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人は自分のために生きる。

今日のタイトル、
浅ましいと聞こえるかも知れません。

しかし、年齢を重ねていき、

自分のことはもちろん
家族や友人を含めた
自分以外の人、つまり他人についても

いろいろと考えを巡らせたり
気を遣ったりということを

何年も何年も
続けるたうえで
自然と感じるのです。

最近は特に。




一生懸命に勉学に励んだのも、

一生懸命に仕事に打ち込んだのも、

一生懸命妻や子供、家族のために頑張ったのも、

全て自分のためだったんじゃないかと
思うんです。





定年を迎えて、
これまでの人生を俯瞰しています。

これまでは、
何が何でも自分にとって

したいことかどうか、
やりやすいことかどうか
には関係なく

ただ、がむしゃらに頑張ってきました。




でも、今の歳になって思うのは
自分を意識して生きるのが
良いのでは無いかと。



生きていくために最低限の
経済的な収入のための仕事は必要だけれども

それですら

「自分にとってそんなに苦労なくできること」

を選ぶのが
良い生き方だと思います。

それが
デスクワークなのか
力仕事なのか

単調なのか
複雑なのか

責任が
重いのか
そうでもないのか

社会的に
評価されやすいのか
されにくいのか

など様々について
報酬や人からどう見られるかなどは
いっさい考えずに

自分があまり苦労せずに
人よりうまくできることを

仕事に選ぶのが良いと
思えるのです。




「妻や子供に不自由をさせたくない」
というのも

そのような「自分」でいたい
という願望に過ぎないと思えます。





定年を迎えて
社会の中での大きな役割が
変わっていくのを目の当たりにします。


そもそも
収入自体も減り、
仕事の役割も
次の世代へと
バトンを繋いで行きます。



では
今までの生活が激変するのかというと
最低限の生活費を収入として
維持できれば

意外と毎日は変わらないです。

むしろ、そのことに驚きます。

家族も年齢が理由で
収入が減ってしまうのに
不満を言う人はいません。

必要なものだけを買うようにすれば
そんなに不自由も感じません。


しかし、
これまでとくらべて
増えるお金が少なくなるかわりに
減るお金も少なくなります。

多分いちばんいけないのは
無意識にしている無駄遣いでしょう。

無駄遣いはしてはいけません。
むしろ、定年という絶好の機会に
無駄と思われる部分は
ごっそりと削ぎ落とすことです。






そのうえで、
自分が本来したかったことを
自分のために
ひとつ、ひとつ
実行していきます。


大したことでは無いかも知れません。


ひとりで行ってみたかっとところに行ってみる。
それを絵や写真にしてみる。
その素敵な風景のある地でごはんを食べる
美味しいと思ったらその料理を作ってみる。
その旅の記録を文章や音楽にしてみる。

でも、
やろうとすると全然できないかも知れません。





できることが目的ではありません。
やってみることを楽しむのです。




今、自由を感じます。
時間の使い方を長い間
学んできました。



やろうとすることが難しいことも

きっと、小さい子供だった自分よりは
うまく、苦労なくできるだろうと
思います。


それでいいんです。
自分の成長を感じる瞬間です。



人は本来自分のために生きるのだと思います。
自分の成長のために生きるのです。

これが、私が定年を迎えて、数ヶ月。
日々感じていることなのでした。




最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
今日のは独り言っぽいなぁ。

これらかも書くことを
続けます。






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