、31話(4巻)でイザベラから飼育監になる道を示され「いやだ……それだけはできない……」と拒絶したエピソードもありますし、エマが飼育監ではない本当の母になる未来を描くルートもあってよいのでは?と無責任ながら個人的にずっと思っていました。

大人になれないネバーランドを変えて、自由を手に入れ、大人になり、恋愛し、結婚し、出産し、「家族」と一緒に生きていく。
それこそまさに、長年の支配から解放された証といえるのではないか。

なかば真剣に、約ネバのラストシーンは自分の生んだ赤ちゃんを抱いて「ママ、私、お母さんになったよ」とお空のイザベラに報告するエマ、そしてそんなエマに寄り添う夫のノーマン、という絵面を期待していました。

実際はそんな妄想の一億兆倍素晴らしい至高の最終話だったわけですが。
ノーマンのエマへの無限大の愛、圧倒的ノマエマエンドで締めくくられた圧巻のラスト。
それだけでもエマの相手はノーマンしかいないと断言できるくらいの描写だったので、当時の本誌感想についてもまた改めてnoteに再掲しておきたいですね。

それはそれとして、ノマエマの結婚とエマが本当の母になる未来を私は微塵も諦めていません!

キャラ設定と関係性的にも、男の子のように元気いっぱいな女の子エマと、病弱で線が細くおだやかな男の子であるノーマンが仲良しで、ノーマンの方は「エマに自分の弱い部分は見せない」「女の子の前でかっこ悪くあってはいけない」(ファンブックより抜粋)とエマを女の子としてずっと意識してきたことがうかがえるのも最高なんですよ。
おそらく、中性的で子どもらしく11歳なのに5歳児とからかわれるようなエマを異性として意識していたのはノーマンぐらいのものでしょう。むしろそうあってくれ。個人的にそういう関係が好きだから。

趣味嗜好を語りだすと止まらなくなるのでこのへんで止めておきます。

ここまでで、ノーマンのエマへの感情には恋心も含まれると原作者の先生は考えていること。
しかも、イザベラやユウゴら食用児達には1000年間叶えられなかった恋をノマエマが叶え、コニー達食用児やイザベラ達飼育監には叶わなかった当たり前に我が子を生み愛し育てる未来も含まれるであろうこと。
つまり、エマもノーマンに恋愛感情を抱き、結婚して母となる未来が描かれるルートも決して不自然ではないということ。

ノマエマの結婚は約ネバのテーマそのものであることがおわかりいただけたかと思います。






⑧ノーマンとエマが結婚する理由その8→「レイにとってエマとノーマンはセット」


理由その2でもノーマンとレイのエマに対する感情の違いについて私見を述べました。

もちろん原作者の先生も、エマとレイの見え方についてファンブックで語ってらっしゃるので以下引用します。

杉田 ラブ・ロマンスみたいに見えたら、ちょっと違いますからね。
白井 兄妹とか、同志とか、そんな感じで見えるようにしてねって。

それからレイの相手の話。

白井 原作者として、レイとアンナをくっつけるつもりは全然なくて、どちらかといえばレイの相手はアイシェのつもりで考えていた。結局そのルートもなくなっちゃいましたけど。

どうですか!!!!!!!
原作者の先生が、レイに「相手」の女の子を作ってあげようと考えていたということ、これ重要ですよ!テストに出ます!

ファンブック読んでもらえばわかると思うんですけど、当然、ノーマンにもエマにも「相手」の異性を登場させようなんて話は1ミクロンもないわけです。
なぜならノマエマはお互いがその「相手」だから。
そもそも原作者様の意向は「ノーマンの恋は叶うといいですね」だからね!

読売新聞オンラインに「原作の白井さんと作画の出水さんが語る、独創的な世界観の誕生秘話」(2020/12/28)というインタビュー記事がありまして、そこから引用します。

――第119話でノーマンと再会した時の、レイの行動が印象的でした。エマはストレートにノーマンに抱きつく。しかし、レイは、いきなりノーマンの頬を張って、その後、エマとノーマンの両方を抱きしめる……。
白井 レイにとって、エマとノーマンはセットだから。GFで6年間も地獄の脱獄ルートを探し続けたのは、二人をどうしても生かしたかったからです。

そう、「レイにとって、エマとノーマンはセット」。

再会時のハグも、レイがノーマンだけじゃなくエマごと抱きしめるので、エマが「!??なんで私まで??」と白目になって混乱してるんですよね。
でもノーマンはそこに戸惑ったりしない。
エマは知らないあるいは自覚的ではないけれど、ノーマンの方ではレイが自分とエマのことをそう扱っていることを知っている。

