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何も言わないから、

唐突に観葉植物を飼いたい!と目覚めたのが多分2019年2月で、きっかけはLOFTに売ってた盆栽キットだったと思うのよね。

なんでもかんでも結びつけるのって浅はかでしょーとは思うけど2018年12月からクヨクヨすることが多くなり心療内科に通いだしたのだけど、もしかしたら、あの時の自分は「生きる目的」を観葉植物に求めたかったのかもしれない。

と書くとなぜ私がクヨクヨし始めたのか、その展開を書く流れになりそうな気がするので、ゆっくりと慎重にそれを紐解くと、まず最初に子どもたちの成長がありました。
私は、子ども二人の子育てに手をかけるのが自分の務めだと思っていたんだよなきっと。
最初はさ、おむつを替えるでしょ。私は父親だからおっぱいをあげることができないけどミルクを時々作ったり、だんだん離乳食になったり、抱っこして近所を散歩したり、と手をかけるほどに「私は子どもを育てている」という実感が湧いてきたように思うのよね。

勘のいい人なら想像がつくかもしれないけど、そんな子どもたちもだんだん成長してくるでしょ、そして次男が3歳になったあたりである程度のことは自分でできるようになってきました。分かりやすいところでいうとトイレとご飯。それらを自分ひとりでできるようになると、私の手を必要としなくなってきたんですよね。

そして、私の役目がだんだん、希薄になってきた、ような気がした、というか。考えすぎだし、決めつけだし、父親としてやるべきことはたくさんあるし。けど当時の私はそう考えられなかったように思う。

そして、植物を飼うようになってきた、のかな。

同時に、子どもたちが家でガヤガヤするのがとても耳障りに感じるようになってきました。子どもだもんね、しょうがないでしょ。けど私は、それをノイズと捉え、彼らを避けたいと思うようになってきました。実際に手を挙げたり、声を荒げたりすることはしていないのですけど、というよりは「自分がその場からいなくなる」という選択をし始めました。つまり、自分専用のベッドに逃げ込んだんだね。
眠くなったら寝ちゃえばいいし、眠れなかったらぼーっとスマホを見てればいいし、とか。

そして、タイトル回収になりますけど、植物への愛情が増幅していきました。彼らは、何も発しない、けど、静かにゆっくりと成長していくだけ。

それから2年くらい経つんだな。

今でも植物のことは好きですけど、子どもたちへの接し方、愛情の注ぎ方についてはとりあえず父親としてのポジションをこれからも担っていこうという気持ちを持ち、彼らの勉強のサポートしたり、一緒にお風呂に入ったり、公園に行ってサッカーしたり、フリスビーしたり、凧揚げしたり、次男が自転車に乗れるように彼のサドルを持って中腰になって長い時間走ったり、彼らの好きなものを料理したり、彼らのために仕事してお金を稼いだり、運動会とかお遊戯会はビデオカメラを持って撮影に勤しんだり、

など、

まぁ、

普通のお父さんでしょうけど、不器用ながら私なりに彼らにたいしてぶつかっていっている感じです。

彼らが騒ぐとベッドに行きたくなったり、実際に行ったりするのは変わりませんけど、それ以外では、まぁ、普通なのかな。

植物と子どもたちを比べるのはおそらく次元が違ってて、比べるものじゃないし、というのを考えると、当時植物を「子どもたちの代わりに愛情を注ぐべき対象」と捉えたのは、きっとメンタルが病んでいたんだろうなぁ、と。

長くなった。

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