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手帳について考える

毎年この時期になると、手帳、日記といった所謂「ジャーナル」についての存在価値とか、私にとっての必要性とか、そういうのを考えてしまいます。
ここで決まった事が、来年を通した習慣になるから。

私にとっての手帳

私はずっとほぼ日手帳を使っていて、毎日、日記のようにその日に起こった事や考えた事を記しています。
それが本当に必要な事なのか、ちょっと分かっていません。日々のなにか継続的な事を集計したり、日記をちょくちょく振り返ったりすればいいんでしょうけど、そういうこともあまりしていないので。
という意味では、まぁ、実際はただの自己満足なんだよな。

自己満足ってなんなんだろうな。

そして、日記って、綴る事にどんな意味があるんだろうか。

ちょっと重荷?

ほぼ日手帳とは、割と、四六時中手放さずに暮らしています。
一方で、少しだけ憧れている、ミニマムな生活を考えた時に、自分の中で優先順位が下がるような印象を持ってます。私の中ではそれくらいの価値観。
そんなんなら、いっそのこと手放してしまえば良いのに、と思う事もあります。
別に強制されている訳ではないし、自分の自由なんですけどね。

けど、きっと、結局買っちゃうんだよなぁ。
おそらく自分が培ってきたこの習慣を、簡単に手放したくはないだろうから。

そこまで考えると、もしかすると、手帳こそが、私の生きる意味なのではないか、と思ってしまいますね。
考えすぎなのは分かってますけど、去年くらいから、私の生きる意味が分かりません病に陥っている身としては、手帳を埋めるために、私は生きていると、言っても過言ではないのかと!!

いや、言い過ぎだろうなこれ。

今、パラパラっと振り返ってみましたけど、結構面白いですね。
過去の写真を振り返っているような雰囲気を醸し出します。
筆跡の強弱も、その時の気持ちをよく現しているような気がします。

こういうところなんだろうな、振り返るために、その時の気持ちを綴る訳で、人間だからその時の気持ちなんてすぐに忘れちゃうから、その瞬間の気持ちを切り取って、後から見返すことができるのだろうな、と。

まぁ自己満足ですよね

過去を振り返る方法として、頭の中にこびりついている曖昧な記憶を振り返るか、日記や手帳に書き記す、あとは写真くらいがあると思いますけど、これのどれが一番自分にあっているかを考える事で、自分のタイプがわかりますよね。

私はきっと、文字に残すのが性に合ってるんだろうな。

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