レイが撮った二人の写真にしても128話(15巻)鼎談最後の握手にしても最終話の手つなぎにしても、三人の関係性が凝縮してますよね。ノマエマ+レイというバランス。

そもそも、約ネバという物語の始まりにおいて、レイの果たす役割は重要です。
1話(1巻)でノーマンとエマがハウスの真実を知るのは、レイの思惑に誘導されてのことでした。
レイが彼の意志で二人に真相を知らせようとしなければ、このまま二人はそれぞれ出荷され、世界は何も変わらないままだった。
約ネバはレイが起こした物語ともいえます。

彼がノーマンとエマを逃がすよう仕向けることが出来たのは、「胎児の頃からの記憶がある」という特殊な設定ゆえでした。
現実にそんなことがあり得るのかは寡聞にして知りませんが、ファンタジー性の高い設定といえるとは思います。

友情努力勝利のジャンルで、しかも「戦略」を前提にした頭脳戦がメインの作品において、きっかけがほぼ偶然のような特殊能力に依っていることに、違和感をおぼえる人もいるかもしれません。
エマもノーマンも何も気付いてなかったじゃん、自力では無理だったじゃん、と。

ですが、このレイのアクロバティックな設定には、ファンタジーの文脈で意味があると考えられるのです。
28話(4巻)にあるレイの独白によると、胎児の頃の記憶に
「耳に伝わる”母親“の声
虚ろな子守唄」
があり、37話(5巻)ではその子守唄を口ずさむ幼いレイにより、イザベラとレイが実の母子であったという衝撃の事実が明かされます。

その子守唄こそが、まさにイザベラの恋の相手であるレスリーのつくった歌であり、二人の美しい恋の象徴。
イザベラのレスリーへの思いが、1000年に渡る食用児の無念の思いが、レイのその特別な能力に結実したといえるのではないでしょうか。
荒唐無稽なだけではない、物語の説得力を感じるエピソードです。

イザベラは大好きな男の子レスリーを失い、真実を知って絶望し飼育監になり、そしておそらく人工的な方法で強制されレイを妊娠出産します。
イザベラにとっては、エマも自分と同じく大好きな男の子ノーマンを失った(と思っている)女の子として自分になぞらえながら、自分と同じ飼育監への道を示したのでしょう。

この構造的なキャラ配置からも、レイ以前におそらくイザベラにとっても「エマとノーマンはセット」といえたのではないかと思います。
母子二代に渡りノマエマをセットとみなしているわけです。
レイだけでなくイザベラも、ノーマンのエマへの思いは当然知っていたのだと思っていますし、二人がもし大人になるのであれば将来的には恋が叶うであろうという関係性についても、わかっていたのだと思います。

レイのノマエマ推しは遺伝子レベルにして1000年の祈りの結実ですね。
ノマエマこそが長年の被支配を打ち破り自由を取り戻す未来の希望そのものなんですよ。
もちろんそんな設定にとどまらないフルスコア三人の関係性が大事なことは百も承知ではありますが。
物語設定における各キャラの役割という面から考えても、ノマエマの結婚は勝利の結晶だとしか思えませんね。

そんなわけで、ノマエマの結婚を全世界で最も喜ぶのはレイだと思ってます。



⑨ノーマンとエマが結婚する理由その9→公式関係者達もノーマンからエマへの恋愛感情を読み取っている


あれこれ書き連ねてまいりましたが、ノーマンからエマへの感情について、

普通に読んだら恋愛感情だろう。

それ以上でも以下でもない。
と本来ならば一蹴したいところですね。

何しろ、約ネバ公式に関係する多くのプロ達が恋愛と解釈しているからです。

アニメ監督もインタビューで恋愛感情だと明言していますし(後述)、ノーマン役の声優さんも単行本13巻特装版付録『ESCAPE〜脱獄編 イラストブック〜』(2019年3月9日)に収録されているキャストトークの中で、「ノーマンのエマを好きだって気持ちはやっぱり恋愛としての好きなのかな?」と聞かれ「恋愛だと思うな〜」と答えてらっしゃいます。
監督もキャストも恋愛と認識しているアニメ約ネバはやはり最高ですね。

更には実写映画やそのノベライズ2種、ジャンプJブックスの公式小説『ノーマンからの手紙』なども原作以上にはっきりと恋愛的に好きだと受け取れる描写や話の作りになっています。
劇場版やそのノベライズに関しては、noteに公開当時の感想を再掲していますのでもし気になる方がいらっしゃいましたらご参考までにどうぞ。

そして公式スピンオフ漫画『お約束のネバーランド』のノーマンは、「エマへの愛が尋常ではない」キャラとして描かれ、ストレートというかストーカーというか変態的な恋愛表現の数々にあふれているほどです。
正直大好きですね。

このくらいのお遊びが許されるなら、別マ(『別冊マーガレット』つまり集英社様が誇る代表的少女漫画誌)でノマエマをヒーローとヒロインにした少女漫画の連載が始まる可能性ワンチャンないですか?
原作先生なみなみならぬこだわりである「エマはヒロインではなくヒーロー」「ノーマンは王子様ではなく白馬」も、本編後の世界なら少女漫画してくれてもいいのではないでしょうか?

