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恋人がいる人を推すことの難しさ――オタクを金づるに


恋愛禁止のアイドルと、実質禁止のVtuber

アイドル視されていたお天気キャスター交際相手がいることで、ちょっとした話題になったが、そもそもこの感覚とはなんなのだろうか。
アイドルグループの多くは恋愛禁止であるか、禁止でなくともそれを表立っていうことは禁止されていることが多い。声優なんかも、結婚を隠して活動していたり、Vtuberも割と恋愛についてはセンシティブな内容になっている。そもそもなぜこんな風になっているのか。

疑似恋愛商売

ファンやオタクは、アイドルに疑似恋愛をしていて、だからこそ推しに恋人がいると、怒り出し、時には破壊衝動やストーカー、殺人事件にまで発展する。ただ一方でそういうことがなければ、推しに対してお金を盲目的に払い続け、どこまでもついてきてくれる金づるなわけである。その商売する側としては、お金を落としてくれる人を手放すわけにはいかないからこそ、恋愛禁止をうたって、なんとか儲けようとするわけである。

ガチ恋勢(リアコ)以外はどうなのか

オタク文化は界隈によって微妙に専門用語が異なり、推しに対してガチしてるガチ恋勢という言い方と、リアルにしてるリアコという言い方がある。意味はどちらもほぼ同じで、推しに恋愛感情を向けているオタクを指す。ということは、オタクやファンの中には、ガチ恋勢以外もいるはずで、じゃあそういう人たちが推しに恋人がいたとて推し続けるのかというと、これがそうとは限らない。

恋人がいる人に言うのか

想像してほしい。例えば結婚している人に対して「私、あなたのこと好きなの。」と言えるだろうか。恋人がいる人に対して「かわいくて、仕方がない。」と言えるだろうか。もしこちら側が恋愛感情を持っていなかったとしても、既婚者や交際している人に対して「好き」「かわいい」「かっこいい」という言葉をかけるのは抵抗があるだろう。

自身の体験1――意外な感情と変化

もともと私は声優オタクで、文化放送や音泉などのアニラジなんかを毎日のように聴いていた時期がある。一番最初に面白いと思って聞き続けたラジオが、井口裕香の超!ラジGirlsという番組だった。そしてそんな井口裕香の仲良し声優であるもこたんこと阿澄佳奈という声優がいる。自分の中で井口裕香は、アーティストデビューしてからの1stライブから参戦し、コロナ前まではワンマンライブには足を運んでいたくらいには好きな声優だった。一方で阿澄佳奈は、ひだまりスケッチのゆの役として、ひだまりラジオという超絶シュールでおもしろいラジオをやっており、そういうのもあって好きではあったが、(当時はこの言葉はなかったが)「推し」ではなかった。
2014年、阿澄佳奈が結婚報告をした。自分的にはそこまで何も感じないだろうと思っていたのも裏腹に、1~2日くらい「マジか…」という気持ちになった覚えがある。自分の中でそれがなんでそうなのかは理解できなかったが、今振り返れば「別にガチ恋ではなかったが、結婚してことによって、安易に「好き」とか「かわいい」といえなくなったこと」が無意識下にあったのかもしれないとおもう。

そして、推しだった井口裕香。数年前からはむしろ「早くいい人みつけて結婚してほしい」とすら思うようになった。当然余計なお世話なわけだが、この心境の変化はおそらく「幸せであってほしい」という感情からだろう。自分も結婚願望がなく、結婚がすべてだとは思わないが、自分の中で「好き」「かわいい」という対象から、「幸せであってほしい」という対象に変化したということは確かだ。

自身の体験2――おめシスの奇妙さ

おめがのハコちゃんの登場は、Vtuber界隈にも驚きが走ったが、私自身はそこまで驚きはなかった。おめシスが好きで推しているからだが、申し訳ないがおめシスに「かわいい」という感情はあまりわかない。歌ってみたが好きで、いろんな企画や技術力は尊敬するし、そういう意味では推しなわけだが、そこに「かわいい」とかそういう感情がないからこそ、結婚・妊娠・出産に対してなにも思わなかったのだろう。

推し方を考える

そうすると、必ずしも推しが恋愛をしたり結婚したりすることが、離れる原因にはならずに、推し続けることができることもある。しかしそこには「本人」を推すことよりも「コンテンツ」を推すことが必要で、逆に言えばコンテンツが売りになるような売り方をすることが必要である。恋愛沙汰でファンやオタクが離れない方法というのは、そういうことなのかもしれない。
じゃあ私たちオタク側はどうすればいいのかというと、正直どうしようもない。ガチ恋であろうとなかろうと、やはり推しの交際や結婚は「応援の仕方」の面からしても、なかなか受け入れがたい面もある。

オタクのパラドックス

ところで、偶像化にも関係するがオタクは推しの見えている部分だけでなく、その外側を見たいと思う人も少なくない。疑似恋愛を楽しむ一方で、真実を見たいという感情。これが不思議なもので、相手が見せている部分だけを見ていれば幸せなのに、わざわざプライベートまでのぞき込んで落胆するのは、いささか不可解である。やはり多くのオタクには、推しをすべて丸ごと好きになりたいという欲求(ある意味で願望?)があるのかもしれない。

【推しの子】のリアル

1期が終わり、2期が決まっている【推しの子】は、制作側消費側の悪い部分が両方見ることのできる作品で、制作側の大人の悪さと、消費側の子供っぽさを、歪な形で年齢がちぐはぐな主人公たちが語るすばらしい作品だと思う。アイの言う「嘘はとびきりの愛」という言葉の意味を感じ取ることのできるオタクになりたいものだ。


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