自分って誰のことだよいったい
今自分が考えていることは、つい数秒前の思い付きが発端になってる訳じゃないすか。
おそらく人間って五感から受け取る刺激を元に何かを思いつき、それに従って行動することを繰り返しているだけの生き物なのだから、自分の性格とか、素性とか、個性とかっていうのはただの幻想なんじゃないかと思うよね。
多分、行動する時に自分の中で「過去、私、ああやって考えたよな」とか「あんな風に動いたよな」とかの経験を元に行動を選択してるはず。
それが先入観になり、そしてその行動を客観的に見る自分がいて、「あぁこれが自我なんだな」と認識するわけでしょ。
一瞬の選択、思考回路を断片的に切り取って、それをもって、これが私だ、と。
自分の好みってなんなんだろうな。
いったいどこで生まれ、どうやって成長し、今まで培われてきたのだろうか。
例えば図書館に行くとするじゃないすか。で、私は日本文学が大好きなので、あ行からバーって見に行くんですよね。
浅田次郎、あー20代の頃に良く読んでたなぁ。
伊坂幸太郎、ゴールデンスランバー、4回目くらいになるけどまた読もうかなぁ。
江國香織、今はそんな気分じゃないなぁ。
みたいな。またに違う人のも気になって、綾辻行人とかの表紙をパラッと見て、うーん、って考えながら本棚に戻し、あ行終わり、みたいな。
多分それってどっかで私が培った、「図書館で見る、あ行の流儀」なのだろうと思います。
けどそればっかりの、定型だと面白くないから、たまに脱線して全然知らない作家をジャケ借りしたりするんだよな。
ちょっと待て。なんだか分からなくなってきた。
本当に自我ってないんだろうか。
いい感じに歪んだストラトキャスターの音。
10月中旬頃の、少しひんやりとした空気。
子供たちと一緒に入るお風呂。
酔いが回り始める瞬間。
好きなチームがゴールを決める瞬間。そして勝利が確定する瞬間。
人の笑顔。
風を切って走る時に聞こえる、風の音。
歩くこと。走ること。自転車に乗ること。
こうやって考えること。
これら全て、私が愛してやまない瞬間だけど、これらを五感が感知した瞬間、「あ、俺、これ大好きなヤツだ」って0.2秒くらい後に反応するんだけど、それってただ、自分がそのように反応しているだけで、自分っていうものはその他には何もないってことなのか。素が無い、というか。自分は受動的に反応して生きているだけ。反応しなかったら、ただ息を吸って吐くだけの、何か。
もしそうなんだとしたら、自分って、いったい何なんだ。これを書いてるお前は、いったい誰だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?