前述したアニメ監督の見解について、インタビュー(1期DVD&BD特典冊子『ミネルヴァ機密通信』VOL.3)より、以下引用します。

「ただ、最初はよく分からなかったのが、原作の担当編集さんから「ノーマンがエマを好きというのは恋愛感情ではない」と説明があり、「えっ、違うの?」と思いましたし、他のスタッフも「違うんですか?」となりまして。それはそれとして作業を進めていたんですが、疑問に思ったのが第10話のお別れのシーンで、原作では最後にエマの顔を抱き寄せるんですよね。これがノーマンはエマのことを異性として好きなようにしか見えなくて。男の子同士の感覚だったら抱き寄せるなら肩になるのではないか、というお話を担当編集さんとして、最終的にそういう感情でOKという話になりました。」

ノーマンはエマのことを異性として好きなようにしか見えなくて」

どうですか?????
これが監督&スタッフの総意ですよ!!!
仰る通り、普通に恋愛感情としか読めませんよね!!!!!?????

担当編集氏がNGを出したのは、時系列的におそらく漫道コバヤシ収録以降で作画先生からのNGがあったからではないかと思われます。
それでも掛け合ってOKにしてくださった監督さん素晴らしい。
インタビュー通してマイナスなことは他に何も仰ってないんですけど、この点に関してだけは疑義を呈し譲らずに筋を通しこうして公言してくださっているのです。
もはや感動します。

いやほんと、普通に恋愛感情としか読めませんよね!!!!!!!!????????

アニメ2期についてはいろいろ言われていますし私の感想もいずれまとめたいところですが、少なくとも1期は評判もよく私も大好きなアニメなので、監督とスタッフの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
ちなみに2期についても私自身はそこまで悪い印象はなく、あくまで是々非々ですかね。大人の事情が大きいんだろうなと勝手に推測しています。


⑩ノーマンとエマが結婚する理由その10→抗え、メタ的運命に


ここまで、ノーマンとエマ、That's rightノマエマが結婚することの確からしさについて持論を展開してまいりました。

ノーマンのエマへの気持ちに恋愛感情は含まれているし、約ネバのテーマとしてもノーマンの恋は叶いノマエマは結婚するはずであること、それをレイが誰よりも祝福するであろうことがおわかりいただけたかと思います。納得できない方も、少なくとも私がそう主張していることは理解してくださっていることでしょう。

しかし、原作者並びに公式関係者がノーマンの恋を応援しているのに(拡大解釈)、作画家が否定していてはどうしようもないのではないか、という当然にして最大の反論が残ると思います。

そこで皆さん思い出してください。

我々が成すべきは、「七つの壁」を越えること。
自らに限界を作らない者だけが、世界を変えることが出来るということです。

エマ達のストーリーを振り返れば、常に限界を超えて勝ち取ってきた未来があったはず。
ハウスからの脱獄を皮切りに、到底不可能と思えた試練を次々克服してきたからこそ、世界を変えることが出来たのです。

手に入れたい未来があった
「変えられない」運命があった
抗って
抗って
掴んで
失って
それが何だ

運命なんてクソ食らえ


ノマエマへの次なる試練は、次元を超え、作画の先生と対峙するメタ的領域にまで至りました。
ラスボスは生みの親の一人である作画家。
不可能を可能にする物語にふさわしい絶対的存在です。

ノマエマの果てしない愛なら、やがて、作画先生の心を溶かすことが出来るのではないか。
いつかノーマンのありのままの気持ちを認め、受け入れてくれる日がくるのではないか。
そしていつの日か、ノマエマの結婚絵をあの公式神絵で描いてくれることがあるのではないかー。
それが全世界で感動を呼び、約ネバ番外ノマエマ結婚編の連載がスタートなんてしちゃったりしたらどうしよう私はごほうびに何を差し出せばいいのドゥギャーンはわわ…

実現するその日まで、私は運命に抗い続けます。
たとえ小さな声でも、こうして力の限り叫び続けます。

ノーマンとエマを結婚させてください!!
お願いします!!!!!!!!!!!!


