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匿名者のためのスピカ | 島本理生 | ☆☆☆

人間ってさ、何かに縋って生きたくなっちゃうのかね。それがかつて自分を苦しめた人間だとしても、さ。

人間は楽な方向に動きがち、とか、自分を見てくれる人、評価してくれる人の方向を見てしまいがちなのだろうけど、それが自分をストーキングしてた人ですら、その対象になってしまうということを真面目に考えると、ものすごく怖いよな、と思います。

ストーカーされていた男に付いてっちゃう女と、その女と付き合っている(と思っている)男の話。

人間って結局弱いから、冒頭に書いたように、何かに縋って生きていきたくなっちゃうんだろうけど、それが悪いことなのかどうか、ちょっと分かりませんよね。それって価値観だし。一般的に見て悪いこととして言えるのは、例えば「明らかに犯罪を犯している人に縋る」とか、人道的な観点でどうのこうのみたいなところがあると思います。けど、例えば自分が殺したいほど憎んでいた弟を殺してくれた人に対して、その人間は、いったいどういう感情を抱くのでしょうねぇ。

極端な話ではありますけど、痴漢を線路に落とし、電車に轢かれるように仕向けてくれた、とか、価値観って様々だから、不動だろ、と思ってた「人道的な価値観」ですら簡単に揺らぐっていうのが分かりますよね。

つまり今、私が見ている世界で、何一つとして「誰が見ても正しいことはない」ということ。
主人公となる笠井はその「人道的な価値観」に従い、ストーカーとともに遠くに行ってしまった彼女(と思ってる女)を助けに行きますが、

果たしてそれが正しかったのかどうか、正解は有耶無耶になってる気がするんだよな。

善く生きるべき、と数日前のnoteに書いたのも記憶に新しいけど、

善く生きるということですら、誰が見ても正しいというものはないんだよな。

途中に出てきた熱海の主婦だって、ステロイド治療を断固拒否してたけど、それだって自分が正しいと思ってた道でしょ。愛娘がアトピーに悩んでいたのに、「ステロイド治療は間違っている」という、自分の正義に基づいて行動してたはずだから、それを周りが「お前間違ってるぞ!」と言ったところで、それを信じるかどうかだよな。

宗教チックな話ですなこれ。

お天道様が見てるぞ、と昔の人は言ったけど、それを信じてその瞬間に生きていた人間全員がお天道様に見られても引け目を感じることのないように生きるぞ!と思うことは無いはずで、隠れて泥棒してただろうし、隠れてレイプしてただろうし、結局それは「自分が快感を得たいから」行動してただけなんだよな。

それは、「自分が快感を得たい」という、自分の中の正義に対して忠実に、生きていたから。それを信じていたから。

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