もちろん作画の先生が考えを変えてくれるのが最善だとは思うのですが、実際問題人の心を変えるのは難しいですし、それこそ自由の尊重に反しますよね。

なので、この機に乗じ、一ファンの視点から一つ提案させていただこうと思います。
この機とはすなわち、約ネバのプロモーションに予算がついた、もしくはプロジェクト始動の気配…!
海外ドラマ化の続報が示唆されていることや、冒頭で紹介したファンコミュニティサイトが最近海外ファンを意識したアップデートを繰り返していることなど、おもに海外での販促に力を入れていることがわかります。

全世界の、漫画に馴染みはないけどドラマは見るという層の中に、これから約ネバにはまってくれるだろう存在の圧倒的潜在母数の可能性は素人でも想像できる。
なので海外ドラマの成功を私も一ファンとして願ってやみません。
そしてノマエマ固定ドラマであることも祈ってやみません。

正直にいえば、私のようなカプ絶対固定ゆえに地雷回避のため人様との交流を絶っている孤立者にとっては、作品と自分だけの閉じられた世界だけで生きていたいという病んだ思いも抱えているのですが、それでも作品がより売れることでグッズやイベントなどの展開も広がるだろうし、何より神である原作者様にその恩恵が還元されるはず…なのでやはり作品の知名度が上がることは私の幸福に直結するのです。

海外ドラマ化にあたり、プロモーションの予算が改めてつくかと思います。
そこで私は、国内にとどまらず全世界の「少女漫画ファン」にもリーチしていくという販促戦略を提案をしたい。

私は元々少女漫画やファンタジーノベルが好きで、少年漫画はあまり読んでこないタイプのオタクでした。
約ネバは人生で初めてはまったジャンプ作品です。
ジャンプでこそ異色の作品と謳われていますが、それだけに様々なジャンルとの親和性も高いでしょうし、少女漫画との相性もかなりいいと思います。

先生はノマエマを「ヒーローとヒロイン」や「王子と姫」ではない、というこだわりをお持ちですけれども、少女漫画のビッグタイトルは、たいていエマのようにヒロインが強く(あるいは強く成長し)、ヒーローを救済する展開が王道になっているからです。

おそらく少年漫画と少女漫画ではヒーローとヒロインの役割がだいぶ違うと思いますし、王子と姫についても、童話のようないかにもな関係性は近年のフィクションではなかなかお目にかかれない気がします。
なろう系ファンタジーもそこそこ読む私の実感ですが、姫が王子に守られるだけの存在という作品はあまりないのではないでしょうか。
姫も王子を守り救い欺き勝ち取る時代です。

経験として、国内の少女漫画の話題で、海外ファンからリプをいただいたこともありますね。
愛されてます、日本の少年漫画も少女漫画も。
少年漫画ほどの影響力は難しいかもしれませんが、それでも少女漫画も海外で利益を上げることのできるコンテンツなのは間違いないのではないでしょうか。
とくに約ネバは、もし少女漫画界に進出するなら、漫画ジャンルの橋渡し的存在としてもかなり期待できる作品になるだろうと思います。

近年ジャンプの覇権作品が少女漫画誌とコラボする動きについても、興味深く見ていました。
鬼滅やハイキューなどのファンが、雑誌の特典グッズ目当てに、普段購入しない少女漫画誌を読み、その中に追いかけたい作品を見つけてくれたりすることを狙っているのでしょうか?
それだけではないのでしょうが、何かしらの効果は期待されての販売戦略なのだろうと推測されます。

約ネバの場合は、逆の効果も見込めるのではないかと。
すなわち、少女漫画家の先生にコミカライズしてもらった番外編などを少女漫画誌に掲載し、興味をもったファンを少年漫画である原作に誘導するという方法です。

その番外編というのが、そう、我らがノーマンとエマのラブストーリー、そして結婚へ!!!!!!!!!!!!

どうですか、ノマエマ結婚に現実味がわいてきませんか??

作画先生からのストップがかかる可能性もありますが、そこはお約ネバのように違う世界線と割り切っていただきましょう。
お約ネバが許されるなら少女漫画化も許されてしかるべきです。
まあ私自身はあらゆる世界線でノマエマ固定でなければ許せないタイプの限界オタクなのですが。

日本の漫画業界の市場規模の縮小は、漫画ファンの一人として憂慮していました。
海外展開を柱に、ドラマや動画などあらゆる手段での入口を用意、少年漫画や少女漫画の垣根を越えた展開でファンを広げていってほしいと願っています。

ないならつくろうよ外に
ノマエマが結婚できる場所
変えようよ世界

そしてゆくゆくは原作世界線でも結婚する未来も諦めない。

ノーマンとエマが結婚する未来を掴み取りましょう!!!!!!!!!!!!!!!!

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